イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

萎縮しないで本音を語ると幸せになる!(思考・感情・行動 6/10)

2012-04-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 福島原発事故独立検証委員会の報告書を読んでいると、最高権力者のK首相が大きい声で主張すると、多くの人が反論できず萎縮してしまい、本音を言えなかったりするケースがあったようだ。その中で、H補佐官は「私は、K首相から叱責されたときは倍ぐらいの声で言い返す。それは全然問題ない」(111ページ)という発言をしている。

 この部分は、心理学を学んでいる私にとっては、実に示唆的である。

 日本人は私も含め、威圧的に言われる時に、萎縮し言葉を飲み込んでしまいがちだ。特に、相手が社会的に上だったりすると。しかし、黙ったりすることによって、心の健全性を失しない、負のスパイラル(間違った行動など)に落ち込みがちだ。こころの健全性を表すプロセススケールにも自己の伝達(本音を伝達できるか)があるくらいだ。

 欧米では主張することは、それこそ小学校低学年から訓練されているが、日本ではどうだろうか?一般にこうした叱責に対し、こころの隠れ蓑の防衛機制の反動形成や合理化などを使わず、日本人独特(甘えの構造)の同一化や抑制でへらへらとしがち。

 写真は、日本橋の三越の本店のライオンである。イギリスのトラファルガー広場のライオンを模したもので、昔建築家だった祖父が進言し取り入れられた。受験生が、誰も見ていない時に背中に乗ると合格するという逸話がある。咆哮する相手に立ち向かうには意志をもって行動する必要がある(もちろん愛をもって)。

思考・感情・行動 6/10

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原発の司令塔の真実は!(思考・感情・行動 5/10)

2012-04-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日は、セザンヌ展に夕方よった。自分としては満足し、好きな絵の複製でも買おうかと思ったが、いつものように好きな絵は不思議に店頭になく、重い図録を買おうとも思案したが、結局に買わず帰路についた。

 帰り道の多摩センターで本屋さんに立ちよったら、3.11関係の本で「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」(財団法人 日本再建イニシアチブ 1500円)が眼にとまり、ちょうどFacebookでHさんが福島第一原発の現場からの報告のシェア情報を提供していただいたこともあり、さっそく購入し読み始めた。大きく重い本であったが、図録を買わず買ってよかったと、後で思った。

 昨年の3.11は、津波も本当に大変であったが、原子力発電の問題は八王子に住む私にとって直接的な問題であった。直後からしばらく、いろいろ心配した。限られた報道に振り回されたり、インターネットに踊らされしたが、実際の現場や首相周辺がどのような対応をとったかは、この時代を生きる私たちにとっては強い関心事である。でも、書店の本はさほど売れていないのも不思議である(今回は250Km圏内まで当事者だったのに。私も危うく買わないで済ましたかもしれないが)。

 日本人の原型を奈良時代に求め、U先生について持統天皇を研究したり、最近は平家物語の世界から日本のこころの特徴を研究しているが、未曾有の危機のなかで、どのように日本人が思考し、感じ、行動をしてきたかは原型を探るうえでも興味があるし、今後の事故は、比較文化をベースにした臨床心理を深めるうえでも、大切かもしれない。

 まだ、本の1/3程度しか読んでないが、今回の事故での官邸を中心としての危機対応をかなり理解できた。読んでの感想であるが、早い時期に最悪のシナリオが作成され(その中で八王子も含む250Km圏内も、充分危機の中にいた)、事故の中枢にいた方々の共有認識になっていたこと(フォーカシングでもでてくる、とても重要な作業)。そして、それが何とかなったのも、いくつかの偶然と言ったらよいのか、人知を超えたようなこともあったかもしれない。それは、もし、こうした事故が阪神大震災の前夜に勃発していたら、現地の司令塔(免震重要棟 なんと2010年に作られた)は当然なく、官邸の危機管理センターもなく(1996年ごろ設立?)日本はどんなことになったろうか。

 さらに、今回興味をもって読んだのは、原子ムラの存在と、その甘えの構造(日本古来の文化のひとつ)である。悪い面もたくさん指摘されているが、発電所対策本部が官邸の指示とは異なる対応(注水の継続)をしたことも日本的である(もちろん危機管理上は大問題である)。危機の中での甘えの構造は、時にプラスに働くのだろうか。

 今回の事故は大変な危機で多くの当事者は極限状態に陥ったと思う。そして、その中で奮闘する(その奮闘は傍観者的な報道からは抜け落ちることも多々あると思う)。それを知るのは貴重な経験である。なお、極限状況は日常と一見別の世界のように思われが、生命の本質からすると、当たり前のことかもしれない。考えてみれば、誰でも人生に一度や二度極限状態に置かれるものである(たとえば死を前にするなど)。そして、今回の事故は、一市民に過ぎない私も学ぶことは多い。よりよい社会をつくるためにも大切だとも。

 思考・感情・行動 5/10

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理性と感情のはざまにある大切なもの!(思考・感情・行動 4/10)

2012-04-23 | 第十章「今ここでの恩寵」

 もう30年近く前のことである。勤めていた会社の先輩のKさんと昼食を食べながら楽しく歓談をしていた。その時、Kさんが言うには、以前感受性訓練を受けたことがあるが、なかなか良かった。マネジメントをする人は受けるべきだね。そんな会話であった。

 当時は、臨床心理学とかカウンセリングなど縁がなかった私だが、マネジメントには理性だけでなく感情というか感性というか、そういう要素も大切なんだと何となく理解し、将来機会があれば受けてみたいと思った。

