昨日は75回目の憲法記念日だった。1947年(昭和22年)、私は小学校の2年生だった。敗戦の翌年に小学校に入学したが、この年は病気がちであり、学校へ行けない日も多かった。
2年になり少しづつ元気になったが、まだ十分に体が健康にはなっていなかったろうか。それでもだんだん健康に なりつつあった。
食糧事情もまだまだ厳しかったが、1945年とか46年よりは回復してきていた。空襲で焼けてなかった小学校が建てられて、私の家から近いところに変わったのは2年生のときだったか、それとも3年生のときだったろうか。
2歳上の兄が先生に言われて、新憲法公布のポスターの絵を宿題として描いていたのを覚えている。その兄も昨年84歳で亡くなってしまった。
幸いなことに私はまだ特に体のわるいところはなく、高血圧とかで血圧降下剤などは服用しているが、まあ体の痛いところはない。
それはさておき、昨日は松山のコミュニティセンターでの憲法集会に妻と二人で出席してきた。その後の街中でのデモには高齢だから、失礼をして帰ってきた。
講演は防衛ジャーナリストの半田滋さんでなかなか行き届いた講演であり、最近のロシアのウクライナへの侵攻とか世界の軍事情勢とかの話はとてもわかりやすかった。
妻は途中で講演中に寝てしまったといっていたが、私は最初から最後まできちんと聞けたのはよかった。
軍事的な防衛力の増強とかは反対である。こいう言う考え方は19世紀的でマインドセットして古すぎるのだ。日本国憲法は世界に誇るべき財産であることを知らねばならない。