イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

四ツ谷の土手の桜が咲き、過保護だった祖母を想う!(傾聴 3/10)

2013-03-20 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は久しぶりに四ツ谷に行きU先生の勉強会に参加したが、時間があったので四ツ谷のイグナチオ教会に行ったりした。まだ3月19日なのに、開花宣言どおり四ツ谷の土手の桜も咲きだし、レンギョも咲いていた。

 四ツ谷の土手に行くと、最近感じるのは桜の大木である。幼い頃から学生のころ、毎日のように通ったりしたが、そのときの桜が異様なまでに大木となっているのだ。月日の流れを感じてしまう。

 思えば、幼いころ親しかった祖父母をはじめ、世を去った人も多い。懐かしい人達もちょっと早咲きの桜を天国で見ているのだろうか?

 昨日の勉強会では、ストレス曲線が大きなテーマであった。人それぞれ、ある状況になると取り乱すような現象がある。何か蓋をしたくなるような孤独感であったりする。生き甲斐の心理学を学び自己分析をしたりするが、私にも未解決の問題も沢山残っているように感じる。過去のある事件の感情の記憶が、時に今ここで重なり時に取り乱すのだ。

 小学校2年の頃、祖母が亡くなった。アラスカから帰って一年もしない時期だった。何が原因だったか忘れたが、祖母の何かが気に入らず、家の中で大声で祖母を罵倒したことがある。それから間もなく祖母が入院し、そしてお見舞いに行くこともなく亡くなってしまった。母から後で聴いたが、祖母は私が罵倒したことをとても悲しんでいたそうで、なんともいえない嫌な気がした。

 祖母には沢山の孫がいたが、母が末っ子ということもあり庭先に住むようになり、私を初孫のように大切にしてくれた。しかし、祖母はどういうわけか大切にする仕方に変なところがあった。当時の衛生状態などを考えれば、しかたがないとも思うが、友達が楽しく食べたりする駄菓子は疫痢になると御法度。外で遊ぶにも、危ないことはするなという感覚が強かった。そして、「ならぬものはならぬ」で、理不尽なことも多く、私も何かで爆発したのだろう。

 年をとってから「生き甲斐の心理学」を学び、生育史の大事さを知るようになった。

 そして、祖母のことを想い巡らす。祖母は子供が10人授かった。そして、10人のうち2人が3歳以下で亡くなったという。その悲しい話は、どうも子供たちには殆どしなかったようだ。そういう気風があったようだ。

 自分の孫も今は3歳であるが、子供を失う悲しみはどんなものであったろう。今のように少子高齢化の時代と違うとはいえ、きっと大きな悲しみだったと思う。そして、それを抑制・抑圧することで、少し変だったかもしれない。

 世の中には、ストレートな愛もあるが、屈折した愛もある。嫉妬もそうだが過保護のような愛もある。

 私の幼いころの罵倒の裏に、そんな真実が隠れていたかもしれない。天国の祖母にあやまり感謝したい。

 傾聴 3/10

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好きか嫌いか?・・・から傾聴が始まる!(傾聴 2/10)

2013-03-19 | 第一章「意識と知覚」

 他人に出会うと、人はその人を瞬時に判断して好きか嫌いか、怖いか怖くないかを見抜くと言われている。原初感情といわれるものだ。

 これは、人間でなくても動物にも当てはまるようである。

 先日、孫娘と遊ぶ中で、廃品のDVDを7枚紐で繋げて首飾りのようなものを作った。首に吊るして、お化けの真似をしたりした。孫娘も驚いたり笑ったりキャッキャしたが、飼い犬のノコちゃんも、明らかに驚愕しつつ、私だと知って尻尾をふったりの錯乱状態であった。

 

 さて、心理療法の必要にして十分な条件を満たすとされる傾聴について語ろう。

 傾聴が成り立つポイントの一つは熱意である。お客様の顔を見ないで一方的に話すセールスパースン。パソコンを眺めてばかりの医師。一方的に話すだけの教師。人のことは言えないが熱意のない状態は傾聴とは限りなく遠い。

