物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

人口は資源か

2013-05-04 13:18:00 | 国際・政治

今日の朝日新聞に「夏野 剛の逆説進化論」に人口減少を憂うるという記事が出ていた。

私は自分の子どものころは人口が8千万人くらいだったから、別に人口が減少してもどうってことはないという気持ちが強い。

確かに、人口が減少しない政治とか政策は必要だとは思うが、それをきちんとした政策にはされていないのだから、社会はまだまだ深刻に捉えてはいないと思う。

それに若者にきちんとした職さえ提供できないことを思えば、単に人口減少を危ういと言ってみてもはじまらない。むしろ生活を可能にする職を若者に提供できないことに大きな問題があると思う。

それに働く人口が少なくなるのなら、女性と老人にもっと働く場所と機会が与えれば、すむことである。

そういう機会と場所を与えられない社会であることの方が問題である。それに若者に非正規という職しか提供できないことが一番の問題である。だから、夏野さんの議論は通り一遍ではないか。

もしか、企業が世界の賃金の安いところに進出してようやく利潤を得ることができるとするならば、それは一時しのぎとしては許されるかも知らないが、いつまでも続くはずがない。

資本主義の本質はどうであれ利潤を上げればいいのだが、しかし安易なやり方でしか、国の経済を成り立たせるという知恵がないということにむしろ日本人としては失望をしている。

もう少し知恵のある方法を考えられないのか。これはもちろんマネーゲームで利潤だけが上がればいいという考えを拒否するものである。だから私は経済至上主義ではない。

人口問題に戻れば、北欧の国スウェ―デンが人口の少ない国だということは知られている。だが、その国がうまくいっていないという人はあまりいない。人口が少なくなれば、福祉の一人当たり負担は大きくなるだろう。そういうことは当然である。

ダウンサイジングを防ぐという政策も大事だが、人口が減少すれば日本の国が立ちいかなくなるという意見には組しがたい。

もっとも円安によってあまり輸出が進むとは思えないという意見には賛成である。また、コンパクトシティ構想も賛成である。

田舎で裏山が崩れたりするかもしれないところに住んで、そこに電線で電気を送電してもらう必要は本当はないかもしれない。

こういうことを言うとそこにしか住めない人を無視をしていると言われるのだろうが、そういう人をコンパクトシティに住まわせる費用はしたがって社会の負担となる。その方が結局のところ社会全体の費用が安上りだというのならば。

ヨーロッパでもフランスは出生率が2を超えた国として知られている。これはそれなりに子どもを育てやすい、環境をつくってきたということであり、国情はもちろん日本とは全く違うが、やりかたがないわけではない。

繰り返すが、人口減少だけが危機であるわけではない。むしろどうやって若者の雇用を安定的に守るか、こちらの方が大切ではないか。そのためには教育が大切かもしれない。

東日本大震災の後で、私は日本がいかにlow-tech-landであるのかという実体を知って、むしろショックを受けた。うまい水産物がとれなくなったとか、コメやその他の農産物をもし生産しても放射線汚染のために売れないかもしれないとか。そういうことがもろに表に出てきたので。

もちろん、これらの生産物がどうでもいいということではない。ショックを受けたのは日本は実はそういう農水産物にとても依存してきたのだという事実を知ったからである。

high-tech-landの日本というイメージは、日本人はもちろん世界の人も日本に対して持っているのであるが、そうではない側面もとても大きいのだということを私たちは認めねばならない。