イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

今日は一日、心の旅!(異文化と愛 ② 8/10)

2014-10-25 | 第九章「愛」

都内の修道会(黙想の家)で、生き甲斐の心理学や自分の信仰について、今日は一日のんびり考えようと思っています。昨日は、縄文ビスケットをいただき、とても刺激的な半日でした。

日々、様々な感情が湧いてきます。明るい感情もわきますが、暗い感情も。最近気になっているのは、新宿の熊野神社に行った時に、近くの十二社の池を埋め立てて出来たオフィス街を散策しました。中野長者の娘が大蛇になってしまい、十二社の池に住んだという伝説があるところです。その時にわきおこった何ともいえない感情。そのスペクトラムは、エリクソンが指摘する8つの感情のどれだったか。

不信感、恥辱ー疑惑感、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感。

そんなとこから、今日一日スタートしてみたいと思います。一年に一度あるかないかの自分を振り返るチャンスになればと思います。

異文化と愛 ② 8/10

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私の愛は縄文製?!(異文化と愛 ② 7/10)

2014-10-24 | 第九章「愛」

 昨日は、久しぶりに都心に行ってきた。そして、招待券を知人に頂いたこともあり、上野の日本国宝展に夕方行った。縄文の中空土偶や九州の金印が来る11月後半を予定していたが待ちきれなかったのだ(寒いのですいているかなという臆測もあり)。

 そして、閉館の前のもう殆ど人のいない会場で縄文の女神(尖石縄文考古館)と合掌土偶(八戸市埋蔵文化財センター是川館)を心行くまで観させていただくことができた。今回の国宝展、私が既に観たことがある仏像等を再び拝観して感じたのだが、国宝が現地から観賞のために移動することで、しっかり拝観(例えば360°で見られる)出来る反面、そのアースフィーリングというか背景の独特の雰囲気が消し去られるというマイナス面もある。

 例えば、縄文のビーナスが、竪穴式の神殿に置かれ、香炉型土器の中に揺らめく炎の元で観賞するのとどう違うか?きっと表面の雲母は不思議にきらめき、住居の香りや祈りの音・・・生命(誕生から死)の神秘を伝える女神はますます輝きを増すのだろう。

 展示会のテーマが「祈り、信じる力」であったが、祈る対象があってもアースフィーリングのような背景がないと、ちょっと寂しい。とは言え、素晴らしい展示会で、多摩のストーンサークルの近くで発見された土偶の一部が中空土偶に似ていることもあり、その展示がある11月下旬にでも是非再訪したい。そのころには弥生時代の「漢委奴国王」金印も来ている。

 さて、昨日は電車の行きかえりの中で上田篤さんの「縄文人に学ぶ」(新潮新書)を拝読させていただいた。専門は建築だそうだが、30年間ライフワークとして縄文を研究された方ということで、沢山の学びがあった。特に、日常的な衣食住のところで教えられた。

 例えば、私の育った祖父母の家には仏壇・神棚があり、朝になると祖父母がチーンと仏壇にお供えしている音が聞こえた。こんな当たり前の風景も縄文の竪穴式住居からの伝統がありそうだ。また、住いは日本では南向きが好まれるが、これも縄文からの伝統だったようだ(女性が太陽の位置等を眺め、移りゆく気候を観るのに適していたとか)。縁側で祖母からお菓子をもらったり・・・そんな当たり前のことも縄文文化の影響があったようだ。

 ご馳走といえば、例えば正月の御雑煮やおせち料理。これも山海の珍味を味わう縄文からの伝統であろうし、鍋は一万年以上前の縄文土器からの伝統。さらに晴れの日に使う漆器も9000年前のもの遺跡から見つかっている。勿論、これらは世界の四大文明(世界的には支持がなく死語になりつつある)より遥か以前である。

 一万年続いた縄文時代では戦争もなかった、妻問い結婚を中心にした母系社会の伝統は、芸術的にも萬葉集や源氏物語をうんでいく。平和の思想も、ベトナム戦争当時の、Make love, Not war! のヒッピー文化の超さきがけだったようなところもあったようだ。

 勿論、様々な渡来してくる人の影響や外部からの圧力もあり、弥生時代、古墳時代、そして天武・持統朝のころの律令制で変容していくが、縄文は未だに残っている。そして、心の健康に強く関係する愛の原形*1として私たちに、大きな影響を与えていると思う。愛の原形は主題が例えば平等院の雲中供養菩薩としても、それだけでなく、その背景の建物や宇治という土地から醸し出される五感からくる雰囲気があって、はじめてなりたつ。