 そして、U先生の「生き甲斐の心理学」を学び始めて10年以上が経過した今、その時の会話を暖かい気持ちで思い出している。

 Kさんの受けた訓練、どんな学派のどんな先生だったんだろう?心理学のワークショップは、さまざまなものがあり、人から評判を聞く機会も多いが、意外に賛否両論がある。Kさんにはよかったようだが、二度と行きたくないという人もいる。私も勉強会を開催したりするので、気を引き締めなければと思う。

 もう一つは、感受性訓練という点であるが、当時は対人関係が中心の職種だからなと狭く考えていたが、どうも違うようだ。

 理性と感情は別もの。正しい判断をする場合理性が大切で、寧ろ感情は排しなければ・・・そんな雰囲気が世間には決して少なくない。しかし、実際は、体感や感情は理性を補完し、より良い判断には体感や感情も大切なようだ(最近の脳科学の知見も参考になる)。日本人も歴史的に詩歌、能や茶道などを大切にしてきた。

 自分の感情や感性を、真善美と繋がる貴重な情報と考えてみてはどうだろう。そして、感情や感性を鍛えてセルフコントロールを上手にする。

 写真は多摩動物公園のモルモット。ウサギやハムスターにはなじみがあったが、モルモットもかわいい!

 

思考・感情・行動 4/10

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緊張と弛緩で渡り歩くちょうちょさん!(思考・感情・行動 3/10)

2012-04-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

 童謡の「ちょうちょ」の懐かしい歌。

   ちょうちょう ちょうちょう 
  菜の葉に とまれ
  菜の葉に あいたら
  桜にとまれ 桜の花の
  花から 花へ
  とまれよ 遊べ
  遊べよ とまれ

 多摩動物公園の昆虫園は、蝶が舞う温室に入場し観察したり写真を撮ったりできるので、時々訪れる。その中にいると、「ちょうちょ」の童謡を思わず彷彿し楽しくなる。ずっと止まっていて寝ているような蝶も中にはいるが、たいていは歌詞のように花から花へ楽しく飛んでいる。

 私が幼かった時。自分の家と祖父母のいる家の間に中庭があり、そこの花壇によく蝶が飛んできた。そのころの何か愛の原型に触れるのだろうか。

 さて、今日は、愛の原型のテーマでなく(大切なテーマであるが)、思考・感情・行動をテーマにしている。

 ちょうちょの「花から花へ」、いろいろ面白いことを発見する。U先生の「生き甲斐の心理学」は臨床系の心理学をベースにしているが、その中の重要な切り口に思考・感情・行動がある(世界で愛用されている切り口)。ただ、テキストを開いて気付くのだが、直接、思考・感情・行動を説明している部分は少ない。誰でも読めば判るようなこととも言える。それで、自分で考えてみると、この思考・感情・行動は人のこころやパースナリティを理解するための大切な3次元空間のように思える。

 蝶に人間のような思考や感情はないかもしれないが、この三次元空間(思考・感情・行動)で、花から花へを見ていると、私にとっては、人生のイベント(就職や結婚など代表的)の中で緊張と弛緩を伴いつつも、思考・感情・行動が好循環で流れ、幸せを実現していくように感じられるのだ。

 確かに、世の中には、思考・感情・行動の悪循環もある。自らの経験を再プロットしてみると、花から花へではない地獄も見たこともある。でも、蝶でさへ花から花へ自然に移動するように、自分の中にも潜在的に花から花へ飛ぶ力もある。だから今まで生き抜いてきた(生かせていただいた)ともいえる。

 思考・感情・行動 3/10

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猛禽類と人間、動物園で考える!(思考・感情・行動 2/10)

2012-04-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日は夕方に多摩動物公園に久しぶりに行った。閉園時間に近くなると、観客もほとんどいなくなる。そして、普段も余り知られていないのか人の少ない猛禽類(ワシ、タカ、フクロウなど)のあたりは、独り占めのようにゆっくりと観察できた。

 シロフクロウも夕方になったためか、あるいは抱卵期でメスを庇おうとしているのか何か攻撃的で、羽ばたいて飛ぶのを目撃できた(檻がなく襲われたらさぞかし怖いだろう)。鋭い眼で見られると緊張する。

 人と猛禽類の関係はどうだったのだろうか?

 今年の1月にNHKのヒューマンという番組で、現世人類がネアンデルタール人を最終的には駆逐していくのは、小動物を投擲具を使用して捕獲するのに成功したためだという仮説を紹介していた。弓矢は歴史が一万年前以上に遡るとのことである。それより原始的な投擲具はそれこそ数万年前から、ネアンデルタール人が生存するころにも存在していたのかもしれない。

 鷹狩りは、日本だけでなく世界的なもので、メソポタミア文明等の時代からあったそうである。素早く小動物を探して攻撃する猛禽類。何か弓矢のような機能に似ている。そして、小動物をとらえ食す。

 5-6万年前にアフリカを出立した現世人類。生き抜くために祖先たちは、投擲具を猛禽類からヒントを得たのか?考案し、厳しい食糧難の時代を生き抜く。投擲具は進化し兵器となり、人間どうしまで殺害するようにもなってしまった。

 昨日シロフクロウの雄に攻撃されそうになったのは、私が邪眼であったのだろうか。確かに、新平家物語の戦いのシーンの読みすぎだったかも。慈眼にならないとね!でも、為朝の鏑矢、どんなだったのだろう!

 思考・感情・行動 2/10

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