田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

溶けては降る 雪景色が繰り返される 

2012年02月14日 | 日記

2月14日(火) 夜半の雪は止む 昼前から 再び雪 夕方には裏山も雪景色と化した

風邪気味で重たかった頭もスッキリとまではいかないが、サッパリとしようとY床屋や電話をした。鬱陶しい髪型と云うか短めに刈るのだが、正月明けにはと思っていたが今日に到ってしまった。店主Yさんは写真を通じて自然の草や風景、人情をカメラに収めていて、町の写真クラブの会長でもある。いつもより時間をかけて髪を刈ってもらい、話しもいろいろ撮影の奥義まで伝授された。帰りに社協へ寄ろうと思ったが、昼休みの時間に掛かるので今日は止めにした。

帰り道山裾の集落に近づくと雪がまっている。この二三日の晴天で道路の雪は溶け、山の木々に張り付いていた雪も落ちている。折角雪が溶けたのにまた、雪になると予定が狂うことになる。

 

落葉した木に春の雪が着くと花が咲いたように見えるのがよいが、これも度が過ぎると枝が雪の重みで折れることになる。降り続いている雪もしっかりと辺りを雪景色に替えた。重たい曇からの明るさはなく景色はモノクローム一色になっている。

こう言う景色を見ていると、その昔、カメラを手にしていたころ使ったKodakのTryXが懐かしい。当時は金が無く(今はモットナイからデジカメ)感度のよいフィルムを買うのも仲間と長尺のTryXを買い暗室で巻き直して分けた。今はフィルムを使わないデジカメなので、フィルムメーカも大変だろう。米国Kodak社は時代に乗り遅れ会社更生法を申請していると云うニュースが流れた日本法人は大丈夫のようだ。http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/index.shtml

 

夕方には雪もやみ、田圃越しの隣の集落には灯りが点りだした。山の向こうにはほんのりと赤く空に映しているのは佐久の街灯りだろうか。この時間帯は窓を開け放ちジッと景色を見るのが好きだが、家人やSalaには不評のようだ。俺は気温が低くても外の灯りの暖かさを感じるし、足下に纏わり付くAlgoは厚手の外套を着込んでいる。

雪面に 十字を映す 常夜灯 (哉) 

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如月の 梅の蕾も固く閉じ 

2012年02月13日 | 日記

2月13日(月)  曇り   中途半端な空  気怠さがつづく

昨夜の節々の痛みは朝には解消しているように感じだ。天気予報では晴れと云うことだと思ったが、朝からドンヨリとした空、今週は一気に解放されて外仕事に熱を入れようと思っていたがダメだ。

遅い朝飯を摂っていると、役場の車?が道路の点検にきた。俺は外に出る気は無かったので家の中から見ていたが、陥没?したカ所を盛んに指さして話している・これは一週間前2月7日に我が家への登り口の道路が陥没していると役場に電話をしたが、その後担当課が来て、雨水がアスファルト舗装の下に流れ込み、それが凍ったので持ち上がっている。春になると溶けるので道路の段差もなくなります。と云って帰った。

俺が見たところでは道路が持ち上がったのではなく、水路全体が落ち込んでいるのと見ているが ・ ・ ・ 

http://blog.goo.ne.jp/kana655969/e/fabf9706caa2e5dcd4bc0bb5f63b766b

今日は何もしない一日と決め込んでのんびり過ごしていると、SalaとAlgoも珍しく各自のベッドで丸くなっていた。この二人の関係は不思議なもので、近頃は体の小さなAlgoが全てに主導権を握っているようだ。Salaは大きなからっだでも全てAlgoに先を譲るのが可愛そうに見える。

午後は何もしないのも ・ ・ ・ と昨日のイベントの記録を町活センターのブログに投稿した。しかし、誰が見ても手抜きのように見えるが致し方にだろう。

http://blog.goo.ne.jp/cyoukatutowntateshi/e/af06cebfd775d326f761d333321fa263

 

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守ろう地域 深めよう絆 ボランティア50名の集い

2012年02月12日 | 日記

2月12日(日)  快晴 風もなく  穏やかな一日

ボランティア集団・町民活動センターの年一回のボランティア活動発表会が開かれた。開会は午後1時30分からだが、11時にはスタッフが準備についた。会場の設営、受付の準備と12名が手分けをしてのことだが、12時過ぎには整い、オニギリの昼飯にありつけた。

