物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

フリースクール

2008-11-12 12:37:05 | 受験・学校

フリースクールも学校に入るのだろう。だが、普通の学校ではない。字を書けないし、読めない人や計算ができない人に小学校や中学校の教育を与えようとする学校である。または学校に行けなくなってしまった人にいつでも好きなときに学びにいけるようにする学校でもある。

先日テレビで見たフリースクールは子どものときに何らかの理由で小学校へ行けず、字を書けず、読めない人が字を習うという話であった。そして字が書けるようになって宿題での文章として原稿用紙に50ページもの文を書いてきたという感動的な話しである。題は「生きていてよかった」であった。いつも死にたいと思ってきたのに、いま字が書けるようになって「生きていてよかった」という。

マンツーマンで教えるボランティアの努力はあまり描かれていなかったが、人のこういう変化を見たら、ボランティアの努力も報われたと感じられる。もっとも教材はもちろん難しいものではないが、普通の教材であったように思う。もっと工夫された教材であってほしいというのは私の欲張った考えだろうか。


iKnow

2008-11-12 12:23:11 | 日記・エッセイ・コラム

無料英語学習サイトiKnowのTOEICのリスニングの学習を2日ほどやって見た。なかなかよくできている。ミスをするとそこを強化するように何回もでてくる。心理学と大脳生理学の成果がこの方法には取り入れられているという。

一日1課でもいいから続けられたら、力がつくだろう。もっとも実際の会話とか読む力はまた別の課題かもしれないけれど。新聞によれば、30万人がこれで学んでいるという。特筆すべきはこの学習が無料でできるということである。社会に力をもたせようと思ったら、そこから利益を得ることを考えるのではなく無料でできることが大切だと思う。

これは私などがe-Learningをつくるときにもそういう考えである。ただ、無料であるとそれに協力をしてくれる人は限られてくる。それである程度メジャーになるまでは少数でがんばらなければならない。

それにしてもこのiKnowには英語の文章とその音声と写真がついている。訳も出てくる。膨大な費用がかかったに違いない。それをどこから支出したいのか知りたいものである。


digital native

2008-11-11 11:22:38 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、digital nativeというNHKの番組を見た。午後10時からの放送であった。インターネットが生まれたときからあってそれになじんできた世代は私たちの世代とは違うといういくつかの典型的な例を取材するものであった。

第一に取り上げられたのはアメリカの14歳か15歳の中学生で彼はElmenteoという教育ゲームの売り上げで業績をあげている。数年をかけて世界の化学元素についての知識を集め、その元素をキャラクターにしたゲームを考案した。その実現には3人のプロのデザイナーとかに協力をしてもらったという。プロの方たちはまさか自分のする仕事の発注をした者が中学生だとはかなり後まで知らなかったという。

第二には日本のハテナの創業者近藤潤也さんであった。彼は彼の会社を上場すると数十億の資産が入るのに上場をしないでアメリカに行ってしまう。また帰ってきているかもしれないが、少なくともお金儲けに関心はないという。これは現在の経済中心の世界をみれば、かなり特異な存在に写るであろう。

第三にはウガンダでインターネットを通じて世界とつながり、AIDSの防止に尽力をしている若者であった。

現在の経営者たちにもこういった世代を現在の社会にどう組み入れていくかと課題をつきつけているらしいが、いくつかの特色がこれらの世代にはあるらしい。

そのうちでインターネットの世界と現実世界との違いを認識していないというのが大きな特色である。それからいわゆる年齢とか身分とか所属とかそういうものから超越している。将来はそういった世代に後世を託すことになるのだが、願わくば彼らが知恵を持つようにと願わずにはいられない。