 *1 愛し愛される方法がそれぞれ人により違いますが、その違いを生む元の形を<愛の原形>といいます。(生き甲斐の心理学 8ページより)

異文化と愛 ② 7/10

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180°解釈を変えると・・・・・(異文化と愛 ② 6/10)

2014-10-23 | 第九章「愛」

 今日は、冷たい雨が降り寒い。そんなことで、ちょっと憂鬱になったが、「マッサン」では鴨居社長がワインの爆発騒動の中でも何か元気!そして、その元気をいただいたようだ。

 物事を、どう解釈するかは実に不思議なところがある。U先生の「生き甲斐の心理学」では、よくコップの水の喩えがでてくる。同じコップに残っている水を観ても、もうこれしか残っていないと解釈する人もいれば、反対にまだこれだけ残っているではないかと解釈をする人もいるのだ。

 さまざまな現象を、どう解釈するかは実は本人次第であり、観点や本質の把握の仕方などにより、それこそ180°展望が違ってくることも。

 心の問題で重要な生育史上の愛の原形に関しても、解釈の仕方で随分違ってくることがあり、これまでネガティブに意識していたのが、ふと解釈が変わり宝物に変わることも。

 小学生の低学年の時に溺れそうになり父に危うく助けられたことがあった。それは自分の大きな体験だったが、周りの人から「よかった!」とか「お父さんは凄かった」等言われても、何か屈折していてネガティブな印象すらもっていたところがあった(感謝はいちおうしていたが)。父と子の関係は意外に複雑で、どこか心に蓋(抑圧)をしていたりする。それは自分でも訳がわからないところだった。それが、この「生き甲斐の心理学」を学びつつ、自己を受容していくと、その時の抑圧していた感情がふとよみがえったり、あるいは時間の距離を置くことで、幼いころに凍結処理していた解釈が変わってきた。

 あんまり思い出したくない過去も、のんびりと無理のないところで反芻していると、宝物のような体験に変わることがあるのだ。

 さて、こうした生育史の見直しにちょっと似ているが、今、縄文時代や縄文語、アイヌ語、遺伝子研究、比較宗教学などに興味深々なのだ。傍から見ると変なおじさんというところだが、生育史から考えると深い必然性があるように思えてならない。

 私は、幼児洗礼を受けたカトリック信徒であるが、青春時代は理科系男子で、デカルトの神の証明理論などに到底納得せず、トマスよりも疑惑感が強くカトリックから離れてしまった。しかし、宗教や哲学はどこか好きで、東洋思想などに凝った時期もあったが・・・。それが、40代後半のある悩み多い日に突然クリスチャンに返り咲いてしまったのだ。

 このことは、自分でも実に不思議で、それをU先生の心理学に求めていたが、追及しているうちに最近は、日本人の心性、縄文の心性、現世人類の心の原形研究も必要に感じるようになってしまった。今朝もアイヌ語の単語を親しみをこめていろいろ眺めていたり。

 何故私が(おそらく4万年とか日本に住みついている祖先をもつ私が)キリスト教がなじみにくいといわれている日本で、意識してクリスチャンになってしまい、クリスチャンとして生きて行こうとしているのか?この謎は私には今までの常識では解明できないことだと思っている。

異文化と愛 ② 6/10

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都会的な景色の奥に縄文を感じる時!(異文化と愛 ② 5/10)

2014-10-22 | 第九章「愛」

 今日のマッサンは、心の蓋(ふた)がテーマだったようだ。心理学用語でいうと抑圧なのだろう。「娘の気持ちは親が一番わかってます。」という母親に対し、優子さんは結婚がいいかどうかわからないと思い始める。一方、心の蓋など関係なさそうな、鴨居社長も金魚占いをしたりするなか、ゴンドラの歌を口ずさみはじめる。何か心の蓋の問題なのだろうか?

 U先生の「生き甲斐の心理学」ではフロイトの14の勉強をするが、こころの健康にも大きな影響を与える抑圧は、悔いの無い人生を送る上でも生涯のテーマのように思う。

 さて、この2-3年、私も優子さんではないが、自分が住んでいる(いた)所、自分が生きている時代、自分と祖先が生きてきた時代を意識するようになってきた。平たく言えば、時間と空間という中核をもった自分の生育史だ。人から与えられた生育史ではなく、自分で認識する生育史だ。