開会前に50名弱の登録団体の代表が集まり、久しぶりに顔を合わせ懐かしく語らう人、真剣なまなざしで情報交換をするグループなど、この会ならではの風景が見られた。町活センターには48団体が登録しているが、中には高齢化で活動を中止している団体、活動はしているが僅かに会長と庶務の二人の会もある。

そう言う俺は、役場から借りたプロジェクターが想定外の単体だったので、俺のPCにあうケーブルの調達などに時間がかかってしまった。

開会の挨拶につづき日頃のボランティア活動を発表するトップバッターは、傾聴ボランティアで町内や近隣市町村の施設を訪問している『きくだけ会』会の名のとおりに聴くだけだけだと云う。

二番手は町内の集落西塩沢地区の「みずほふれあいネットワーク会」の発表となった。この団体には俺がパワーポイントで写真を投影することになっているが、説明するKさんと打合せをしたのが、昨日のこと実際に写真を見ながら文字の差し替えや、写真の順番を決めたのが開会直前だった。

三番手は「手話ダンスの会 エール」耳慣れた歌の歌詞を手話で表現して、それを振り付けとして踊りにしている。この手話は日本国内でも、共通語は少ないそうで、我々から見ると不思議だ。せめて日本語手話は共通させて欲しい。どういうところにボランティアに行っているか聞き逃したのが残念だ。

前半が終わったのは予定どうり、10分間の休憩の後、後半が始まった。後半の始めに俺がワークショップを担当する「リクレーション研究会」の紹介をすることになっていたが、朝からのゴタゴタと夕べからの風邪気味で調子がでない。

ワークショップは、テーマの「守ろう地域 深めよう絆」の『絆』を深く掘り下げ、日頃の生活の中、職場、地域、と様々な立場の人が語りあうことで絆には何が必要かを語りあった。テーマにだされた文言「挨拶・声かけ」「笑顔」「支えあい」等を、先ずは個人として必要順位を付ける。

個人の着けた順位を班としてまとめて、代表が発表するのだが、それが様までオモシロい。参加者は個人の人格をしっかり意識している人ばかりなので、グループとして一つに纏めるのはナンセンスと云う意見もあった。

 

全てのプログラムが終わったのは予定どおりの4時きっかり、片付けをしてスッタッフ12名で気がついたことを話し合い、次の集まりは25日小諸ボランティアセンターへ研修へ行くことを確認した。

今日のボランティア活動発表会の情景は右記のサイトでご覧いただきたい。http://blog.goo.ne.jp/cyoukatutowntateshi/e/af06cebfd775d326f761d333321fa263

家に戻ったのは5時、夕陽に淡く染まる浅間、春を呼び寄せているようにみえた。

浅春に 薄紅写す 浅間峰 (哉)

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コラボという名の 俄シェフと云っては失礼だが

2012年02月11日 | 日記

2月11日(土)  雪   晴れ  風は冷たいが春を感じる

朝陽が顔をだしても雪は止まなかった。雪が降ると云うほどのことはないが、昨日までに溶けた道もうっすらと白くなっている。

明日のイベントでプレゼンテーションするパワーポイントのスライドに文字を書き込むのだが、発表する当事者は「写真の説明書きを入れてください」とだけ云って、あとは当日 ・ ・ ・  書いては直す作業も出かける時間になんとか終わった。

たてしなエコ・クラブの仲間F君が上田のコラボ食堂で一日シェフをすることで仲間と向かった。昼定食が30食限定で予約をしないと食いっぱぐれるという触れ込みだった。

会場に着くと店は客で満席、僅かに空いた席にすわりシェフの手さばきを覗き込む。F君は将来自分で店を開きたいと聞いたことがある。どんな料理が出て来るのか楽しみだが、メニューには肉を使わない「野菜だけで彩る華やかチャイニーズ」《はじまる飯店》となっていた。

イベント的な一日シェフを謳っているコラボ食堂、HPで見ると「地域の食文化を伝える」「農家の想い」「安全・安心・おいしさ」「地産地消」を頭にだしている。http://ueda-collabo.com/

兎に角、なれないシェフとしては次から次にくる客へ急いでださなければならい料理に負われていたようだ。厨房の配膳台で鍋から器に盛るのも、イソガシでのご愛敬か、客席のカウンターに中華鍋を持って来てしまう慌てようだった。

