物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

もしも子どもがいなかったら

2014-10-11 16:04:37 | 日記
今日、タダ熟北持田に午後出かけた。今日から連休に入ったせいか小学生がいつもより少なかった。

それでという訳でもないのだろうが、彼らの勉強の面倒をみる、先生の数も少なかった。それでも I 先生の詩の授業があり、「もしも子どもがいなかったら」という詩を知った。

これはある夫婦にたまたま子どもがいなかったらというようなことではない。地球にまったく子どもがいなかったらという想定である。なかなか普通の人にはできない想定である。

しかし、マララさんが昨日ノーベル平和賞をもらった現在ではこの詩は切実でもある。もし地球に子どもがいないにとしたら、やはり人類は希望が持てるとは言えない。

イスラム過激派もそのことに思いをいたしてほしい。女性や子供を虐待するような社会が繁栄するとは思えない。

もちろん、イスラム過激派が起こってくるのも、世の貧困がすべての原因かもしれない。だが、それは女性や子どもを虐待することによってなくすことはできない。貧困の撲滅にはもっと別な戦い方をしなくてはならないだろう。そういう考え方をイスラムの過激派といわれる方々もするようになってほしい。

彼らも私たちももっと深く考たいと思う。彼らはなんらかの主張があるのであろう。その主張を実現するためには自分たちの思いを直接社会にぶつけなくてはならないと思い込んでいるのかもしれない。

もしも、子どもが地球上にいなかったらというような極端な想定をしてほしい。そこから新たな視座を得られるのではないか。

豆大福と珈琲

2014-10-11 11:31:46 | アート・文化

「豆大福と珈琲」という片岡義男さんの新聞小説が朝日新聞で数日前にはじまった。

片岡義男さんの小説は読んだことがないが、岩波のPR誌『図書』で片岡さんのエッセイの連載を読んでいたことがあった。

片岡さんは英語に堪能な人らしく、中学生の頃とか高校生のころから英語のペーパーバックスを買って読んでいたと書いていた。その蔵書の数は相当なものらしい。

その人が表題の連載小説を書き始めたのだ。今まで読んだところでは主人公の僕は37歳で、お父さんとお母さんは二人とも物理学者で1987年にいわゆる頭脳流出してアメリカに住んでいる。

両親がアメリカに行くときにぼくに一緒にアメリカに来るかと聞かれたが、ぼくは行かないと答えて祖父母と一緒に生活していた。

高校生のいま祖父母の家から出て、友人の家の離れに住むという話が今日までの話である。

乾いたというべきかどうかどう評していいのかわからないが、一文が短くて歯切れのいい文章である。

これから話がどういう風に展開していくのか楽しみである。

片岡さんの小説に関心のもつ個人的な理由はいくつかある。一つは私も片岡さんの小説出てくる両親のような物理学者だったし、それに作家片岡さんが大体私とほぼ同じような年齢であるからである。

片岡さんの小説の主人公の僕はだから片岡さんの息子さんくらいの年令であろう。ということは私の子どもたちの年令ともそんなに違わない。そこら辺が関心をもっている理由である。


三角関数の還元公式

2014-10-11 11:15:48 | 数学

「三角関数の還元公式」と題する、数学エッセイを最近書いている。その中にcos関数やsin関数を描こうと思っているのだが、それが何を使って描くかというところで頓挫しているということが先日の仕事が進まないという嘆きの原因であった。

cosやsinのグラフを描く方法はいくつか考えられるのだが、そのどれもまだ自分で使えるようになっていない。そこが問題である。

たいていの図は最近ではlatexのpicture環境で描いてきたが、さすがに正確なsin関数のグラフやcos関数のグラフはpicture環境で描くのは難しい。いや描けないことはないのだろうが、それをかなりの量のプログラムを書いて描くのではうんざりしてしまう。

それでemathかasymptoteか、はたまたプログラム言語のbasicで描くかといった選択がある。前に使ったことがある、GRAPESで描くという選択もあるが、いまはちょっとGRAPESを使いたくない気持である。

そこら辺がちょっと気持ちとして複雑である。どうしようもなければGRAPESを使うかもしれないが、いまのところはそれを使う気がない。だが、もう一度考えてみる必要はあるかもしれない。

(2016.11.25付記) 三角関数の還元公式について5, 6のシリーズを予定して「数学・物理通信」に書き始めたが、2回くらい書いてそのままシリーズが中断している。何を書くかは私の頭の中にあるだけなのだ。それも自分自身が何を構想していたかは記録をとっているわけではないので、もう今はわからない。もちろんその執筆を再開すると思いだすであろうが、それがいつになるかはわからない。

関心のある方は「数学・物理通信」の記載のエッセイを読んで見てほしい。こういう話はすでに分かっている話であるが、教育的にはそれでも突き詰める価値があると私は思っている。

(2017.6.7付記) 三角関数の還元公式についての5回ないし6回のシリーズのエッセイは頓挫したままである。いつかちゃんと書いておきたいが、さて書けるかどうか。

その構想もほとんど忘れてしまった。2回だけこのシリーズを「数学・物理通信」に書いたが、それきりとなっている。いつかそれらのエッセイを書くことを再開する、きっかけをつかめればいいのだが。

私のもっている問題意識はあまり普通の人にはどうでもいいことかもしれない。だが、そういうつかみ方をするということは私の生きているうちに書き残しておきたい。