「生活のあか」というと何か悪いことのように聞こえるが、ここでは必ずしもそういう意味では使っていない。日常の生活を送っていくときに何かしらするべきことといった程度の意味である。たとえば、朝起きたときに大抵の人は顔を洗うが、そのための時間が必ずとられる。そういったどうしても必要な時間を一応「生活のあか」ということにしよう。
私の場合にはこのブログを書くこともそれに入る。それ以外の「生活のあか」に入ることはとても多い。ラジオを一日数時間聴くこと、1週に一度か二度テニスを夜間に2時間すること、テレビを見ること等である。これらは別にしなくても生死には関わらないが、自分の人生の生きがいをもたらしていること“たち”である。ここで、日本語には複数がないので、“たち”は複数であることを示す。
そういう一日の自分で決めた決まりごとのためにかなり多くの時間を費やしている。インターネットサーフィンもその一つであろう。主に「日本の古本屋」というインターネットのサイトをほぼ毎日覘いて武谷三男、遠山 啓氏に関連した所有していない古書がないかをチェックしている。
もっともポケットマネーがこのごろはあまりないし、これらの関連書籍はほとんどもっているのでめったに食指が動くことはないが、それでも新しい発見がないかとチェックしている。