 

メインの料理はともかくとして、デザートとしてだされたチョコレートは彼の相方Fさんの手作りのもので、トッピングのドライフルーツの配色がにセンスが見えた。甘さの中にも苦みが効いているチョコレート、コーヒーと紅茶を選ぶことができた。

F君は仲間内では料理好きでとおっておいるが、こう言う店で昼定食を出すのは初めてだろう。甘いデザートの反比例ではないが、辛口で表すと、折角のチャンスに色気がないのが残念だ。「豚がどっかに行っちゃった酢豚」としゃれっ気のコピーは良いのだが、豚肉の代わりに豆腐をつかっている。今の時期は野菜が少ないが、ピーマンやパプリカを使えば彩りは美しくなる。主菜の皿が白いので余計に茶色一色なのは旨味がない。また、店屋の定食となると主菜・副菜・添えが必要だろう。添えは根菜類のサラダが役目を果たしていた。味は?と聞かれれば確かに、酢豚的になっているが、今一パンチが足りないように感じた。また、信州ならではの漬け物がなかったのは残念だろう。昼定食800円と云えばサラリーマンには高値の華なのだから。

特筆すべきものはご飯は美味かった。彼が自ら無農薬有機で育てている田圃で取れた米だ。惜しいのは銀シャリに精米してあったが、玄米が難しければ五分づきの方が味が濃いのではないだろうか。

次回は3月10日だというが、町であるイベントの主催者側なので上田に行くことはできないのが残念だ。

 

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事務屋 庶務 渉外 といろいろあるが ボランティア

2012年02月10日 | 日記

2月10日(金)  晴れ  気温は低いが 春の明るさを感じる

 昨夜遅くにメールで送られて来た原稿をプログラムに填め込み、今朝になって文章を見なおしてみた。朝日は寒気に目映さを押さえられたのか年賀状にある日乃出そのものようだった。

ボランティア集団、町民活動センターのメインイベントのボランティア活動発表会が明後日になり、今日の午後にはプログラムの印刷をすることが歌獲られている。届いていない原稿を受け取りに行くと電話をすると、今はムリ、10時以降にして欲しいと云う。どの程度原稿が出来ているのかわからないが、町の北端まで車で走った。

結局、原稿は聞き書きと云うことで録音機も持たずに家をでてしまい、メモ用紙に書いたが、漢字が出てこない。パソコンに頼り切っている日常を思い知らされたが、今になって見れば、携帯の録音機能を使えば良かったと反省シキリ ・ ・ ・ 

昼飯も簡単に済ませて原稿を持って社協の印刷室に向かった。ここでは担当のYさんIさんが待っていてくれ直ぐに印刷となった。輪転機での印刷は写真やイラストをバランス良く印刷するのが難しい。

兎に角、印刷は次々に仕上がっていくが、それに比例して睡魔が押し寄せてくる。試し刷りで校正をして文言のおかしなところ、変換ミスなどを見つけ出すのだがデキナイ。アタマガ朦朧として ・ ・ ・ そんな俺の姿を見て社協のTさんがブラックのコーヒーを煎れてくれた。

プログラムの印刷は無事に済んだが、12日の日曜日このイベントは町内の人に呼びかけてあるが、どの位の人が来てくれるのだろうか?

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寒さは冬 風邪ではないと確信するが 

2012年02月09日 | 日記

2月9日(木) 曇り 一日中 ハッキリしない太陽 夕方からは寒い

朝の真っ赤な太陽から天気が崩れることを予感したが、案の定一日中ボンヤリと曇に隠れながらの寂しい陽の光が注がれた。昨日までの暖かさはどこへ行ったのか、一日中雪解けの水が屋根から落ちることはなかった。

日曜日のボランティア活動発表会のプログラムの印刷が明日だと確認のメールをもらった。担当のYさん、原稿が届いていないことを察しての心配りだろう。俺は準備万端で先週から電話やメールで督促をしているのだが ・ ・ ・ あまり効き目はない。

じっと待つのもイヤなので、机の下に放り込んである昔のパソコン用のパーツなどを片付けた。MOやDATの録音機などデジタルの奔りの物が出てきた。無線LANの初期型やMacに使っていたパーツなど不燃物としてはバチが当たる物ばかりだ。

