イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本に生まれたけど違和感があった私!

2008-07-29 | 第八章「魂と聖霊」

 1951年生まれの私は終戦後6年目に生まれたことになる。従って、幼い頃から高校生のころまでは戦争を知っている人たちに大いに影響されて育った。戦争中の大変さを大人たちから沢山聴いて、ちょっと変な劣等感を抱いたようである。

 1971年ころに、「戦争を知らない子供たち」が大ヒットし歌われたが。私たちの世代の、大人たちの世代に対する反発が底辺にあったようだ。

 幼い頃、母が天皇の神武天皇から昭和天皇までの、歴代の天皇を諳んじていることに驚いた。残念ながら、学校教育で習わなかったし、世界的評価の高い、古事記などの日本神話も、学校の授業できちっと学ばなかった。戦後教育の中で育った私たちは、従来の日本人とはちょっと違うのだろうか。

 7歳の時に、アラスカに一年弱両親と住んだことがあった。幼かった私であるが、やはり日本人として見られることが多く、幼いなりに日本人であることを意識したときでもあった。当時はちょっとした国粋主義者であった。

 母がカトリック信徒であったことから、幼いころから日曜日に外国人の神父様がいる教会にいった。これも大多数の日本人(父を含む)の生活とは違っていた。それが、心理的な負担でもあり、20歳ごろから40歳後半まで、カトリック教会から何となく離れた。

 学校を卒業してから、外資系企業に入社し28年間、5年前までお世話になった。これも日本をちょっと外から見る経験であった。

 外資系企業を辞めてから、5年間試行錯誤をした。障がい者・高齢者の福祉の世界、社会教育の世界にまだまだ浅いが関わってきた。そして生き甲斐の心理学や比較文化人類学などにU先生の影響で出会い勉強した。

 何故、会社を辞めたのかと問われると、その根深いところの一つは文化と自分の関係の問題があったように思う。幼いころの原体験:同じ人間がある日、異国の社会では言葉が通じず、親切な人も居るが、差別する人もいる文化で暮らす。このようなことは、人間であれば形は違うかもしれないが、必ず体験することである。人間の存在は、ある日突然毒虫に変身する、カフカの小説のように不安定であるからだ。新しい経験を通して何かを整理したかったようだ。

 話は変わるが、福祉の世界では、ノーマライゼーションという理念がある。戦後、国連にも大きな影響を与え、日本でも最近理解が進んでいるようである。私は、この理念が好きである。

 ここでは、4回にわたって、自分にとって日本とは何かを楽しく考察し整理していきたい。私を育んできた日本を健全に考えることは、生きがいの心理学を深めるために必要なようだ。

<日本1/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!