「方法論とは後から見たら至極当然な考えだ」とは武谷三男の言だが、これは誠に至言だと思っている。
8月号の「数学教室」に数学者の野崎昭弘さんが現在の小学校の算数の教科書に水道方式の原点の「タイル」が当然のように出ているが、これに対する官製の反対があってそれに対して遠山啓たちが果敢に闘ったのが、今から見ればそのことは現在の現場の教員には奇異に思えるかもしれないと書いている。
後から見れば何で反対されたのであろうというようなことでも、それについて提唱の当時には強い反対があったりする。それがある意味でどう落ち着くかが未定の段階では論争や反対があったりするが、すこし時間が経てばいいアイディアについてはその反対はまったくなくなるとはいえないとしても下火になる。そして、後から来た人たちが先入観なしに見れば、何でこれに反対をしたのだろうということになることが多い。
それは「いい見通し」とか「いい方法論」とかの勝利であることが多い。人間だから判断を間違えることもある。そのときにその過ちを素直に認められるかどうかが人として大事なことになろう。
少なくとも水道方式の「タイル」は合理的な考えが勝利したシェーマの一つであろうか。