イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

信じて見える世界の幸福感!(時の旅③ 2/10)

2013-10-21 | 第七章「光と復活体」

 台風の接近の前ではあるが、爽やかな快晴の朝に今朝は小躍りし、早朝から散歩をしてしまった。

 残念ながら富士山は雲をかぶって良く見えなかったが、透明感のある大気は素晴らしかった。そして、のんびりと散歩をしたが、野猿街道沿いの熊野神社のお地蔵さんが何故か今日は目に入った。随分ご無沙汰をしていることもあり、早速境内に。境内には大銀杏があり、その前に看板があり大銀杏の説明が書かれていた。今まで読んだことはなかったが気になって熟読した。

 

 それによると、文久2年(1862年)の大銀杏献木のいきさつについて詳しくしるされていた。もう150年以上のことである。神社の近くに住む市兵衛さんとワタさん夫婦が、女の子を授かりますように熊野神社で心を込めて祈ったところ、クラさんという女の子が生まれたとのこと。それで大喜びし、感謝とクラさんの成長を祈願して銀杏を神社に献木植樹されたようだ(詳しくは写真をクリック)。

 大銀杏を通して見える木漏れ日。爽やかな大気を喜ぶような梢。小さな神社ではあるが、とても素晴らしい幸福感のプレゼントをいただいたようである。

 科学万能のように見えた時代も、今や綻びはじめ、今はもう一度宗教とか哲学が見直されている時代になってくるようだ。私は生き甲斐の心理学を学んできたが、その中で何かを信じることの重要さ、精神力動の大きさにいろいろ感動することが多い。

 何かを信じて見える事。150年前の夫婦は、生き甲斐の心理学でいうと幸福曲線(明るい感情)が見えてきたのだろう。そして、銀杏を通し神社や地域にも幸福曲線が伝わり、150年以上大銀杏は大切にされてきたのだろう。

 私は10年前に会社を辞めて、まったく別の世界(福祉とか非営利活動など)に飛び込んだが、その中で信じて見える世界の豊かさを、いろいろ知った。私自身も、以前大銀杏ではないけれど、信じて見える世界の有りようにも触れることができた。その体験は一生わすれない体験だが、市兵衛さんとワタさんの喜びにも似ていてかもしれない。

時の旅③ 2/10

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幼いころの生育史を自問自答しつつ、自分の癖をなおす!(時の旅③ 1/10)

2013-10-20 | 第七章「光と復活体」

 130億年前のことなど妄想を楽しんだ、この週末もまもなく終わり、明日は月曜日である。今は、昔のサラリーマン時代と異なり、定休日がないのでブルーマンデイもない。しかし、今日は幸福感と隣り合わせの地獄というか、そういうものを考えている。

 私の場合、信頼し人間関係が深まってくるなかで、突如、不信感が芽生えていく不思議な現象がある。それは、生き甲斐の心理学を学び始めた頃は謎であったが、何かのきっかけで深層心理(無意識)から起こる問題だったようだ。数日前に私が幼い頃噛み付き癖があったことを述べたが、成長してからは流石に噛み付きはしないものの、暗い感情に支配されることは継続していたようだ。

 そうした、幼いころの噛みつきの記憶を辿っていくと、乳離れの時期まで行き着く。母から、何年か前に当時のことを聴いたりして理解を深めたが、不思議に鮮明に覚えている当時のいくつかの光景があり、それを解釈してわかったのは、私が2歳くらいの時の母子の戦い?が後を引いているということだった。

 歯が生えてくる時期になっても乳離れができず。母は困ったそうだ。そこで、怖いお化けを胸に書いて脅したり、苦い薬を乳首につけ止めるように仕向けたそうだ、その母の努力でついに私も止めたが、そのときの恐怖というかネガティブな感情が後を引いたようだ。何かの時に、信頼し幸福感に包まれている間がらの中で、その人に向かって疑惑感のようなネガティブな感情が湧き起ってくる。通常は、そんなことはないのだが、何らかの状況の中(通常幸福感の中)でスイッチ?が入るのだ。

 生き甲斐の心理学を学び、自分の感情を意識するようになってくると、自分でも理不尽で良く判らない感情の波を意識できるようになる。そして、そのパターンを自問自答していると、50年60年前といった生育史の問題が見えてくる。そして、ただそれを意識するだけで、不思議であるが、ちょっと病的な傾向が治っていくようだ。また、こうした場合、私の場合は感謝のこころを大事にしたり、意思力を思索するのが良いようだ。

時の旅③ 1/10

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少年・少女のころの傾向と渇望は続く!(時の旅② 10/10)

2013-10-19 | 第七章「光と復活体」

 小学校の高学年のころ、私はスカイウォッチャーであった時期があった。これは中学2年くらいまで続いたが、天体観測で土星や木星を観たり、太陽の黒点を観たりし、ぞくぞくし地学部に入って活動もした。しかし、高校生くらいになってから興味が他に移ったこともあり、より専門的に天文台に行ったり、ほうき星の観測をしたりすることはなかった。

 さて、昨日はボランティア友達のお誘いもあり、三鷹の国立天文台に始めて訪問し、いろいろ丁寧なご説明をお聴きしつつ見学したり、夜はミニ講演会まで参加させていただき、少年の頃の感動が再び湧き起った。もちろん、技術水準は格段に進み、最先端の観測技術にはひたすら驚いた。

 研究も、太陽系外の惑星(すでに900見つかっているそうだ)の研究とか、ビックバーンの137億年前に近い星の光の研究から、130億年前とかの宇宙の創世記の研究など夢のようであった。また、来月から12月の初旬にかけて、アイシン彗星が期待できることも知り、天体観測の興味も急加速。

