物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

クラスが難しくなった

2013-05-24 12:41:16 | 外国語

ドイツ語のクラスで先生のR氏が使う語彙が最近難しくなってきた。

少なくとも私はそう感じている。というのは以前は大抵R氏の話すことは大体分かっていたつもりだったが、最近R氏のいうことが精確につかめなくなった。これは単に私の問題だけなのであろうか。

確かに私たちのクラスは中級のクラスであって、初級のクラスではないが、それでもそれほど上級のクラスではない。だが、R氏が意識的にクラスのメンバーの実力を高めるために少し程度を高めているのだと推察される。

昨晩も彼が大学で受け持つ本来の講義担当以外に5つも余分の講義をしているとの話があった。これは彼の個人的な負担でなされていることであり、そのことで彼の給料が上がったり、彼の業績が評価されるわけでもない。

いや、評価はされても昇進やその他のことにはつながらない。そういう意味である。

もっとも私はちょっと了見が狭すぎるのかもしれない。教育の本当の価値はその教育を受けた学生が数年あるいは数十年経って評価することであり、現在の大学当局の評価ではない。

それはわかっているのだが、ちょっとそれでもR氏の長年の友人でもあるので、彼が壊れてしまわないかと心配である。

R氏が数十年前に松山にやってきた時にはその当時片言でもドイツ語を話す人はいまと比べてとても限られており、Srechstundeという面会時間に彼の部屋まで行って彼と話したりする人はドイツ語を専攻する一部の先生と私ぐらいではなかったろうか。

その当時も今も私のドイツ語は片言の域を抜けていないが、やはり片言でも自分の母語ではない言語で話ができるということは本当はすごいことであろう。

もっとも最近は日本語を流暢に話す外国人がテレビなどにたくさん出てくるので、私などがいつまで経っても片言しかドイツ語を話さないことは努力にかけていると言われても一言もない。

ただ、それは日本という社会にどっぷりとつかって外国人が日本語を話せるようになるのと、そういう環境にはなくて、日本人がいずれかの外国語を話せるようになることは自ずから違うと思う。

もっとも外国語の達人と言われるような人は別に外国に出かけなくても多くの外国語を習得するらしいから、横着な者のものの言い方であり、心ある人から見れば、まゆをひそめるようなことであろう。


active faultとgeyser

2013-05-24 12:01:38 | 外国語

今日は英語の言葉である。活断層のことを英語ではactive faultと言うと始めて知った。

faultというとテニスの用語でサーブが入らないときにフォールトという。サービスは2球できるが、2球ともフォールトなら、ダブル・フォールトという。

「ニュースで英会話」のテレビの放送を昨晩見ていてfaultが断層だということを知った。すぐにコタツのテーブルの上の学習英語辞典を引いてみたが、断層という訳は載っていなかった。

それでしかたなく、書棚にあった岩波の大英和辞典を引いてみたら、当然出ていたが、もちろん初めの方の日本語訳ではない。

原発が活断層上にある(sit on an active fault)というので、原子力規制委員会がその原発を廃炉を勧告するとかいうようなニュースである。

正しくはもともと活断層上の原発に建設することは法律的に禁止(ban)されているので、それを運転することができない。それで廃炉を勧告されるわけではないが、事実上廃炉を余儀なくされるということらしい。

もう一つの英語はgeyserである。発音をカタカナでつたなく表すとガイザーである。

これは間欠泉を意味する。この語は「おとなの基礎英語」で出てきた。普通の日常会話でそんなに出てくる語ではないから、知らなくてもいい語ではあろう。

同じ綴りで、ギーザーと発音するときには電気湯沸器と辞書にあった。


dessin (デッサン)

2013-05-24 11:45:49 | アート・文化

絵を描く人は初歩の段階ではデッサンをする。いまではそうそうたる美術家になっている、妻の高校の同級生の I 君などはデッサンが下手だったらしい。

妻の父が実は高校1年のときにこの I 君を指導したらしい。そのときのことを義父は覚えていてときどきこぼしていたらしい。だが、それでも I 君はひとかどの美術家になった。

いまでは韓国や中国またポルトガルとかのヨーロッパを股にかけて活躍している。その辺が義父にはなかなか理解が難しかったらしい。

この I 君はアジア人であろうと、ヨーロッパ人であろうと別に分け隔てなく、付き合っているから大したものである。もっとも彼は東京芸大を出た後でフランスの美術大学に留学しているから、フランス語を話せるはずだ。

それとは全く違うが、私の大学院生のころ京都の美術館にゴッホの絵の展覧会があった。このときに彼の有名な糸杉とかひまわりの絵も見たと思うのだが、よくは覚えていない。

それよりも実に多くの彼のデッサンを見た記憶がある。そして驚いたことにきわめて細かいところまでゴッホがデッサンしていることに圧倒された。

これはどうしてだったろうか。糸杉とかひまわりから受ける私の印象ではゴッホは大雑把な人であるという先入観があったからである。

それは私が勝手な先入観ではあるが、 そこのところが全く予想をいい意味で裏切られたところが意外だった。それでその印象だけが強く残った。