イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

楽しい思考・感情・行動の関係!(思考・感情・行動 1/10)

2012-04-20 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私が所属しているNPOは、設立してから7年目となった。1-2年で破たんするNPOが多い中嬉しい限りである。「生き甲斐の心理学」を普及する団体ということで、法律にも整備されている介護・福祉などの事業をする団体など行動がかなり決まるわけでなく、どうなるのかという側面があったが、思考・感情がしっかりしているのでここまで来たように思う(ちょっと自画自賛的かな)。

 そして、いつの間にか善意の方々からの支援で、資金力もつき行動も何か変化がでてきたようだ。願わくば、これから先、思考・感情・行動の歯車がポジティブに楽しくかみ合い、世のため人のためになればと願う。

 と、今日は朝から思考・感情・行動のことを、あれこれ楽しく考えている。

 組織についても、何か当てはまるようであるが、自分の歴史(生育史)を考えても、この思考・感情・行動は楽しい関係があるようだ。若いころ、頭でっかちの学生であったが、会社に入り、入社後すぐに関西で営業の仕事という、自分では想像もしない「行動」をすることで、思考・感情が大きく影響を受けて、こころの健康という意味では健全になった経験があった。

 反対に、思考・感情・行動が不健全になるケースも考えるとある。特に自己実現や生き甲斐を考えるときに、非常に面白い関係があるようだ。

 例えば、小説家などでも、小説で生計を立て素晴らしい仕事をする人もいるが、カフカや森鴎外のように二重生活をし成功する人もいる。これを思考・感情・行動の微妙なバランスと個性の関係なのだろうか、面白いテーマになるかも。

 思考・感情・行動 1/10

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ルーツ探索は楽しい!(個性の美 10/10)

2012-04-19 | 第十章「今ここでの恩寵」

 自分の歴史(生育史)を大事にすることは、自己実現のための大事に要素である。私も、「生き甲斐の心理学」を学びつつ、その大切さに気付き思索していると、次第に自分のルーツに興味が湧くようになってきた。自分の性格、文化の起源が気になってくると、父や母の生い立ち、さらに祖父母の生い立ち・・・そんな風に興味が拡大する。勿論生育史を、暗く解釈をするのではなく、明るく解釈するほうが実りが多い。

 また、私の場合は父の亡くなる間際に父と私が二人だけで父の郷里の瀬戸内海が美しく見える神社で語り合ったことが忘れられない。それから16歳のころ母方の祖父との語らい。これも亡くなる前のことであった。こうした語らい(何故、そんなことを言うんだろうという謎があった)がルーツ探索の動機になったことも否めない。

 父方のルーツに関しては、昨年のお盆に父の郷里で市役所で戸籍を調べ、思わぬ発見をした。父の私に語ってくれたこと、伯父さんが昔言っていたこと。それを繋げると阿波水軍につらなるようであった。いろいろ歴史を紐解くと、それは藤原北家に連なりそうだ・・など。ワクワクする話である。

 母方のルーツについては、祖父の最後の言葉から、祖父が桂家から養子にだされたこと、そしてその事情を知った。その後、桂家の祖父の兄が台湾で芝山巖事件で明治時代に亡くなったということを知った。そして、先日「芝山巖事件の真相」(篠原正巳著)という本をやっと入手し読んでみると桂金太郎(祖父の兄)の略伝があり、私の実の曽祖父の記録まで載っていた。

 その中で、気が付いたことであるが、私が通った小学校は桂金太郎が一時学び、そして一時教員として勤めた小学校であった。祖父は、それを知っていたはずなのに何故言わなかったのか、若くして夭折されたことなど、いろいろな想いがあったのだろう。そんなことをから、祖父が語りたかったこと、言葉を飲んで言わなかったことなどが想像できた。

 自分のルーツ探し。昔ルーツというアフリカが舞台の本を読んだが、それ以上にワクワクである。生き抜くということはそれだけで凄い!

個性の美 10/10

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ありがとうー湧き起こる感謝の意味!(個性の美 9/10)

2012-04-18 | 第十章「今ここでの恩寵」

 脳科学のダマシオさんの「感じる脳」には、スピノザの話が沢山載っている。次の17世紀の哲学者スピノザのダマシオさん流の翻訳。現代の最新の脳科学に通じるようである。

 「私は以下の真実を自明なものとみなす。すべての人間は自身の命を保存し安寧を求めるようにつくられており、人間の幸福はそうするための奮闘から生まれ、徳の基礎はこうした事実の上にある」(感じる脳 ダイヤモンド社 アントニオ・R・ダマシオ著 田中三彦訳 223P)

 この考え方を基に感情(暗い感情や明るい暖かい感情)がなぜ存在するのか考えると、時にはうっとうしく感じる倫理道徳ではなく深い根源的な生命の不思議さに繋がるようだ。

 感情には暗い感情も存在するが、健全な明るい感情も存在する。感情の原初の本質は暗い感情(ストレス)かもしれないが、決してそれだけでなく明るいあたたかい感情も人が生き延びる上で大切なようだ。人は単独で生きるのではなく、何かと協力して生きるようになっていて、明るい感情(たとえば感謝心)は大切な働きをしている。