だが、古い世代としては私たちの世代の受け継がれるべき遺産を正しく継承してもらうことを切に望みたいと思いつつe-Learningの作成に従事している。


無料英語学習サイト

2008-11-10 11:26:20 | 学問

これは学問の項に入れるべきほどのことではないが、朝日新聞で無料学習サイトというので紹介があった。それはiKnowというサイトです。いろいろなコースがあり、無料というのがいい。ただ、問題は続けてやれるかどうかなのだろう。まずはサイトのURLだが、

http://www.iknow.co.jp/

である。問題はだれでも続けられるかどうか。いろいろなバリエーションがあるらしい。程度初級、中級。上級とそろっていて心理学的にもよくできているらしい。私はまだ未体験である。


羽生善治の思い

2008-11-08 11:29:18 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜の深夜NHKの放送で羽生善治のインタビュー番組を見た。現在四冠で、過去には25歳のときに七冠を達成したことのある天才棋士である。

語り口は物柔らかでこれが勝負の世界に生きている人かと思わせるような人である。決して自分が優れているというようなことを自負しているような感じには見えなかったが、常に新しい将棋に挑戦しないとおいていかれるのだということだけははっきりしていた。

現在の勝ちにもこだわるが、それだけではなく将来の自分の成長にも配慮しながら、将棋を指しているという言にはなるほどと感心をさせられた。目の前の1勝が欲しくないわけではないのだが、それだけにはとどまらないのだという。

冒険的な手を指さないと自分にも将棋界にも発展はないという。常に挑戦する姿勢は教えられるところが多い。また、自分は最先端ではないという。最先端で新しい将棋を指すのは自分よりももっと若い人たちであるとはっきりと認識している。だが、その新しい戦法にも対応しようとする柔軟性が羽生さんの特徴なのだ。

何事でも優れた人には他の人が持ち得ない感覚があり、それはその人の個性だろう。将棋には持ち時間の制限があるために自分でもどうなるか読みきれないことが多いのだという。そのときにこそその人の個性に、好みによった将棋の手が指されるのだと思うとのことであった。

確かに、基本的なベースとしての基礎的な知識は必要だが、それだけではないという、最後のところはその人の個性によるのだろうという。それは良い、悪いを越えたところにあるという。2時近くまでの90分番組であったが、その後は良く眠れたと思う。


オバマ旋風

2008-11-07 12:27:43 | 国際・政治

オバマがアメリカの次期大統領に選出された。彼がもし大統領に選出されなかったら、アメリカの希望はこなごなに崩れていただろう。ブッシュの8年間はまだ終わってはいないが、それでもトンネルの先は見えてきた。

黒人初の大統領とかいわれるが、オバマは純粋な黒人ではない。だが、皮膚の色は白人ほど白くはないし、黒人初の大統領として喜ばれるのは無理がないと思う。

問題はしかし山積した課題をどうこれからこなしていくかであろう。ブッシュ大統領一人の責任かどうかはともかくとしてアメリカのここ数年の取り組みはすべての面でとても許容されるものではなかった。

これは国際的に見てもそうだろうし、アメリカ国内においてもそうだったろうとおもう。金融危機を起こしたのは他ならぬアメリカの金融機関だし、それを許してきたのはアメリカ合衆国政府であったのだから。

intelligentとは日本ではどうか知らないが、英語やその他の言語では頭がいいという意味だが、まさにintelligentな大統領が出てきた。これはクリントンもそうだったらしいが、オバマもそうであってほしいと節に願っている。


超幾何関数との接触

2008-11-06 12:37:52 | 数学

以下の文は超幾何関数についての数学エッセイを書こうと思って以前に書いた「私と超幾何関数との接触」の経緯である。

数学エッセイの方は一向に出来上がりそうにないし、この個人的な歴史は数学エッセイにはあまりふさわしくない。それでここで紹介をさせてもらう。

超幾何関数という用語に出会ったのは

Schiff ``Quantum Mechanics"(McGraw-Hill) 2nd ed.

