死生観にはどんなものがあるのか。
これはラジオの放送で聞いた話の受け売りである。
ある精神科の医師、名越やすふみさんの講演をラジオでたまたま聞いた。それによると宗教にはいろいろあるが、死後の死生観にはつぎの3つしかないという。
1. 死んだら、天国か地獄か極楽かわからないが、どこか別のところへいく。
2. 死後どこかで生まれ変わる
3. 死んだらおしまいでそれ以後の世界はない
世界に宗教がたくさんあっても死生観はこの3つしかないとは宗教人類学の知見であるという。そして、講師の名越やすふみさんは生きていくには前の1または2が120%でおすすめであるという。
3では心を応援する死生観にはならないという。3を否定するわけではないが、徳を積もうとしていても、人間として努力をして教養を積もうとしても友達に「お前その年でなにをいまさら」と言われると3の死生観をもつ人はひるんでしまうのがオチだという。
死生観としては私は3である。別に私は行い澄ませた高僧でもないし、普通の常識人である。また、「お前その年で何をいまさら」と言われることもほとんどないし、また言われてもひるむことはないだろうと思っている。
確かに、私は仏教徒ではありながら、仏教徒らしからぬところがあるかもしれない。
私も一般の人が1または2の死生観をもつことには反対ではない。だが、私自身は1または2の死生観をもつことはもうできない。
そしてそこが普通の人には理解ができないところかもしれないが、死んだらおしまいとは思っているが、それでも生きている間は自分の向上を目指すのはそれにもかかわらず人間としては普通のことだと思う。
晩年に湯川秀樹博士が輪廻転生の思想に触れて、「死後ブタになるのはかなわんと思っていたが、あれは楽観論なのだね」とどこかで書いていたのは、これはなかなかユーモアに富んだ発言であったと思う。