イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

富士山とひょうたんのほんわか気分!(富士山を想う 10/10)

2015-05-23 | 第九章「愛」

 今朝は、超ひも理論の関係のyoutubeを見、それから昨年行った日本国宝展の図録から縄文の女神をはじめ5つの土偶の写真をしげしげと見たりしていた。そして、久しぶりにロロ・メイさんの「愛と意志」(誠信書房)を読んだり、ロマ書の霊と肉を考えたり・・・

 ちょっと支離滅裂(笑)なのであるが、これは昨日の勉強会で久しぶりに愛の原型を扱ったのだが、ここひとつ掘り下げができなかったことが原因のようだ。愛とは何か?真善美とは何か?そんなことを思い悩んでいたのだ。

 ちなみにU先生の生き甲斐の心理学では「愛とはあなたが思うところの愛である」といった現象学的な、そして一見頼りない回答になる。ただ、勿論心理学を離れれば、私にとっての愛は思考や感情の対象で、さまざまな愛の名作を通して楽しく考えさせていただけるものだ。

 時々「愛の原型」の問題を生き甲斐の心理学勉強会で話題にすると、「愛」とは何ですか?と訊かれることがある。そして、いつもうまく表現ができない。多分、意識の範囲の世界ではなく無意識も含めた大きな世界の問題であり、コトダマ?がつかえてしまうようなのだ。

 さて、写真は西湖の近くで撮った富士山とひょうたんである。縄文時代のことを勉強すると、外来種のひょうたんを縄文人が栽培していたことを知るようになる。ひょうたんはかなり歴史の古い植物で、それから生活用具(水筒、お酒の容器、・・・)として、あるいは仮面など、祭儀にも使われていたのではないかと思う。先日天理の博物館で観た展示の中にはひょうたんでつくった仮面が中国などで今でも使われていることを知った。縄文人もひょっとしたら仮面をひょうたんからつくり祭儀に用いていたかもしれない(祭儀で仮面をつかったことは確実なようだ)。

 私の幼いころに祖父母の家に行くと、ゴミ箱があったがそれはひょうたん(それに類するもの)をくりぬいて造っていたもので、軽くて重宝して祖父も重宝して使っていたのが印象的だった。ゴミを当時は庭で焚火で燃したのだが、その時に私も手伝ったりした。とくに意識にすぐのぼるような大型の愛の原型ではないが、小型の愛の原型であることは間違いない。

 支離滅裂に思索するのも或るときは大事だが、富士山にひょうたんの何となくほんわかする写真を眺めるのも愛の思索としてはとても大事だとも思う。

富士山を想う 10/10

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