の116ページであった(この本は大学4年生のとき研究室でのセミナーで読んだ)。

これは量子力学にでてきた微分方程式の解を示すのに用いられていた。確か合流型超幾何関数(confluent hypergeometric function)といった。超幾何関数だけでも難しそうなのにその上に合流型という形容詞がついている代物であった。

その後、何十年かしてSturm-Liouville型微分方程式の固有値をMilneの方法を使って数値的に求めることを数年間自分の研究のテーマとした。

固有値の相対誤差とか計算時間を数値計算工学的に議論したときに, その固有値が解析的に求められる例として量子力学に現れるいろいろなポテンシャルでの固有値を求めた。

これらは量子力学の演習書でてくるものであるが、そのときにまた超幾何関数に出会った。普通に初等関数が解でないときでも、微分方程式の解は大抵、何らかの超幾何関数で与えられることを知った。

最近になってまたソーヤー著の『数学へのプレリュ-ド』(みすず書房)を読み返していたら、超幾何関数のことが書いてあった。これは数学の「統合化について」というテーマで語られていることの一部としてである。

ソーヤーによれば、「学校で習う関数のほかに技術者や物理学者が利用する多くの関数があるが、(中略)それらは超幾何関数の特殊な場合である。事実、こんにち多くの大学の物理学科の学生や工科の学生, ときには数学科の学生でさえもが学ぶ関数の100パーセントとはいわないまでも95パーセントが, このF(a, b, c; x)というただ一つの記号でカバーされるというのが実状である」という。

因みに幾何級数とは1+x+x^{2}+x^{3}+x^{4}+----のことをいう。超幾何関数は無限級数の形に表されるが、これが幾何級数とは違った形であることから来た名称らしい。

(2014.7.30 付記)  私のもっている疑問はつぎのようなことである。

ソーヤーが「大学の物理学科の学生や工科の学生, ときには数学科の学生でさえもが学ぶ関数の100パーセントとはいわないまでも95パーセントが, このF(a, b, c; x)というただ一つの記号でカバーされる」というとき残りの5パーセントの関数はどんなものか。

それを書き下すこともそんなに難しくはないとソーヤーは書いているが、残念ながらそれらを書き下してはくれなかった。

それはどのような関数なのだろうかという疑問である。最近古書で日本語で書かれた超幾何関数の書を数冊購入した。そのいずれかの著者に手紙を出して、私のつまらない疑問の答えを知りたいと思っている。

(2019.11.11付記)
超幾何関数で表せない初等的な関数は、矩形波を表す関数とかy=|x|とかも候補になるのではないかと思う。しかし、それが本当の答えかどうかはまだわからない。
 


超幾何関数

2008-11-05 12:40:17 | 数学

W. W.ソーヤー著の「数学へのプレリュード」(みすず書房)は学生の頃に読んで感心した書であったが、これの再版が同じみすず書房から出されている。もうこの書をゆっくりと読んでいる時間はないが、その中で超幾何関数というところがなんとも好奇心をそそる。

普通の学校で学ぶ初等関数はほとんど超幾何関数の一つと考えられるという。また、工学や物理学で出てくる関数の95%は超幾何関数と考えられるともいう。

この書には超幾何関数でない関数について書いてはいないが、超幾何関数でない関数を書き下すのも難しくないという。その記述には好奇心がそそられるではないか。例としてそのような関数を書いてみて欲しいと思う。

ソーヤーの述べている超幾何関数はGaussの超幾何関数といわれるものである。ちょっと調べて見ると、このGaussの超幾何関数を一般化した、Pochhammerの一般化された超幾何関数というのがある。

狭い意味でのGaussの超幾何関数でない関数があるのはわかったが、一般化された超幾何関数でもなく、かつまた普通の超幾何関数でない関数の例を知りたい。これはもちろん解析的な式で表すことのできる関数での話である。(2011.8.24:文章を補足追加)

たとえば、すべての有理数に対して値 1 をとり、すべての無理数に対して値 0 をとる関数を定義できるが、こういう例は除いて考えたいというつもりである。(2011.8.24:文章を補足追加)

犬井鉄郎著「特殊関数」(岩波)の序文のところを覗いてみると’超’超幾何関数というのがあるらしい。それらはもちろん超幾何関数ではないであろう。しかし、それらについてこの「特殊関数」では書かれてはいないようだ。

