今から10年くらい前であっただろうか?NHKの教育テレビをぼんやり見ていると、遠藤周作氏の若いころからの友人でカトリック神父の、井上洋治氏が出てこられ、遠藤周作氏のお話をされていた。最後の方であったか、キリスト教でとても大事なのに知られていないこととして、聖霊の話をされた。
当時、カトリック教会から離れていた私にとって、その話はとても新鮮な驚きであった。その後にイグナチオ教会での不思議な体験でカトリック教会に戻ることになるが、聖霊の話は、その前の重要な導きではなかったかと今にでは懐かしく思う。
三位一体の神様、父と子は有名であるが、聖霊は日本人には余り知られていない。ただ、四国巡礼の金剛杖の同行二人ではないが、自分の魂にやさしく寄り添い、囁いてくれる神様と考えればよいかもしれない。
どのように囁いているのだろうかと時々考える。朝のひと時、のんびりしている時などに、悩んでいた解決策にふと気付くこと。そんな中で、聖霊が囁いているのではと感じることもある。
たまたま、娘が読んでいたので、ちょっと借りた、アインシュタイン150の言葉 (ジェリー メイヤー;ジョン・P. ホームズ )に次の言葉がある。
「心というものは、ときとして知識を越えた高みに上がることがありますが、どうしてそこに達したのかを証明することはできません。すべての偉大なる発見は、そのような飛翔を経たものです。」
真善美と聖霊。いろいろ考えさせられる。「宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目である」という言葉もアインシュタインの言葉であるが、聖霊を仮定して、世の中を見てみると、見えなかったものが見えてくるかもしれない。この章では、真善美を中心に、考察していきたい。
<総論1/1>
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