昨日、久しぶりに犬の散歩をしたが、百日紅(サルスベリ)が綺麗に咲いていた。百日紅は24節季、大暑の代表的な花である。ピンクばかりでなく、いろいろな色があり、楽しませてくれる。
百日紅は新しい時(トキ)を知らせてくれるが、五月ごろから綺麗に咲いていたアジサイは終わりで、梅雨が終わったことを知らせてくれる。何かが始まり、何かが終わる。
最近読んでいる本で、吉野裕子氏の「十二支」がある。古墳時代ごろから江戸時代まで、日本にものすごく影響を与えたのは、陰陽五行の思想である。因みに十二支は方角、年月、四季、時刻、祭りなど生活の隅々まで幅広く庶民に馴染まれたものである。
今でも、十二支はそれでも馴染みがあるが、祖先の残した日本古来からの文化は、だんだん変質していくようで寂しい。日本の進歩的知識人からそっぽを向かれた、易・五行は逆に欧米の心理学者等から熱心に研究されてきたことは、ちょっと不思議な気もする。
科学万能で便利だがいろいろ心配なことがある現代社会で、忘れられた真実・真理が、そこに見出されるのかもしれない。
咲き始めた百日紅に感動し、逆に輝きを失ったアジサイの花にも憐みを覚える。人間だけでなく、生物やモノ親愛の情をもつのは何であろうか?やはり、魂を想定することが正しいように思う。
単に、分子や原子からなるモノとして私たちは捉えることをしない。意味あるものとして百日紅やアジサイを観て、そして何かを感じるのだ。それは昔からの真実かもしれない。
<真実の意味4/4>
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