イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の衣服はカワセミのように美しかったか?(富士山を想う 7/10)

2015-05-20 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 富士山の神様と言えば、コノハナサクヤヒメという女神が有名だが、この女神はもともと九州の女神で、本来は別の女神だったのではないかと妄想している。

 縄文時代の信仰はいろいろあったと思うが、中期の土偶、縄文のビーナスなどを考えれば、女神であったと想像するのはさほど間違いはないようだ。これは、世界的な現象で、時代が遡れば遡るほど女神=地母神信仰となるのが定説のようだ。

 さて、現代は女性の社会進出が世界の先進国と比較すると遅れているとよく言われるが、日本の古代はどうも女性はもっと社会進出が盛んだったようだ。もともと日本は母系社会とか双系社会だったようで、少なくとも女性は古代は輝いていた。

 有史時代になり7-8世紀ころは有名な女帝の時代だった。その中でも持統天皇などは、政治の中心的人物として大きな影響を今に至るまで及ぼした(律令制、官僚制、伊勢神宮の遷宮、火葬など)。因みに持統天皇の時代は、日本だけでなく中国や新羅も女帝の時代で、則天武后や新羅の善徳・真徳女王も有名だ。

 今日は富士山のコノハナサクヤヒメから女性に関心を集中してしまったが、人は男と女からなり性の問題は人類の歴史とともにある。そして、性欲は本能として人間の根本的な性格のようなものである。これは、他の生物を見回しても同じで、子孫を残す性欲は根源的なものとすら思えてくる。そして、今の日本もファッションも世界ではかなり先進国のようだが、縄文時代のファッションも当時としては最先端でなかったかと妄想している。

 残念ながら酸性の強い日本の土壌に埋もれる遺物では石器とか土器しか残リにくい。美しい衣服などは残らない。しかし、その中でも、黒や赤の色彩を持つ漆の存在も一万年近い歴史があることも判っていたり、美しい女性の装飾品も発見されたりしている。染織技術も土器があるくらいなので無いことはないだろう。

 衣服は、保温や身体を保護する機能があるが、本能からくるファッション的な機能も必ずあると思う。衣服の起源はDNAの研究から今から7万2千年前と言われている。ホモサピエンスがまだアフリカにのみ住んでいた時期だ。それから、日本に辿りつき縄文文化などを花開いていくのだが、当然ながら土器だけでなく衣服も、ファッション性豊かだったと考えるのはおかしいだろうか。

 写真のカワセミは縄文時代の土偶として存在する(釈迦堂遺跡博物館)。カワセミの美しさに心を動かした縄文人はカワセミのように美しい衣服を着ていたかもしれない。

富士山を想う 7/10

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あなたは富士山タイプ、二上山タイプ?(富士山を想う 6/10)

2015-05-19 | 第五章「和解と平和」

 8世紀に日本の根幹となる法律・律令が完成していくが、調べてみるとオリジナルの中国と違い、大宝律令や養老律令は実に不思議な構造をもっているようだ。上皇と天皇の二つの建前上の主権が想定されていようだし、実質の権限は上皇・天皇ではなく太政官に集中していて、天皇はそれを単に承認するだけなのだ。

 それは、制定当時の持統上皇(女帝)ー文武天皇ー藤原不比等、元明上皇(女帝)ー聖武天皇ー藤原不比等といった政権中枢の構造をうまく投射しているようである。

 ところで、関西に行って、眼につく山で印象的なのは奈良の二上山なのだが(アベノハルカスから見晴したりすると・・・)、御岳と雌岳のある優雅な二上山は、大津皇子の墳墓と大来皇女の歌で有名だが、当時の天武天皇ー持統天皇(女帝)ともどこかで繋がるようで、夫婦とか兄弟、親子といった濃密な関係を彷彿させる。

 関西はそうなのだが、東の富士山は有名な独立峰である。日本でこれほど愛されるのも、その美しい独立峰ゆえかもしれない。「私は私」と宣言し美しいカーブの裾野を持つ。

 さて、心の世界では、自分と他者の葛藤で悩む方が多い。独立峰は理論的には判るが、やはり何となく二上山タイプになったり、連峰タイプになったりする。これを、フロイトの防衛機制で考えると、自分のこころを安定させるために、無意識に感情転移をしたり、置き換えをしたり、摂取をしたり・・・まあいろいろあるわけだ。生き甲斐の心理学を学ぶことで、こうした不思議な心の機制が自分を捉える事例などを知ったりする。

 そうした科学的な心理学の知識も大事だが、表裏の問題として哲学的な部分も大事だと思う。愛とは何か、自分は何のために生きているのか・・・

 こんな思索を含めて、今日の私は富士山タイプが良いかなと思うのだが。皆さんは如何でしょう?

