それでという訳でもないのだろうが、彼らの勉強の面倒をみる、先生の数も少なかった。それでも I 先生の詩の授業があり、「もしも子どもがいなかったら」という詩を知った。
これはある夫婦にたまたま子どもがいなかったらというようなことではない。地球にまったく子どもがいなかったらという想定である。なかなか普通の人にはできない想定である。
しかし、マララさんが昨日ノーベル平和賞をもらった現在ではこの詩は切実でもある。もし地球に子どもがいないにとしたら、やはり人類は希望が持てるとは言えない。
イスラム過激派もそのことに思いをいたしてほしい。女性や子供を虐待するような社会が繁栄するとは思えない。
もちろん、イスラム過激派が起こってくるのも、世の貧困がすべての原因かもしれない。だが、それは女性や子どもを虐待することによってなくすことはできない。貧困の撲滅にはもっと別な戦い方をしなくてはならないだろう。そういう考え方をイスラムの過激派といわれる方々もするようになってほしい。
彼らも私たちももっと深く考たいと思う。彼らはなんらかの主張があるのであろう。その主張を実現するためには自分たちの思いを直接社会にぶつけなくてはならないと思い込んでいるのかもしれない。
もしも、子どもが地球上にいなかったらというような極端な想定をしてほしい。そこから新たな視座を得られるのではないか。