そろそろ8月の徳島科学史研究会での発表の準備をしなければならない、時期になってきたので、昨年読んだ広重徹の武谷三段階論批判の続きを読み始めた。
彼の著書「科学と歴史」(みすず書房)の最初の論文「科学史の方法」の前半を昨年読んでそれに対する考えを昨年まとめたのだが、そのときにはむしろ私は途中経過では広重の評価について揺れ動いたが、最後には広重に対して批判的であった。
ところが、現在彼の論文の後半のはじめの節を読んで考え込んでしまった。これについては広重に批判的になることはできないのではないかと思っている。
広重があからさまに武谷批判を繰り広げているところでは、必ずしもそれには賛成できなかったが、あからさまに批判していないところにむしろ広重のいいところが出ているようだ。これはちょっとおかしいとも思えるが、意外とそういうものなのかもしれない。
「三段階論によらないと科学史の研究ができない」というのはおかしいと広重が武谷を批判したが、意外にそういうことを武谷は主張してはいなくて、科学史家は原典の忠実な翻訳などをしたらいいのではと書いていたのを私は読んだことがある。
そうすれば、広重の主張のおかしさが直ぐにこのことに関してはわかる。だが、かえって、武谷をあからさまに批判していないところでは、それだからこそ科学史家としての広重の特徴なり、経験なりがむしろ顕著に現れていていいと思う。それで、この節「科学の歴史性」のところをどう考えるのかというのが新しい問題として出てきている。
三段階論が「科学史の方法」だとは私は思わない。だが、科学の捉え方の一つとしてはいいと思っている。だが、これは誤解を受けないようにあわてていっておくと、これが科学に対する唯一の考え方ではないということである。
最近の若い研究者は武谷三段階論などといっても知らない人も多いのだろうが、広重の若いときにはそれ以外に他の考えなどないようにさえ感じられたのだろうか。そうだとすれば、私と広重等の年代の人との年の差による感じ方の違いとだといえよう。