 そして、熱意のもとは、何を隠そう好きかどうかである。

 傾聴は、自分の感情にも気をつかう。傾聴するお相手に対し湧き上がる感情が好きであれば熱意も湧くが、嫌いな場合はだめだ。

 相性がよくて、いつもお付き合いをしている人でも、その時その時で湧き上がる感情が嫌いということもある。初対面ということもあり、何か過去の経験が重なって、嫌だなという方もいる。

 こうした時、嫌いな感情を好きに変えるべく知恵を絞りつつ、本物の熱意を引き出し傾聴していく。その原動力は意外にも思想・哲学の世界、人間観の世界だと思う。極端な言い方だが、ヒットラーでも愛せるような思想・哲学があれば乗り越えやすい。

 感情の世界は実に神秘的である。泣いたカラスがもう笑うという話もあるが、激しく変わることもある。怒りが友好的感情に、ウツが幸福感に・・・それを待つのである。

 最後に傾聴は、感情労働?そのもの。50分が限界ともいわれる。無理をしないで自分も大切にすることも大事だと思う。

 傾聴 2/10

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奥の深い傾聴!(傾聴 1/10)

2013-03-18 | 第一章「意識と知覚」

 傾聴とかカウンセリングという言葉を知り、「生き甲斐の心理学」を勉強しだして13年目になるが、傾聴は実に奥深いと思う。当初は単なるテクニックと思っていたところもあるが、そうではなく死ぬまで修行といった奥の深い分野だ。

 そして、他人の悩みを傾聴するだけでなく、自分自身の本音を探求したりすることで非常に役立つ。

 この傾聴の訓練方法というと、すぐ傾聴訓練といった感じで、二人でロールプレイをしたり、積極的傾聴法を学んだりすることを連想する人が多い。私も、そんなことを連想してきた。しかしこのごろ、それも大切だが、それだけでは訓練にならないと思うようになってきた。

 私の恩師のテキスト49Pに共感性(傾聴のポイントとして、受容、共感、純粋と一致ということを言われるが、その大切な共感)の訓練として、次の言葉が書かれている。

 一番重要な訓練方法:日常生活での自分の感情のあるがままを倫理・道徳を超えて、あたたかく、優しく自己肯定しつつ、一旦受容できますか?

 これは、賛同ではなく、在るがままを優しく認めるという受容の訓練にもなるので傾聴の訓練としては非常に重要なのだろう。

 当然ながら、私もこの言葉を意識し、事ある中で反省しつつ訓練を積んでいる。しかし、簡単ではない。

 自分の中には感情の曼荼羅がをある。そして、それを引きづられず観る目を養う。先日訪問した長谷寺や室生寺の曼荼羅や曼荼羅図。なぜ曼荼羅を作ったのか。その意味が少し分かったように感じた。

 傾聴のこの大事な訓練方法。これからより意識していきたい。

 傾聴 1/10

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日本人独特のいやされかたを考える!(生き甲斐 10/10)

2013-03-17 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今日は府中で勉強会があるので、昨日はその準備をしていた。今回は丁度、伊勢・奈良・飛鳥・吉野の旅を終えたところでもあるので、U先生の日本人のアイデンティティを拙いかもしれないが触れてみたかったのである。

 想えば、今回の旅は神社仏閣の旅といっても良いかもしれない。伊勢神宮(外宮、内宮、別宮)、大神神社、天香具山、室生寺、長谷寺、山田寺(飛鳥資料館)、飛鳥寺、金峯山寺、唐招提寺、秋篠寺、西大寺、考謙・称徳天皇陵。