 昨日は、つつじヶ丘で勉強会があったが、帰宅してから好きな近くの愛宕神社周辺を散歩した。一番好きな愛宕神社の裏の見晴が良い丘の上に立ったときは日も沈んでしまっていたが、富士山は雲がかかっていたが、縄文の人が愛していた丹沢の最高峰、蛭ケ岳が綺麗に見えた。そして、縄文の人が死と再生を感じたように、私も何かスカッした気分になる。

 蛭ケ岳   蛭ケ岳と右側に雲がしっかり覆った富士山

この一帯は縄文の香りが漂うところであるが、神社も愛宕神社は縄文系の火の神、カグツチを祀っているし、麓ちかくにある賽の神の祠や熊野神社もどこか縄文を彷彿とさせる。

 私は、都心から多摩に移り住んで30年になるが、多摩の歴史に興味を持つようになったのはこの1-2年である。多摩だけでなく、育った四ツ谷や新宿に興味を持つようになったのも最近である。歴史に深く興味を持つようになったのも5-6年なのだろう。それまで、自分が住んでいるところは何であり、自分が生きているときは何であるが、根源的に問うことはなかったかもしれない。

 まるで、優子さんのように、心に蓋をしていたかもしれない。まあ、生きるためにメシを食べるために蓋をしなければならなかったのかもしれないが(ある意味で暇が必要)。ある種の驚きを感じてしまう。

 自分が何であるか。宗教や哲学で大切に考える必要はあるが、臨床心理的にも何であるのか大切に考える必要はある。それは生育史が様々な日常の変化の中でストレスの大きな要素となることは確かであり、その対処方法の鍵も生育史にあると思えるからだ。

 冒頭の写真は、帰りの坂道から多摩ニュータウンの夜の光を映したものでだが、ディズニーランド的な美しさの奥に縄文からの息吹を感じようで、なんとなくもののあはれを感じてしまう。

異文化と愛 ② 5/10

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囚われずに大木のように生きたい!(異文化と愛 ② 4/10)

2014-10-21 | 第九章「愛」

 先日の四ツ谷勉強会(新宿で行われたが)で、長い歴史をもつ木(キ)という言葉を萬葉集で味わった。キという言葉は、各方言等から類推して、縄文時代古くまでキと発音していたようである。そして、木は日本人にとって聖なる何かであったのだろう。いや、それはもっと古く現世人類の歴史深く刻み込まれているのかもしれない。

 エリアーデは聖所を次のように説明する中で聖木について語っている。ちょっと長いが引用してみよう。(豊穣と再生 エリアーデ著作集2 せりか書房)

 「聖所」の概念に、聖木は不可欠である。石はすぐれて実在を表現していた。すなわちその金剛不壊と持続である。樹木はその周期的再生によって、秩序と生命の中にある聖なる力を表明していた。こうした風景が水によって完全なものとなったところでは、水は潜在的形質、胚種、浄化を意味していた。「小宇宙的風景」は時がたつにつれて、その構成要素の中の唯一つのもっとも重要な要素に、すなわち聖木または聖柱に還元されてしまう。木はついにそれだけで、表面は静的な形をとって、宇宙の「力」、その生命、その周期的再生能力を抱合した「宇宙」を表現するようになる。 (184P)

 ちょうど、縄文に興味を持ち、身近な縄文遺跡を覗いたり味わったりしているが、私の住む多摩も縄文時代は富士眉月弧文化圏で諏訪湖周辺と繋がっていたようだ。そして、御柱で有名な諏訪大社も何回か行ったが、木の神聖さをしみじみ味わえ感激した。そんな中、有名な大津皇子と石川郎女の有名な相聞歌を思い出したのだ。

  あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに (大津皇子)

  吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを (石川郎女)

 草壁皇子との三角関係とも言われる中での名歌であるが、萬葉集であしびきという言葉は、「足日木」と書かれている。勿論この枕詞の解釈はいろいろあり定まってもいないと思うが、私は木という当てた言葉に深い意味があるのではと思った。立ちつくす大津皇子のイメージに聖なる木を重ねると、実に深いものになるのではないだろうか。

 さて、今日の「マッサン」は優子さんのお見合いが主なテーマであったようだ。家とか・・・何となく環境からくる自己概念の中に自分を位置づけるのが、私も含めて普通の人のパターンであるが、それが偽りの自己というか不自然に自分を縛ってしまうことがよくある。そして、ヘンになっていくことも。

 そんな中、しめ縄が張られているような神木は、何にもとらわれず自由にのびのびしているように見える。自己概念に囚われヘンにならず、ありのままに生きる。愛そのものの魂がのびのび生きる。今日の優子さんの問題は縄文から続く問題なのかもしれない。

 

異文化と愛 ② 4/10

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