本棚を占拠していたのが昔のPCソフト、今の物もあるが再び使うことはないだろう。MicrosoftもopenOfficeをダウンロードすれば事足りるものだし、PCの引っ越しソフトも今では新しいパソコンに同梱されている。これも段ボールに詰め込んで地下の倉庫へ送り込むのだが、廃棄するなら再び地下室から地上に運び上げる必要はない。かといって、今、今日ゴミステーションに運び込むのは少々勇気がいる。この未練がイケナイのは判っている。過去にも幾たびも事例を挙げられるが ・ ・ ・ 捨てた直後に探すことがあってはイケナイ。

昼近くになってリビングに戻るとガラス戸のところで何かザラザラと音がしている。近くによるとオツネントンボがガラス戸からシンビジュームに飛んだ。このところよく見るトンボだが、越冬するトンボとしては家の中は最高の環境だろう。餌もアブラムシを捕食するかは判らないが、新たに花を開いた黄色のシンビジュームにはアブラムシがいる。

暫く観察しているとオツネントンボは花びらの裏側にいるアブラムシを狙っているようだ。ジワジワと躙り寄っているのを見ると確実にアブラムシの方に向かっている。花びらの先に顔をだすと羽を持ったアブラムシが飛んだ。捕食されることを知ってか逃げたのだろう。羽を持たないアブラムシはトンボの視線から逃れようと反対側に歩き出した。このバトルは完全に越年蜻蛉勝ちだと確信できる。さもないと、このところ頻繁に家の中で彼らの姿を見ることは出来ないだろう。

Mが戻って来て遅い昼飯となったが、食事をしていると雪がとけたコンクリートのタタキにホオジロが盛んに餌を啄んでいる。雪での重みで草のみが地面に落ちた物を啄んでいるのか?見ていると数羽いる。統べてえがホオジロではなさそうで、中にはカシラダカと思うのもいた。

 

午後には2件の原稿待ちが届いたのだが、プレゼンの趣旨が判っていないかお思うモノがある。発表会と名打っているので音楽会などと勘違いしているのだろうか?

本番は日曜日「趣旨が違うよ」とメールをして良いのやら ・ ・ ・ 

心を鬼にして、メールをした。。

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雪も溶け出す 暖かな陽の光

2012年02月08日 | 日記

2月8日(水)  雪   晴れ   暖かな陽射し  夕方には冷え込む

二日間の暖かさで陽の当たるところは雪が溶けてくれたが、朝方の雪で薄く粉砂糖を振ったように白くなった。

午前中は町内の友人に送ったExcelのファイルが開けないというので出かけた。パソコンは最新式のものだが、何故開けないのだろうか?

ネットでテンプレートをダウンロードして開いて見るとOK、気ままなPCの対応もいろいろあるようだが、ネットが使えるのはウレシイ。

この町は行政が音頭を取って光ファイバーを張り巡らしてある。昨年は山の蓼科区までこの光ファイバーを延ばした。しかし、今の時代広域無線LANと云うのがある。狭い町内、長い目で見れば町中無線LANにした方が便利だし、無駄がないように思うのだが ・ ・ ・ 

朝、雪を降らした重たい曇は千切れて風に流され太陽の光で白く姿を変えた。

雪は太陽が出ていれば直ぐに溶け出し、空気も春の暖かさを感じさせてくれる。

午後は次の日曜日に開く、ボランティア活動発表会のプログラムの構成をM氏に手伝ってもらった。彼には会場に掲げる横断幕模造紙4枚ツナギに墨書をして貰うことになっている。あらためて、テーマ『守ろう地域 深めよう絆』の文言を確認しながらプログラムの文言を見当した。この一年は東日本震災や全国的に自然災害が多発して“絆”が謂われ続けているが、俺たちのテーマを決めたのは昨年の2月だった。震災前は新聞でもテレビでもマスコミは“無縁社会”と云う言葉を多用してそのルポを組み、恰もそれが現代社会の構造的なものと肯定的な風潮が見えた。それに反発し疑問を持った我々仲間からでた意見が“ゆい”絆を大切にしよう ということだった。

プログラムの見直しと編集が済んだが、印刷は10日と決まっている。明日が命だが、未だ原稿が届かないのが二本もある。サテハテどうしたものだろう ・ ・ ・  

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二月の暖かな雨 被害と云うほどはないが

2012年02月07日 | 日記

2月7日(火) 夜半には激しく降る  午後には上がるが 太陽でなかった

午前中は土曜日に終わったパソコン講座の最終日のレジュメをまとめ、受講者にメールで送り作業から解放された。収支報告はあるが、出費も予算内で充分に収まるものとなっている。

