物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

森永ヒ素ミルク事件

2013-05-28 10:53:24 | 社会・経済

5月25日(土)に森永ヒ素ミルク事件の被害者の援護をして来られた方の話を伺った。

1955年8月に乳児に原因不明の病気が広がっていたことが明らかになった。これが森永ヒ素ミルク事件が公になる発端であった。そして翌年の1956年6月にこの病気が乳児に飲ませる粉ミルクにヒ素が混入してことが発表された。

このことは不幸な事件であり、死亡者130名、被害者12、131名ともいわれるが、潜在的な被害者も含めるともう少し多い幼児が被害を被っていると思われる。

もちろん、それに抗議する運動は直ちに起こったが、その運動のやり方が悪かったために、まもなくその運動はつぶされてしまった。

それからほぼ10年ほど経った1968年に大阪の養護教諭を中心にして保健師らが調査活動にのりだした。その結果は1969年にその調査結果が公衆衛生学会で報告された。

それから新しい守る会の運動が展開された。以前の抗議運動の反省教訓から「賠償の金はとらない。親の犠牲には目をつむる。被害者の子どもに恒久的な保障を」をモットに運動を展開した。

1973年に国、会社、被害者の子どもを守る会の三者が三者確認書を取り交わすことができた。この結果会社は被害者の子どもを守るための費用を継続的に支出することになった。

これは事件自身は不幸であったが、かなりいい解決法であり、こういう事件の解決の手本ともいえるものであった。

それで、いまでも森永のイメージはまだ十分に回復しているとは言えないまでもその事件の事後処置としてはいいものであり、他の同様な事件の解決策として見倣うところがある。

それにもかかわらず、残念ながら水俣病のようにその被災の基準を巡ってトラブルが絶えない。

なぜ人はこのようないい例を見倣えないのだろうか。もちろん、森永乳業が大きな会社であったというようなこともあるだろうが、こういう解決の知恵を学びたいと話を聞いて思った。