富士山を想う 6/10

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日本人は魂をどう表現するのか?(富士山を想う 5/10)

2015-05-18 | 第八章「魂と聖霊」

 7月に勉強会でまた関西に行く予定であるが、今度はどこに行こうかなど妄想する中で、養源院が出てきた。

 富士山をどのように表現するかということは、この一年ずっと気になっていたことだ。文学者や画家などいろいろ表現しているが、最近気になったのは俵屋宗達の業平東下り図の中の富士山だ。宗達の中では余り有名でないが、ひとめみて何かを感じたのだ。その宗達の杉戸に描いた絵が養源院は有名なのだ(業平東くだりは無いが)。存在感のある白で塗られた素朴な富士。先日ふじさんミュージアムで拝見させていただいた富士吉田市の北口浅間神社の奇祭に登場する富士山の御神輿のようなダイナミックイメージがシンプルな富士の中に感じたのだ。

 奇祭では1トンの富士山の御神輿を街中でどんと落とすのが有名であるが、静かな富士ではなく、宗達の富士山は何か生命が漲るというか魂の表現といった感じなのだ。

 そもそも、宗達の生涯は文献が殆ど残っていないらしく謎なのであるが、湯川秀樹著、続天才の世界によると、石川県能登の出身とかで、長岡の縄文中期の土器(火炎土器と言われることが多い)との類似性の話も出ていた。縄文時代の伝統が中世に突然降ってきたのだろうか。

 さて、表現と言えばだれでも考える言語表現。日本人は言葉をコトダマと捉える伝統があり(結婚式の忌み言葉などは今でも・・・)、それは江戸時代の鉄漿もあるが、縄文時代の抜歯の風習もコトダマと関係したのではないかという説もあり、実に深いものがある。もちろん、これは日本だけの話ではなく旧約聖書のプネウマ(聖霊)など、世界的にあり、ホモサピエンスの歴史の中ではXX万年といった古い歴史をもっているかもしれない。

 そうした古代の人々は魂をどのように解釈したのだろうか。私は、愛そのもの・・・といったような肯定的なものととらえていたのではないかと推察している。それゆえ、コトダマを大事にし、抜歯とか鉄漿で邪気を防いだのかもしれない。今はとにかく、一昔前でも小津安二郎さんの東京物語のような美しい日本語もあった。魂を表現する大事さ。長い間日本に住む先祖たちが大事にしてきたことを忘れてはならないと思う。

富士山を想う 5/10

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欲求が変わり、行動パターンが変わる恐ろしさと知恵!(富士山を想う 4/10)

2015-05-17 | 第一章「意識と知覚」

 写真は西湖いやしの里からの富士山である。いやしの里は先日お話したとおり、土砂災害で壊滅した根場集落がみごと再生したものである。今回、いやしの里にある砂防資料館の写真や、パンフレットにもある昭和13年当時の写真と現状を見比べ、大きく変化している点にあらためて驚いた。

 棚田とか水田とか、それが昔はあって今は殆ど無い。

 さて、昨日は鎌倉の山崎の谷戸のフィールド・説明会に誘われて参加させていただいた。そして、今は鎌倉市中央公園となっている、その地の里山保全のお話も含め興味ある勉強ができた。

 根場集落の変化も最近気になった点であったが、私が生まれたころは、まだ農業など第一次産業が元気だった。ちょっと都会を離れれば、それこそ田舎の匂いが充満していた。都会から離れなくても、街には炭屋さんがあり、家でも普通に炭を使っていたもんだ。

 それが、変わってきた。燃料は急速に石油に替わり、炭などはどんどん使われなくなった。当然ながら、縄文時代から続いてきた山を燃料資源とする視点が失われ、もちろん建築材としての価値も低下したのだろう。そして、例えば間伐など手間を掛けなくなった山は、災害の温床となりつつある。同じように、食糧を支えていた水田は、後継ぎの問題などを抱えている。しかし、NPO法人等が、そうした流れに伝統的な技能を継承し活躍しているのは実に素晴らしい。何か大きな変化があっても、ノウハウが残っていれば心強いし、また縄文時代から続く精神的な何かを保全できるのだ。

 これは、特に戦後、人々の欲求・ニーズの変化により山、水田に対する人々のまなざしが変わり行動パターンが変わった例だと思うが、同じようなことは、個々人にもある。それは、どんなことがあるか・・・今日は、ちょっと考えてみたくなった。

富士山を想う 4/10

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都心に行くのも、富士山に行くのも掛かる時間は同じ?・・・(富士山を想う 3/10)

2015-05-16 | 第一章「意識と知覚」

 私の家から都心に行くにはだいたい一時間半くらいかかる。そして、年に何回も都心に行く。最近は職場が都心でないので、行く頻度が激減したが、それでも月に何回かは行く。

 そんな私が、縄文小説を妄想して、主人公を多摩の住人と設定し、都心や富士山、そして信州などに旅行する。すると不思議なことに、都心も富士山も距離的にはさほど変わらず、とっても違う時空間があることに気づいてしまった。

 私の中のかつての知覚?は都心はともかく、諏訪とか富士山は遠い存在(リゾートとか)だった。心理的には、そういう場所に行くには片道3時間くらいのイメージがあった。サラリーマン生活のお蔭で?私にとっての都心は心理学的にいうと私の一部で感覚が特殊だったのだ。

 縄文に興味をもち、信州や富士山に興味を持ちだすと、信州も富士山も都心のように自分の一部になり始める。自分の知覚時計も3時間から1.5時間といったように今では健全に修正されつつある(笑)。

 さらに、縄文時代をいろいろ思索すると、自分の一部である地上の交通(電車、車・・・)が揺らぎ始める。川とか海といった水上交通が意識にあがってくる。この前品川考古館ではっと気づいたのだが、例えば、近くの府中、大国魂神社は昔は武蔵の国の中心的な神社であったが、そのくらやみ祭りは品川沖から始まる。何故品川?と思っていたが、非常に簡単だ。多摩川の上流と下流なのだ。

 人は、自分の一部になってしまった習慣に助けられることも当然あるが、その反対に苦しめられることもある。そんな時、例えば私の経験のような都心と富士山・・そんな自分の中のマップを再構築するのはとても大事かもしれない。視野を広げると違う世界が見えてくる。

富士山を想う 3/10

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