イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

憂鬱を大事にする!

2008-07-08 | 第七章「光と復活体」

 今日は、休日で久しぶりにカレーづくりのボランティアに行った。その後で、友人と楽しく語らい帰宅した。その帰りみちに、どういうわけか漠とした憂鬱な感情、悲しみに似た感情にずっと捕らわれていた。

 大学生のころ、感動した本は人それぞれだと思うが、私の場合は、リルケ詩集であった。深い悲しみの詩は、逆に深い感動を呼ぶ。 家に帰ってから、むしょうにリルケを読みたくなり、ぼんやりと読んだ。

リルケの時禱詩集の中の好きな一節。

/何も欲しません。もし彼らがもし何かを欲するとすれば、それはただ一つー/ほんとうにありのままに貧しくあること/なぜなら、貧しさは内部から射す偉大な輝きだから。/

 自分の鬱の原型はどこにあるのだろう。やはり、どこか人の死と関係しているようにも思う。今まで、殆ど意識に登らなかった一つの出来事があった。幼友達が、大学生のころだったか自殺した。幼い頃は良く遊んだが、小学校以降は殆ど話した記憶はない。近所ということ以外接点は余りなかったと思う。ただ、時折彼女の姿を遠くで見かけた。今日は、そのころの記憶の何かに触れ、憂鬱になったのかもしれない。

 鬱の感情は、幸福感の対極にあり、幸福感を得る重要な鍵になることがあると学んだ。

 忘れていた記憶の断片は、今ここにいる自分に何かを優しく語りかけているようにも感じる。

<一日3/4>

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