 現在の私は、NPOで生き甲斐の心理学の普及に精進しているが、考えてみれば少年の頃の傾向は、その後、紆余曲折しながらも続いているように感じる。自分の基本的な傾向と渇望は、心理学の法則にもあるように、現実化しつつ維持・強化しつつ何かを目指す。そして、私の場合は「生き甲斐の心理学」を中心に、人の心の神秘をこれからも探求し、世のため人のためになればと願っている。もちろん死んでからも、天国でこの仕事を続けたい(笑)。

 蛇足だが、映画「舟を編む」は最近見た映画で一番感動したが、その中で生涯を辞書作りに専念した老学者が死ぬ間際に「あの世でもこの仕事を続けたい」という感動シーンがあった。生死を超えて飛翔するような魂の仕事。その思想はかなり人類にとって普遍的かもしれない。アカデミー賞に日本からは「舟を編む」が推薦されたという。是非アカデミー賞をとって欲しい。

  

 時の旅② 10/10

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へんな行動もポジティブな意味が・・・(時の旅② 9/10)

2013-10-18 | 第七章「光と復活体」

 上野動物公園でプレりードッグを見ることができて幸せであった。愛嬌のある動作・行動を見ていると、本当に和むというか、顔の筋肉が緩んでくる。プレりードッグは北米のプレりーに繁殖した動物のようだが、厳しい自然の中で、何でこうまで人を和まらせるかちょっと不思議だ。

 余りに可愛いので、フェースブックやYouTubeに掲載してみると、結構反響があり嬉しく思う。多くの人に愛されるような可愛さがあるようだ。

 さて、人には様々な行動のくせがある。プレリードッグのようにホラホラと人に見せたくなる行動がある一方、自分でも違和感のある行動や、人様が観るとへんだなと思うようなことも。

 私には幼いころから小学校1年生ころまで、人の手の甲を噛み付く癖があった。何か愛情を受けられずもやもやすると、ひたすら手に噛みついて離さない。そんなへんな行動だ。自分の心の内をうまく伝えられないもどかしさもあったのだろう。

 こんなこともあった。幼稚園に通園し始めたころ、母が迎えにくるかわりに伯母が迎えに来てくれたことがあった。母が来なかった寂しさもあったのだろう、その怒りを伯母に向け噛み付いてしまった。噛み付いてずっとはなさなかったが、伯母は対処方法をすでに身につけられていたのか優しく鼻をつまんで息ができないようにするのだ。それで、噛むのを止めても、そのあとは結構優しくしてくれた記憶がある。

 この伯母さんには、それからも、武蔵野のお住まいに遊びに行ったりして大変お世話になったが、何年か前に大病に伏せられてしまった。一度病院にお見舞いに行かせていただいたが、そのとき噛み付いたことをふと思い出し、伯母さんの手を、ちょっと戸惑ったが握らせていただいた。昔と同様に暖かい手であった。残念なことに、しばらくして伯母は帰天されたが、私のちょっとした成長を天国で喜んでくれているかなと、ふと思ったりする。

 動画には決してならない、私にあったネガティブな不思議な行動は、今考えると何かポジティブな大きな意味があったように思う。U先生もテレビで裏の行動の意味をポジティブに思索することを勧めていらしたが、本当だと思う。

 時の旅② 9/10

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イメージが変わる:魚のような北極熊!(時の旅② 8/10)

2013-10-17 | 第七章「光と復活体」

 昨日は久しぶりに上野動物園に行った。台風一過のあとの気持ちの良い風と日差しで、爽やかな時を過ごすことができた。しかし、久しぶりに行ったこともあり、上野動物園の変貌ぶりに驚いた。考えてみれば、20年ぶりくらいなのである。

 その中で、感動したのは北極熊であった。水槽が地下から覗けるようになっていて、北極熊の水中の様子が良くわかるのだ。

 そして、巨大な北極熊が水中に飛び込んだり、泳いだりする姿は圧巻だった。熊のイメージが随分変わった。考えてみれば、アザラシなどを捕食するのだから当然なのであるが、ヒグマをはじめ他の熊のイメージで、のそのそ歩くイメージが頭にこびりついているようだ。

 調べてみると、遺伝子的にはヒグマと約15万年前に分岐したようだ。ちょうど、ホモサピエンスが誕生したころなのである。そして、水中での捕食に随分特化していったのだろう。

 なんとなく植えつけられたイメージと実際が違うことに驚愕することは、最近多くなったようである。時代の変化がものすごいからかもしれない。遺伝子関係もあるが、コンピュータ関連の進歩も凄い、歴史等の文化系的な分野も、新しい学説等で随分様子が違っているようだ。

 さて、2-3年前に、私の父方の祖先を調べていたら、瀬戸内海の某島に住んでいた事がわかった。親戚の伯父さんも、半分冗談で海賊だったかも・・などと言っていた。そんなことで、どんな暮らしを当時していたのだろうか気になっていたが、最近網野善彦さんの「海民と日本社会」という本を読み始めていたら、百姓や祖先のイメージが随分変わった。自分の父方の祖先は海民だった可能性が高いが、どんなだったのだろうか?妄想は尽きない。

 自分がいつのまにか身につけてしまった考え方やイメージは、考えてみれば、正しいかどうか本当は疑わしいことが多い。しかし、それに囚われてしまい、人生の様々な局面で、それゆえに変に悩んだりする。自分の立ち位置を変に卑下したり尊大になったり。

 生き甲斐の心理学でよく言われる。「体験の解釈が世界を変える」がある。解釈が変に囚われてしまったために、人生に悔いを残す。できれば、時々悩みを分析し、理想や現実の解釈を柔軟に吟味できればと思う。

時の旅② 8/10

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