先日、ラグランジュの恒等式の証明の原稿を妻に読んでもらっているとこのブログで書いた。予想に反してというか予想通りというかこの読みに妻は難渋した。まず第一に読んでもらう気になるまで時間がかかる。それで一度読み出したが、わからないのだろう。途中で頓挫した。
それからまた日が過ぎてようやく再度読み出したが、見当違いなことを言い出した。それで説明をしたのだが、なかなか納得をしてもらえない。第一、等式には恒等式と方程式があってという話からしないといけない。
ところが、y=x^{2}というのもあるという。これも等式ではあるが、関数というものだ。xの値に対してyがある値に決まる。というようなことを説明したら、やっとちょっと自分の考えていたことは見当違いだとわかってきたらしい。
それで、また数日して残りの文を説明してもう読んでもらうことはやめにした。説明してあることをあらぬ方向に解釈をしている。これは一般人としては無理からぬことであろう。
昨日、試験をした。試験時間は80分なのだが、試験開始後20分が経てば、退出が出来ると説明をしたら、20分後にはどどっと学生が答案を残して2/3以上が退出した。さすがにこんなことはいままでの3年間の試験でもこういうことはなかったので、問題がやさしすぎたのだと解釈して後悔した。
ところが昨日の夕方になって採点のためではなく答案の様子を見るために答案を眺めて見たら、これがまったくひどい。重力加速度を求める問題を点を取れる問題として出しておいたのだが、これも単位をつけて数値計算をしている人など一人もいない。
また、単位をつけて答えよとかいておいたら、単位が速度と同じ単位になっている。加速度は速度の変化をその変化に要した時間で割るということすらはっきりしていない学生もいる。これは授業で質問に答えてホワイトボードで詳細に計算を示し、このときに「単位もつけて計算するのだよ」と言ったのだが、こんな説明などまったくされてなかったようだ。もし私が学外からの教育効果の評価委員かなにかだとしたら、教えている先生の顔を見たいと皮肉を言いたくなるだろう。
救済問題として出している、各自の経験を問う問題にだけ答えが集中している。それについての答えはそれぞれかなりの内容の記述がされているが、結局授業など何も聞かなかったかのごとくである。「いかに授業が学生に定着をしないか」の見本をまた見せられた。