講座内容については下記サイトをご覧ください

http://blog.goo.ne.jp/cyoukatutowntateshi/e/0e98994e4290cb353c1a56b4323d283a

午後は佐久のメガネ屋へいき、レンズを再調整してもらった。遠近両用のメガネだが近い処を見るのに腕の長さが足りないのだ。要するにレンズの加減で細かい字を読むときに普通の位置で読み取ろうとすると手を伸ばさなくてはならない。これを解消するには現在の0.8を1.0にして貰いたい。店では簡単な視力と視野を確認して終わったが、12月末に作ったメガネだから無料でレンズのバージョンアップをしてくれるという。パソコンもワンステップアップは無料と云うのが常識のようになっているので、メガネも同じようなものなのだろう。

帰りには望月町(現佐久市)の川西消防署で3月11日のイベントで救急講座をやることになったので正式に申し込み、申請書を受け取りに立ち寄っり家に帰ってきたが、雪に被われていた道路が雨で溶け地面がでてきている。ところが、雪があるときは轍か雪の塊ゴトンと大きく車体が落ち込むのを感じていたが、よく見ると道を横断するようにできている排水路の一方が陥没しているようだ。下の写真手前の雪が埋まっているところに棒を射し込むと30cm以上が入り込む。

道路の左側には深いコンクリートの升があるが、その周囲が陥没しているのかもしれない。雪が貯まっているので定かではないが ・ ・ ・ 我が家はこの坂道を登っていかなくてはならない。大事にならなければよいのだが ・ ・ ・ 明日にでも役場に連絡をしておこう。

今日の写真はカメラを持って出なかったので携帯電話のカメラで写した。パソコンに取り込むにはメールに添付するか、赤外線を使うのだが、昨年の秋オークションで売りに出ていたUSBの赤外線送信機を買ったのでテストをしてみた。これが非常に具合がよい。また携帯電話のカメラがこれほど良く撮れるとは思わなかった。

 夕方には雨か雪が降るかと思っていたが温かい、雪が降る天気ではなさそうだ。庭の木々もやっと雪の被いをはねのけたのだから、太陽の光を当ててやりたい。

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壊れた地球 暖かすぎる二月

2012年02月06日 | 日記

2月6日(月) 晴れ   湿り気の多い空  昼前から雨 不穏な暖かさ

空が白み始めた頃、東の山並みはボンヤリとした紫色に見えた。やがて日乃出色から天空の碧色まで区切りのないグラデーションで見せた。太陽がいつ顔をだしても良いと思う瞬間、この時間帯が俺は好きだ。

やがて湿り気を帯びた分厚い大気に光軸を吸い取られながら昇ってきた太陽、不安定な天気を予兆していた。

暖かさを感じたのか蕾が開くのは未だ先だと思っていた黄色のシンビジューム、陽が当たり出すとくっきりと開きだした。しかし、この種の花たちは薫りがないのが残念だ。人工的な花なのか、それとも自然の造形なのか知るところではないが、蘭のように艶やかさはないが花のない、時節に開いてくれるのは嬉しい。

薄い曇を透した陽の光は温かく、屋根の雪が溶け流れ出し雪解け水が水琴窟のようリビングに響いている。SalaとAlgoも気怠そうにひとつベッドで日向ぼっこを楽しんでいるようだ。

Algoが盛んに顔を動かして何かを探している。その目線はシンビジュームとガラス戸を往復している。近づいて見るとオツネントンボ(越年蜻蛉)が花の裏側に止まっていた。シンビジュームの花にアブラムシが沢山着いているのをしっているが、今みるとアブラムシの姿はない。オツネントンボが餌としてタイラゲてくれたのだろうか?山裾の冬ででも土手の陽だまりで姿を見たが、今年の厳しい寒さを回避してストーブの薪について部屋に入ったのだろう。

午前中はボランティアルームのネット回線の修復を頼んでおいたので、確認に出かけた。だいぶ苦戦しているようで専門業者でも原因が掴めないと云う。同時に複数のPCが使えるようにしたい。

 