 自分のことで頭がいっぱいになると、他人が馬鹿のように見え、感謝もどこかへ行ってしまう傾向があるようだ。こうしたときは精神病理的にも問題。

 私のように中高年になると、誰でも苦難を一度や二度経験するようだ。私の拙い経験の中で、最大級の苦難に出会った時、自分ひとりで生き抜く術が見つからなく限界状態になったとき、最後に出会ったのが他者のありがたさ、そして感謝心だった。

 自然な感謝心はロジャースの自己理論でも第一領域として、理想と現実のただなかで悩む時の脱失のカギとなる。ありがとうを馬鹿にしてはならない。

 個性の美 9/10

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自分を大事にするための歴史のお勉強!(個性の美 8/10)

2012-04-17 | 第十章「今ここでの恩寵」

 歴史のお勉強というと、もう小学校のころから始まるようだ。中学校や高校になるとさらに学ぶ。

 しかし、何か馴染み深くない他人事のようなところが私にはあった。昔の出来事について、温故知新で今の世の中に役立てたい。我々日本人としてのアイデンティティを作る。そんな読み方もあるが、何か大事なことが抜けているのか、興味がここひとつ湧かない。

 さて、昨日「生き甲斐の心理学」のU先生の放送で、「自分を大切にする」という番組がネット上に掲載されていた。日本ではたくさんの人が自死を選ぶ。確かに、自分の狭いエゴについては、幼いころから嫌というほど言われたり叱られたり、時には自問自答で苦しんだりする。そんなことで自死を選ぶ人もいるのだろう。そして、「自分を大切にする」という言葉でさえ、何かセルフィッシュな感覚があったりする。

 しかし、番組の中のシカゴ大学の心理学の教授は、自分を大切にすることは、①自分の魂を大切にすること。②自分の歴史(生育史)を大切にすること。③自分の身体を大切にするというふうに解釈している。通常の自分を大切にするという感覚と一味ちがう。

 「生き甲斐の心理学」では、こういう自分を大切にする思考をするので、私もいつの間にか身に着けてきたようで、歴史に関しても別の観点で観るようになってきた。それは、いつの時代も自分の祖先は、その時代の中の何処かに生きていて、華やかな歴史上の人物と自分は繋がっているかわからないが、歴史の現象に自分は繋がっている・・・それを自分はたまたま知らないだけだという感覚になってくるのである。

 実際に、たとえば今私が読んでいる新平家物語。丁度平清盛が亡くなる1181年ころだが、831年前である。これを一世代を30年と仮定してみると約28世代前となる。自分の系図は、男親の一本の流れであるが、28世代というと、2の28乗なので理論的には当時の日本の人口をはるかに上回るあり得ない沢山の祖先がいることになる。でも、当時の記録のどこかに自分の祖先が登場する確率は極めて高いと言ってよいだろう。

 平清盛の死に、自分の祖先たちはどのように向き合ったか。実感をもって考えることができる。さらに、当時のたくさんの祖先たちの一人でも、生きていなければ自分の今が無いと考えてみると不思議である。命を大切にする意味が少し見えてくる。

 個性の美 8/10

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リアルとバーチャルを判別する力!(個性の美 7/10)

2012-04-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 小学生のころ、四谷見附の橋を通った時、よく欄干から下を見下ろした。当時はスーパーマンが流行っていて、空を飛ぶことが私も含め小学生の憧れであった。ある日、一人欄干から下を見下ろしていると、飛び降りる中で空中に留まったり、舞い上がったりすることが可能ではないか、ふらっと飛んでみたい衝動が起こった。しかし、その後はっと我に返り、思わず身震いし、バーチャルな世界からリアルな世界に舞い戻った。

 こころの世界では、as if personというものがある。あたかも~のように、理想というか空想というか、そういうものと現実が混濁し、時にはその理想や空想の領域から他人を批判したりする。ドンキホーテのようで、現実の眼を持っているお供のサンチョがいないと大変。原因は現実吟味力が病的になり、理想と現実の区別がつきにくくなることのようだ。先の私の小学生の体験でも、飛び降りるのはまずいという現実吟味力がなかったらそうなったか。

 自己愛パースナリティ障害の特徴のひとつにも「限りない成功、権力、知性、美あるいは理想の愛といった空想への没入」というのがある。誰にでもある傾向ではあるが、紙一重で病理の世界に突入することも。そのポイントは現実吟味力。

 では、現実吟味力を健全に保つためには、どうしたことが良いのだろうか。生き甲斐の心理学のU先生の系統図を眺めると、いろいろアイデアが浮かんでくるが、その中の一つにプロセススケールのポイントの「感情と個人的意味づけ」がある。

 たとえば、原初的な感情である好きか嫌いか、怖いか怖くないか。こんな感情を着実にキャッチする。それだけでもかなり違う。先の小学校の欄干上の妄想?の時、現実吟味力が正常に機能したのは「怖い」という感情であった。

 私は、時々芸術に触れたりする機会があるが、世の中の評価を極力見ないようにし作品に触れ、自分の感情にストレートに訊くようにしている。考えてみれば、それも一つの感受性訓練のようだ。今日はオフ。何か良い芸術に触れてみたくなった。

 個性の美 7/10

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