誰でも、年をとっていくと、普段の生活の中では忘れていた、身近な悲惨に気が付く時があるようだ。私も、帯状疱疹になって、久しぶりに健康のありがたさを感じたが、病気にならなければ、自分がいつまでも健康体であるという幻想に浸り続けていたわけだ。
生き甲斐の心理学の師匠であるU先生は、航空機事故をはじめ、死か生かの境目の経験を持たれていて、貴重な経験談を聴かせていただくと実に勉強になる。一方、私は実に安穏とした人生なのであるが、それでも、今のような平和な生活が崩れるかと思われるような経験もあった。
その時は、地位も名誉もお金も意味はなく、裸一貫というような感じになるものだ。しかし、良く考えてみれば、それが本当の姿かもしれない。西欧ではメメンモリ(ラテン語で死を想え)という言葉がある。
普通、死は恐怖の対象のようであるが、信仰を持つと、それは至福の姿に変わる。人生が死と隣り合わせなのだが、死も至福と隣り合わせなのだ。そして、そんな死を想うことにより、自分の本当の生き方が見えてくる。
昨日から味読している「大阪アースダイバー」は、大阪という都市の本質を、南北の軸と東西の軸の交点である四天王寺と考えている。そこには、太古からの信仰を基層においた聖徳太子の信仰が息づいている。大阪人の人情・あたたかさの秘密は、そんなところにあったのだろうか。
マンネリズムも、そんな都市にはふさわしくないはずだ。だが、最近の大阪はどうなんだろう。
マンネリズムに陥らない 10/10