午前中は雨が音をたてて降り出した

2月だと云うのに温かい雨

山での被害がなければ良いのだが ・ ・ ・ 

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暖かな春 おもたい 日曜日

2012年02月05日 | 日記

2月5日(日)  晴れ   暖かな 一日  雪もだいぶとける

午後1時から町の福祉センターで「戦時を偲ぶつどい」が開催された。この町には第二次世界大戦に爆撃を受けたとか練兵場があったなどは聞かない。俺自身父親が戦争に行くことがなかった家庭で育ったために、戦地で悲惨な経験をした話や、蛮行を手柄話にせざるを得ない状況に追い込まれた人の話を直に聞くことがなく今の歳まで平穏で過ごしてしまった。

会を開いたのは、「遺族会」「9条を守る会」それに、傷痍軍人会があるのかは判らないが、3つの団体が主催だと聞いた。

プログラムの「あまり語られない戦争体験」と云う題で、竹花初雄先生が始めに演題に立った。先生の話は初年兵に対する戦地での軍事訓練と称した蛮行をせざるを得ない日本の教育を柱に話を進められたようだ。感情に走ることなく、整ったレジュメに沿った話は、戦争をしてはいけない。敵味方双方に悲惨な状況を作り出すことを、実際の体験が昨日行われたかのような、真に迫るものが聞き取れた。

二番目に登壇されたS翁は海軍で魚雷により大怪我をれながら、2度も前線に向かい、3度目の出陣前に終戦となったという。翁の戦後は傷が癒すことと心の葛藤が反比例したかかと思うが、仲間の戦死、若い学徒の戦死を悼む言葉が多かったことに感銘を受けた。

 

3番目は女性で「父親の姿を知らない子」と云う題で、戦後の生活の厳しさを今の自分に置き換えて当時の母親の苦労を切々と語ったのを聞くのが辛かった。立科町では戦禍のあとは残っておらず、況して、どの家も畑があることから食料に困ることはなかったと思っていた。しかし、男手のない家での当時の田起こしや稲刈りは大変なことだったのだろう。ましてや、子ども心に言葉に出せない悲しみを、「父親を知らないから言葉にでなかった・・・」との行には胸が熱くなった。

休憩には会場の後ろに並べられた南方の戦地に悲惨な状況をデッサンと聞き書きした史実が生々しく、あらためて「戦争はしてはいけない」ことを思った。

後半は、講演をされた方をパネラーに質疑応答、意見交換会が開かれたが、誰もが終戦後から今に到るまで、悲惨な戦争を心に懐いていることが見えた。このような会をもっと頻繁に開き、語り伝える大切さを実現させていかなくてならないだろう。戦後の苦しい時代に育てられた俺の世代が何かをしていかなくてはならない。

一生の半分以上が過ぎてしまった俺

今からでも何かしていきたい

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信州の春 間近とは言えない立春 

2012年02月04日 | 日記

2月4日(土) 晴れ 白い曇が幾つも浮かぶ 風は冷たいが 春らしい陽気

朝の眩しい陽の光も時間のわりに高くなっていることからも春を感じる。少し前までは見られなかった白い曇が明るさは立春を表してした。

風は木々を靡かせるほどあるが陽の光の暖かさに裏山へ向かってみた。家の脇を登る大内道は雪が溶け初めていた。陽当たりのよい土手にオオイヌノフグリの碧い花があるかと見廻すが、まだ少しだけ早い。笹の葉先がギザギザに食いちぎられていることから、鹿が頻繁に来ているのは獣避けフェンスを張ったあとも変われない。

一廻りして東側から山を下りてくると斜面に積もった雪にドッグランのフェンスが影を落としている。その影にそって動物の足跡があるがそうとう身軽なヤツと判るくらいに雪の表面を擦るように歩いているが、今年の冬に初めて見る足跡だが姿をみたい。 

俺の直ぐ後ろでピッと云う金属的な音で振り返ると一羽の鳥が飛び立った。羽の色は逆光で判らないが尾羽が長いことからキビタキだろうか?飛び立ったところを覗き込むとヘクソカズラの黄色い実と青紫の実があった。青い方は名を忘れたが完熟して皺だらけになっているが、鳥たちには毒が消えて食べ頃なのだろうか?

