私が小学校2年生のとき(1947年:昭和22年)に新憲法が公布された。2歳年上の兄が小学校の宿題で新憲法公布といったポスターを描いたのを覚えている。
その絵が今から見れば、稚拙だとは思うが、結構かっこうよかったと子ども心に思った。絵具ではなく、クレヨンで描いた。
県民文化会館で今年も憲法集会があり、昼食を済ませてから集会に出かけた。集会後に憲法を守れというパレードがあったが、もう老人ということで失礼をした。仕事場に帰ってほどなく下の道路をパレードの行列が通っていった。
シュプレヒコールが聞こえたので、ちらっとバルコニーから覗いてみたらみたら、思ったよりも参加人数が多いようだった。
その行列を先導して街宣車が出ていたが、「憲法9条を守れ」とか「オスプレイ反対」はまあいいとして、「TPP反対」というのも聞こえた。気持ちはわかるが、TPPはもう後戻りはできないだろう。
それくらい、もう昨年の選挙で大勢が決まってしまっているのだ。自民党はTPPに慎重な様子を形の上では見せたが、それは形だけだとわかった。そして、民主党政権ではあれほどTPP反対と大声だった人たちが鳴りをひそめてしまった。
なんという、調子のよさなんだろう。この世の中は。
今日の憲法集会で講演をしたのは宇都宮健児さんで、サラ金からの被害者の救済に力を注いできた人である。昨年の都知事選に出て、当時の猪瀬副知事(現都知事)に負けてしまった。
大差だったように思うが、それでも運動はそれなりの成果があったのではないかという総括を宇都宮さんはされていた。
確かに、今後もずっと運動は続くのだが、手もなく敗北するところは情けない(これはもちろん候補者であった宇都宮さんの責任ではない)。これは候補者の知名度の問題だと言えば確かにそうではあろうが、世の中のあり方がどこか違っているからではなかろうか。それが何であるかはわからない。もしわかれば、すぐに問題解決であろう。
経済学者の美濃部亮吉氏が都知事になったときは、彼は経済学者でテレビにもよく出ており、とても知名人であった。
そして人気もあった。だから、自民党が打倒美濃部を合言葉に立てた候補者を大差で破った。
美濃部氏が3選の後の都知事の候補者として経済学者の都留重人氏を美濃部さんは推薦したらしいが、都留重人氏は学究生活を止めたくなくて、都知事候補になることを断ったと聞く。
都留重人氏はもし都知事になっていれば、美濃部氏と並んだ超大物の経済学者であって、多分人気とか実力もあったと思う。しかし、生き方として政治的な生活を好まず、学究的な生活を好んだということであろう。
哲学者の鶴見俊輔さんによれば、都留重人氏は国から授与されるはずだった勲章もそれを受賞することを上手に断ったらしい。こういう生き方はなかなかできない。
ちなみに都留重人氏のことを鶴見さんは自分の唯一の先生だと言っている。鶴見さんは武谷三男も高く評価しているけれども、私の感じでは鶴見さんの尊敬の念は都留重人氏への方が大きいようにも思われる。