昨日、NHKのニュースで名古屋大学の物理教室の上下の地位を気にしない議論とか先生といわないという習慣について報道があった。これは別に名古屋大学だけのことではない。
素粒子論分野では常に教員に対しても先生とは呼ばない。また教員が普通には呼ばせない。先生と呼ぶのは伝統的に湯川、朝永、坂田、武谷といったかつて大ボスといわれた人たちだけでそれ以下の人たちは先生とは呼ばないし、教員自身が学生や目下の者たちに呼ばせないのが普通である。
この伝統がいつ起こったかについては諸説があるだろうが、朝永先生の高弟であった、木庭二郎さん以来の伝統というのが多分正しいのであろう。木庭さんは長らくコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所の教授だったが、ヨーロッパで出会った、自分よりも若い研究者にも先生とは呼ばせなかったという。
しかし、そういう風習は別に木庭さん一人がつくり出したものではなかろう。第二次世界大戦後の日本の素粒子論グループに普通に行われていたことである。現に私の先生の一人だった、Oさんも自分のことを先生とは呼ばせなかった。
京都大学で小林、益川のノーベル賞受賞記念の集会があったときに、京都大学基礎物理学研究所の九後さんが益川さんの紹介のときに益川先生と先生という言葉を使ったら、「コラッ」と益川さんが言って、「益川君と呼べ」と叫んでいた。まさか益川君とは言えないので、九後さんは益川さんと言い換えていたが、それがテレビに放映されていた。
益川さんの、この気魄と学問の上で上下なしという強い意識はまさに地で行く教育である。