中学、高校で同級だったS君はシナリオライターである。とはいってもどういう作品を書いているのかは知らない。H市の在住で、劇団を主宰しているらしい。いつだったか私の出身の I 市で彼の劇団が演劇を行ったことがある。
有名な外科医の息子であったが、父の跡は継がず、映画監督への道を目指したが、その後少し方針を転換して、出版社をやっていたが、それを誰かに譲ってシナリオライターになったと風の便りに聞いた。
同窓会等でもほとんど会ったことはないが、独特の趣をもった人であった。中学の頃よく誘われて休み中にも中学校へ行って、二人で相撲をとった。西鉄ライオンズの熱烈なファンでもあり、また当時まだ現役だった相撲取りの吉葉山のファンだった。彼の感化で私もそれらのファンになった。
映画が好きで、よく学校の午後の授業を早引けしては映画館に行っていたらしい。後日、何年もしてから、当時私の高校の先生をしていた義父からよく先生方が映画館に生徒の生活指導に行ったら、彼を見かけたという話を聞いた。
私の二男を育てる方針として好きなことや得意なことを伸ばすということに重点を置いていたのは彼の生き方を見ていたからであった。少しぐらい不得意なことはほっておいても得意なことを伸ばすというのが結局はいいという感じをもっていたからである。
しかし、いまではそうばかりは言って居れなくなったような気がしている。というのは派遣社員でいままで十二分な働きをしてきた人たちが簡単に首を切られるという時代になってきたからである。
自分にあったものの他に場合によっては不得手なことでも我慢して自分のものとして自分の違った面で生きていかなければならないこともままあるかもしれないからである。
派遣社員を簡単に雇用調整として解雇することに対しては資本主義社会のあくなく効率性とか利潤追求を見てとることができ、その非人間性に唖然とするが、いつか日を改めて書いてみたい。