ごく最近になって、超幾何関数について数学者の間で関心が広がっているようだ。インターネットを検索して見るといくつかのサイトが見られる。これは数学界の話題だが、ソーヤーの書いたことは専門の数学者でなくとも好奇心をそそられる。超幾何関数についての日本語の本も数冊発行されている。

(2020.1.15付記)  超幾何関数でどのような普通の関数が表されているのかについては前に 「超幾何関数1」というタイトルでエッセイを愛数協の機関誌『研究と実践』に書いたが、これをまだ『数学・物理通信』には転載をしていないようである。

いつか転載をすることを考えたい。それに実は現在の私の関心はむしろ超幾何関数としては表されない関数で、初等的な関数にどういうものがあるかを知りたい。それについてのエッセイに書きたいという気が強い。

こういうことはマイナーな関心であるので、そういうことに触れた文献はあまりないのだろう。



いとこ会ふたたび

2008-11-04 11:40:11 | 日記・エッセイ・コラム

11月2日の日曜日にI市の某ホテルで数年ぶりのいとこ会があった。集まったのは15人で妻とか数人のいとこの連れ合いもいるが、基本的にはいとこだけの集まりである。これは全部が母の姉妹兄弟のいとこで遠く関東地方からも来た人もいた。

今回の会合は高知県に住む、いとこがすべて手配をしたらしい。彼女が参加者の一番の年長で、その席でいとこらが以前に書いた思い出を印刷出版した本の配布がなされた。小さいときは親戚の多くが朝鮮の釜山近くの鎮海という街に住んでいた。わたしも1940年から1945年の2月くらいまでそこに住んでいたが、戦争の終了の直前に引き上げて帰ったといういきさつがある。

59年ぶりだったかに鎮海を訪ねたのももう何年も前になってしまった。小さな桜のきれいな町で今では数百万の人が花見の季節には訪ねるという。

しかし、いとこ会の帰り道では足がふらついてしっかりしなかったが、夜半に喉が渇いたので水を飲んだら、気分が悪くなって戻してしまった。体調が悪かったのだろう。アルコールはそれほど強い方ではないが、普通には飲めるつもりだ。しかし、ときどきは悪酔いをするようになった。

もっとも11月3日のお昼には普通に昼食を取れたから、さほど二日酔いはひどくなかった。でも昨日は一日コタツで眠るともなくぶらぶらとして一日を過ごした。珍しいことである。


ITと教育

2008-11-01 11:45:10 | 受験・学校

昨夜、NHKの教育テレビで音楽をやっているかと思ってつけてみたら、アメリカのITの教育への普及の実態と討論の番組を見た。

わたしはある人と共同でe-Learningのコンテンツをつくっているのだが、そういうちゃちな話ではなくもっとITが教育に入り込んでいるという話らしい。

これにはコンピュータ会社(SUN)や出版社(Wilely)やその他の企業が乗り出してきている。

Sparknotes, CliffsnotesとかCurrkiとかいうようなものがあるらしい。こういうものが無料で使えるということになると教育の世界が変わってしまう。

もちろん、通常の学校教育の場もその必要性はなくならないのだが、先生の学生への宿題もインターネットで検索してそこから資料を取り、コピーアンドペーストしてレポートでも簡単にできてしまう。

先生の方もそういう安易な学生のやり方に対してその対策は講じてはいるが、それを十分に見破ることは難しいという。

特に難しいのはいつも数学とか物理のような学問のIT化ではあるが、それらもいつかは出来上がってしまうかもしれない。

e-Learningに関して以前から有名なのは金沢工科大学であって、ここは何十年か前から入学生の学力不足をe-Learningとそれを補助する教員たちで補ってきているはずだ。

また、数学のe-Learningでは私の知っているのは高知工科大学の数学の先生の作ったシステムが完備している。これはまだ発展途上であって、将来はもっとすぐれたものになるだろう。

私もいくつかのアイディアをもってe-Learningのシステムをつくろうとしているが、なにせほとんど一人でつくっているので、仕事が遅々として進まない。いい協力者が欲しい。