作家の黒川創さんが哲学者の鶴見俊輔さんの伝記を書いて、それによって朝日新聞の出している、大仏次郎賞をもらったことはまだ記憶に新しいが、このときの受賞あいさつを物理学者のKさんからメールの添付書類で頂いていた。
この添付書類をディスプレイ上に出していたが、読んでいなかった。昨日プリントして読んでみたら、なかなか興味深いことが書いてあった。
黒川さんは「思想の科学編集委員」を経て、作家になったと経歴が書かれているが、「思想の科学編集委員」は職業でも社会的な地位でもなかったという。
他の職業でなんとか生活をしていて、そのうえでボランティア的に「思想の科学」の編集委員をやっていたという。
黒川さんはいう。鶴見さんが生涯を通してやろうとしてきたことは、そういう共同の学問のあり方だったと。いわゆる「人権としての学問」であった。これはもちろん、「特権としての学問」に対する言葉である。
もっともこの思想は鶴見さんの独創ではなく、物理学者の武谷三男の考えであるという。「人権としての学問」とは地位にも報酬にも結びつかない学問だという。
実はこれを読んで思いついたのは私たちの「数学・物理通信」もこれではないかと思った。
実は「数学・物理通信」に自分の原稿が掲載されても、何の業績にもならないし、ましてや報酬も地位も得られないからである。
私は晩年の鶴見俊輔さんと面識を得たが、これも私が武谷三男に関心をもつ研究者の一人であるということが大きかった。