山裾に 啄む実をおき 発つ鳥に 春は近しと 風とたはむる (哉) 

土手の脇を通り抜けようと脚を踏み込むと、まだまだ雪が深く膝まである長靴が潜り込みそうになった。遠回りをして南側から庭に戻ると夏沙羅の花柄が次の新芽と世代交代をするかのように並んでいる。種は既に地面に落ちたのか、花柄は種がこぼれるのを見守ったかのよに安定した。

太陽の光も空に浮かぶ白い曇も春を表しているが、梅の枝先を見ると信州の春はマダマダと云っているようだ。硬く小さな梅のつぼみが花を開く頃は水仙もチューリップも桜も同じ頃に花を見せる。信州で春一番に花を見せるのはマンサク、アブラチャン、コブシだろうか。 

東の浅間山を見ると北から流れてくる雪雲に頂部を被われていた。それでも曇の先端、陽の当たるところは僅かに暖かみを持った色を見せている。

 夜にはPC講座の3日目、最後の日となった。最終的な復習の後、各人から課題の質問などに講師が応える時間で一時間が過ぎてしまった。後半はお茶と菓子を用意して懇談会形式でパソコン四方山話となった。全員が次のステップアップの講座を受けたいとの意見に安堵した。

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北北東 縁起を担いで 恵方巻

2012年02月03日 | 日記

2月3日(金)  快晴  極寒  太陽が照っても寒い 春を感じる

目覚めたとき顔をヨコに向けると枕が冷たく感じた。寝返りを伐って枕が冷たかったので目が覚めたのだろか? 未だ暗く夜明けまでは間がありそうだった。暗いうちから風呂に入り、東南の山並みがオレンジ色に染まるのを見る。風呂から出る頃には集落のも朝陽が射し込み始めるのだが、一月前と違うのは確実に春が近づいている。浅間山もぼんやりと見えるのは冷え切った空気に朝陽の暖かさで春霞に包まれたようだ。

浅間山もこのところ盛んに噴煙をだしている。日本列島が不安定なプレートに乗っているためか、それとも桜島の噴火を耳にしたのか?浅間の場合は殆どが水蒸気を吹き上げている白く見える煙だ。それでも頂上付近は雪が溶けるのが早く感じるのは地温が高くなっているのだろう。

我が家で一番に陽が当たるのは東の出窓、この窓には障子があるが障子の外側は三方がガラス戸になっている。寒冷地仕様のペア硝子を入れてあるが、今朝のように極寒の日には水蒸気が氷の結晶になって紋様を描く。この紋様は何かサインになっていうのだと思うがまだ、読解できていない。

リビングの前では雪の上に動物の新しい足跡がついていた。右から左へ進んでいるがその先は崖になっている。足跡はそのまま崖を下るように転げるでもなく同一の歩幅なのが不思議だ。

午前中は昨夜のパソコン講座の記録をまとめる作業に没頭した。ボランティア仲間が集まっての講座だが、当初の目的は情報交換や活動の連携をグループブログやSNSを立ち上げようと云う話しだった。ところが講座を開いてみると団塊の世代が多く、パソコンがコミュニケーションツールになりうるにはほど遠い状況だと判った。ならば、事務屋として電卓を使い始め、ワープロで頑張ったことを思い出し、60の手習いでパソコンの基礎から習おうと始まった。

判らないことは少しのアドバイスで納得するのだが、Wordで表を作りそこにきっちりと写真を入れたい。要するに週刊誌のグラビアの如くランダムながら整然とした写真集を作りたいのだ。また、中には家の系図をWordで作るのだが、線の微妙な移動ができない ・ ・ ・ Excelは何故、セルの中で行換えができないか?等々 このようなことは簡単な裏技的なキー操作で可能なのだが、先入観がジャマをして先に進めない愛しいオヤジ連だ。講師が言葉で説明したり、指先のキー操作で解決したことを、マニュアル化して文字で記録する作業は俺にとっても勉強になる。文字にして裏付けをとるのにネットでMicrosoftOfficeサイトで確認するのに時間がかかる。

朝から出かけていたMが戻って来たのは二時近くになっていた。昼飯に恵方巻を買ってきたと、太い海苔巻きを皿に載せての昼飯となった。北北西に向かって丸カジリをするのが良いそうだ。方角で縁起を担ぐのは陰陽師の云うことから日本古来からあった風習だろうか?2月はバレンタインが流行だしたころ、陰陽師がカタカナはいけないとスーパーに売り込んだのかもしれない㋧

