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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生き抜くための解釈とは・・・(過去の解釈が将来に影響する 2/10)

2016-07-28 | 第三章「無意識の世界」

 東京都知事の選挙も近い。候補者をさまざまに解釈して誰かに投票するわけだが、今回は身近なインターネットでもさまざまなネガティブキャンペーンと思われる情報がでたし、またトルコの政変や信じられない事件などが起こり、こうした時代の中での投票なので考えることが多い。

 その選挙の投票日31日にちょうど以前から計画していた生き甲斐の心理学の勉強会を開催するので、テーマである「月」の解釈についても選挙と一緒にいろいろ考えている。選挙と月は余り結びつかないが、解釈について考えてみると似ているところがある。

 つまり過去の解釈の傾向が、自分の今の解釈に大きな影響を与えているということだ。

 写真は三日月?である。このところ縄文時代の人々はどう月を解釈したのかとか、いろいろな見方で月を解釈してきたが、以前はこの三日月?を観たとき単に「三日月」がでている・・・としか考えなかった。小学校で習う月と太陽の光の関係からくる月と太陽の位置関係、三日月と二十六夜月の違い、月から地球を観た宇宙飛行士・・・などのことは習ったはずなのに普通は浮かばず、恐らく三日月を初めてみたころの幼児の三日月だなと単純に認識する程度の解釈だ。

 小学校、中学校・・・成人してから・・・まあ、いろいろ三日月に対する解釈は、その都度習ったり学んだはずだが、月を意識して考える前は私が幼児だったころの解釈が信じられないほど自分を支配しているようだった。

 月を意識して考えるようになった今、巻頭の写真(2-3年前に撮った写真なのだが)を読み取ると、朝撮った二十六夜月であることがわかる。そして、光の当たっている恐らく東の方向(左)に太陽が既に出ていることも。さらに、三日月に似ているものの、間もなく消えてゆき新月になる月であることも。

 では、縄文時代の人々はどのように解釈し生き抜いてきたのだろうか。現代人と同様の知能を有していたとされる彼らは、決して私の三日月の原型のような解釈(月がでてるな・・・)ではなかったと思われる。そこから、現代天文学の知識はなかったかもしれないが多くの情報を得ていたはずだ。暦的な情報(日時時間)、太陽の位置、大潮や小潮、あるいは世界の神秘といった哲学。月の見えはじめや、消えるときの日々の位置から得た月の軌跡を土器に記し次世代教育にも使ったかもしれない。半人半蛙の図像は日本列島だけでなく世界的な広がりもあるようで、当時の高い文化も垣間見るようだ。深淵な死と再生の哲学のだったかもしれない。

 そんなことを、いろいろ考えていると、縄文時代の人々の月の解釈力と生きる力に驚く。私も縄文力?を付け、これから何があるか分からない人生を生き抜かねば・・・

過去の解釈が将来に影響する 2/10

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