日本大相撲は相撲産業だと実感した。
5月22日に両国の国技館で5月場所を観戦した。前の日に白鵬の優勝が決まってはいたが、それでもはじめてみる大相撲は迫力があり、皆様にも機会があればお勧めしたい。
どうして相撲産業だと実感したのかというと、取り組みの2番か3番で呼び出しさんと行司さんが代わり、土俵をほうきで掃く人、控えの力士の座る座布団を運ぶ人、茶屋の桝席に観客を案内する茶子さんとか大相撲に関わる人の数の多さを実感したためである。
茶屋さんは25あるようだし、力士だけしか知らない私たちにとっては大相撲産業であって、これで生計を立てている人の数が想像を越えていたということである。
最近では大相撲は昔ほど盛んでないとは聞くが、どうしして、どうしてそんなに簡単に言い尽くせるものではなさそうである。ごく最近では会社も終身雇用でなくなっているので、産業としての空洞化がいわれているが、大相撲はなかなか大したものであろう。
もっともそれは日本大相撲協会がまったく問題を持たないということではないだろう。外国力士の増加に伴って大相撲の伝統もある意味では崩壊しているともいわれる。
その側面はまったくないというわけではないが、やはり土俵上での闘いのあとで、一礼をして別れるという習慣はちゃんと守られている。これは古めかしいとも言えようが、ある意味ではお互いの健闘を称えあっているとも考えられ、必ずしも悪い感じはしなかった。
外国力士の多さを憂う日本人も多いと聞くが、私個人にはあまり違和感はない。むしろ、テレビなどでの日本語の話上手さをみるときに、自分の外国語の修得がなかなかできないことを省みて、驚異を感じている。