 自分もそうだが祖先たちが参拝し、何かを感じ元気になったり平安を感じた由緒正しい場所でもある。

 昨年は、私は海外旅行を10数年ぶりにした。そして、教会や廟なども参拝した。そんな経験と比較しつつ日本独特(不思議に落ち着く)の、U先生によると6つの特長を考えてみた。先祖が長い時間をかけて形成した、生き抜くための不思議な特性といっても良いだろう。

 伊勢神宮、室生寺、大神神社、天香具山、金峯山寺で感じた自然の厳しさと清浄。禊(みそぎ)と祓いが底に流れているのでは。禊橋を渡ったりすると、私はカトリック信徒だが四旬節の祈りを感じてしまう。静かな祈りの場では幽玄の美を感じてしまう。

 8世紀に今のスタイルが確立されたとされるシンプルで清々しい鳥居。何百年、1000年以上の歳月をかけ、いたんだりしていても、大切にされ、できるだけそのままで安置されている建物や仏像。何ともほっとする自然な情感は、侘び寂(さび)の世界につながるのだろう。

 私はご朱印帳を持って旅をしたが、案内所でご朱印を頂くときのちょっとした会話は楽しかった。自己肯定・他者肯定の会話は魂の会話かなと想った。これは、もののあはれなのだろうか。

 恥の文化ということも感じる。オンかオフの世界と違い、グレーな感じの文化であるが、優しいだけでなく背骨もしっかりある。

 おかげ横丁のような楽しい場所があったり、とても親切でビックリするようなパンフレット。甘えの構造というか、そんなことを感じてしまう。

 自分の生き甲斐を考える上で、日本人である私の6つの特性について、今後も楽しく勉強していきたいものだ。

 生き甲斐 10/10

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生まれた年から観えるもの! (生き甲斐 9/10)

2013-03-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 唐招提寺の南門に掲げてある勅額が孝謙天皇の直筆であることを知り、その書をとおしてのお人柄を空想したりしてる。

 ある方は、男のような字という感想を言われたが、私もそんなことを感じる。さらに、母の光明皇后の天衣無縫のような明るい字とも違い、ちょっと暗めで抑制の効いた字であることも感じた。

 さて、最近生まれた年の意味を「生き甲斐の心理学」の学びを通し良く考える。生まれた年は、当然ながら本人の記憶はない。しかし、人生を左右するような人格形成はすでに始まっているのだ。もちろん親との関係もあるが、大雑把に時代の背景の影響も性格形成(深層心理も含め)にとって凄いようだ。

 生まれた年をWikipediaで検索すると、当時の情報がかなり詳しく出てくる。私の場合も1951年を観るとすぐわかる。1951年は、安保条約ができ、サンフランシスコ講和条約が締結され、マッカーサーが解任されるなどが大きなポイントだ。朝鮮戦争の勃発による大きな時代の流れが始まる年といってもよい。戦後すぐの占領時代からちょっと明るい日差しが垣間見られる時代。アメリカの政策で一喜一憂する世代かもしれない。

 話を元に戻そう、孝謙天皇が生まれた718年を調べてみる。詳しい情報はあまりなかったが養老律令が藤原不比等により選定を開始する年となっている。藤原不比等全盛の時代なのだ。それが、どう性格形成に影響を与えたのだろうか?父も母も不比等の影響はものすごいことは想像できる。孝謙天皇の人生は藤原氏に振り回された人生といっても良い。女性で初めて皇太子になり未婚を通さねばならない人生。藤原氏に政権を牛耳られるが、天然痘で藤原氏が没落。その後、仲麻呂の乱で政権を取り戻すが道鏡事件など不思議な事件も続く。

 こんなふうに、生まれた年を思索すると、いろいろ見えてくることがある。そして、人の身体は神の神殿とか人間に宿る仏性とか・・・いろいろあるが、自己肯定・他者肯定の視線で考えると、人の生の不思議さや美しさが見えてくる感じである。私にとって、生まれた年を思索することは、人嫌いになるのではなく人好きになる修行のようだ。

 生き甲斐 9/10

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