レジュメの印刷を済ませた頃は既に日が落ちて辺りが暗くなっている。Mが出かけて行ったのも気がつかなかったが、町でる道沿いの灯りが幻想的だ。夜道を照らす灯り春が近づいているように見えた。

立春の 温もりを映す 道あかり(哉)

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一滴も 氷山と化す 深夜風呂

2012年02月02日 | 日記

2月2日(木) 曇り  夜半の雪は止む  午後からは青空が広がる 

夜半の雪も止み今朝の雪は僅かに舞っている程度だった。太陽は今日もでないとあきらめていると、だいぶ遅くなって曇の流れに合わせ、形にならないまま姿を見せ直ぐに曇に隠れた。

午前中は一昨夜のPC講座の記録を読み返し、記憶に頼りながらキーを打ったのでおかしなところを直した。いつもの“まぁ~いいか”と云うことで印刷 ・ ・ ・

午後には薪運び、下屋に積んだ薪を家の運び口に移動するのだが、ネコ(一輪車)で山盛り二杯、この量は例年なら一週間はあった。しかし、この冬は厳しい寒さのため焚く量が多く、五日に一回運んでいる。

薪は春まで充分あるのだが、その次の薪作りをこの時期にしておきたい。次の次、再来年の冬に備えての薪を用意しているが、中途半端な高さで止まっている。

リンゴの樹を40cmの長さに玉切りして積んであるが、そこに雪が積もってしまった。積もったままなら良いのだが、ひとつだけ取ろうとツルハシでコジイたが凍り付いてビクともしなかった。

一月中に伐採を予定していた裏山の樹ニセアカシアを見に土手に向かうと、そこには獣たちの足跡が多い。二つの細長い跡の前に小さな点が二つあるのはウサギ?たまに見ると人づてに聞いたが ・ ・ ・ この辺りにはキツネが多いのでウサギには住みにくい場所だと思う。

畑を見に来た婆様が言うに、「オイ(貴方)のイチジクの木ぃ、人に見えてタマゲタぁ~」と云う。藁で冬囲いをしてあるが枝の剪定が悪く形がゴツゴツしているからだろう。振り返って見ると確かに道から見ると腰が曲がった婆様に見えるぅ~ ・ ・ ・

4時近くになると西の陽は僅かに裏山を照らすていどだが、これでもいっときよりだいぶ陽が伸びた。山際のニセアカシア5本を伐採するのだが、今月中には作業を済ませたい。

陽が陰るのに合わせて急に風が吹き出し寒い。家に入るボイラ室の脇を見るとコンクリートに半球形の氷があった。ここの壁には軽油ボイラーの排気筒がありそこから落ちる水滴が凍ったものだろう。排気筒からの一滴が凍りの山となる。サテ、この家は深夜か早朝にボイラーを焚くのだろうか?

 

一滴も 氷山と化す 深夜風呂 (哉)

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二月 裏山のヒトリシズカ 花芽の準備を始めるのは何時だろうか

2012年02月01日 | 日記

2月1日(水)  雪  昼前から大荒れの雪嵐  午後 一時青空が見えるが 再び 雪

昨夜は珍しく美しい星空にしばし寒さを忘れて見とれていた。今朝はてっきり朝陽を見ることができると信じていたが雪に変わっていた。

昼前には風が強くなり山襞から幾筋もの雪煙があがっているのが見えたが、やがて山裾の集落にも突風が雪煙を上げるようになった。風が通り過ぎる音はビュービューとうなり山の樹にしがみついていた枯れ葉が一気に舞い上がった。

外の激しい雪嵐を尻目にSalaはストーブの前でヨコになている。AlgoはSalaの腹を枕にして良いところ取りを決め込む。こう言う姿は今年の寒さの影響かSalaが高齢化に向かっている所以なのだろう。

低温ヤケドにってもイケナイのでストーブの近くを追い立てると、今度はSalaはベッドに潜り込んだ。Algoがジャマをするので毛布を掛けてやるとAlgoはSalaに上にのりタヌキ寝と決め込んだ。

午後も3時近くになると風が治まり青空が見えだした。太陽も西に傾いてはいるが、陽の光が射してくると樋から落ちる水が凍っていうのが緩みだした。数カ所の氷がダイアモンドのように輝きだしたが、束の間でしかなかった。

足下が急に寒く感じたと思うと外は既に雪が降りだしていた。二月は一番寒い日が多いとされるが、太陽さえでれば春の兆しを感じる。

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