物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

文書の整理

2008-12-15 12:35:11 | 学問

文書の整理がどうしても必要になってきた。これは大学を定年になって学校においてあった文書等を自宅に持ち帰ったから、多量の文書がまだ段ボール箱に入ったままになっているのをなんとかしたい。

いま、仕事の上で大きな浮世の義理がやっと果たせそうになっている。そのためにまた別のことをしたいと考え出したからである。そうすると以前にしていた資料が必要になってきたりする。それを探すということに時間がかかっている。また、それを整理しなければならないという意欲も少し起こってきた。

これまで、それほど勤勉な方ではなかったのだが、それでも論文のコピー等が多量にある。これを捨てるというのも一つの整理の仕方だが、これらをなんとか整理して再使用できるようにした方が資源的にはいいと思う。ただ、その整理のための場所とか時間がかかるし、どう整理したら再使用に都合がいいか、アイディアが必要である。

数年の時間が経ったので、いいアイディアが浮かぶかとも思っていたのだが、なかなかいいアイディアは浮かんでこない。

「書類」というのを英語でどういうのかなと思っていたが、最近のiKnowでの英語の勉強でdocumentというのだとはじめて知った。


製品を造って売る

2008-12-13 16:50:50 | 社会・経済

この頃のように企業の製品が売れなくなって派遣社員を解雇するというニュースが続くとどうも製品を製造して売るというシステムが破綻したわけではないが、限界を見せたという風に感じてしまう。これは行き過ぎた考えだろうが、アメリカのビッグ3が今にも破産しそうになると今までの繁栄はなんだったのかと疑問に感じてしまう。

では製品を製造して売るという行為以外に何かやり方があるのかといわれれば、沈黙をしてしまう以外にないのだが、何かを買うことのできる人々がたくさんいてやっと現在の資本主義というか市場経済は成り立っていたのだなと納得をする。

確かに企業は派遣社員を大量に雇用して、もし景気が悪くなればその人々をとかげのしっぽのように切り捨てて自分の会社の温存を図る。これは合理的な考えであろうが、一方で製品を購入してくれる人々の生活を切り捨てているわけだから、実は痛し、痒しである。

トヨタのようにアメリカ経済に大きく依存して車を売っていた会社はその影響をもろに受けてしまう。内需拡大とかいわれたのはかなり前のことだが、その内需の拡大もそれほどではなくやはり輸出に頼っていたということだろう。経済の専門家にこの点を正したいと思う。あなたはどういう考えでいままできたのか。これは単に金融の公定歩合を上げたり、下げたりではすまないのだと思う。

そういうことを根本から考えてくれる経済学者はいいが、そうでないとこういう事態になると右往左往するだけである。約300万の派遣労働者がいるという。それに家族もあるいは加えれば、1000万近い人が大きく影響を受けている。これで資本主義が勝利したなどとはいってほしくはない。むしろ失敗ではないか。それに対するいい解決策はすぐには出てこないだろう。

福祉の政策としての介護とか病院のケアとか老人のケアとかは仕事としてはなくならない。それに従事する人の待遇を改善できれば、働く場所の確保にもなるし、福祉への貢献にもなる。それ以外にもいくつかの考えはあろう。教育もいつも欠かせないものである。そこにもお金をつぎ込むこともできよう。そしてそれはまったくの浪費のようでもあるが、未来に人材の育成の結果として社会にある意味で帰ってくることでもある。

いま単に製品をつくって売る以外のそのようなものごとに力を入れるとすれば、消費も上向くし、結局は景気もよくなってくるのではないか。そういう直には製品をつくるのではない分野で必要欠くべからざる分野をいくつか拾い出し、重点的に伸ばすことをするべきではないのか。

それらは国の予算からすると使う一方で多額の税金を納めてはくれない分野と思われているが、そういった発想の転換はできないのか。


死を意識する

2008-12-12 13:21:10 | 日記・エッセイ・コラム

現在生きていて、死を意識しているかといわれたら、死を意識してはいない。しかし、新聞等を読んでいると60歳くらいとかそれ以下でも人は亡くなっている。特に60歳を越えると死亡通知のでてくる人が多くなる。ということはいつ自分も死亡してもおかしくないのだとわかる。

妻が10日ほど旅行に出かけるので、「帰ってきたときに、死んで死体になっていても驚かないでね」といったら、皮肉だととられて「奥さんだけが長生きするのは癪だから、そう思って元気で長生きしなきゃあ」と返された。別にそういうことを意識していたわけではないので、「別に奥さんだけが長生きしてもけしからんとは思わんよ」と答えておいた。

もし、自分の予想よりも早く死亡してしまったなら、生きていたならばできたであろうことができなくなって残念と思うだろうということがそういう風に考えた原因である。

前に、やるべき計画のいくつかをこのブログに書いたが、そのうち2,3はすでに仕上げた。もちろん、まだ予定してあることでやっていないことも、またそれ以外にたくさんやりたいこともある。


地位の上下からの解放

2008-12-11 13:20:13 | 物理学

昨日、NHKのニュースで名古屋大学の物理教室の上下の地位を気にしない議論とか先生といわないという習慣について報道があった。これは別に名古屋大学だけのことではない。

素粒子論分野では常に教員に対しても先生とは呼ばない。また教員が普通には呼ばせない。先生と呼ぶのは伝統的に湯川、朝永、坂田、武谷といったかつて大ボスといわれた人たちだけでそれ以下の人たちは先生とは呼ばないし、教員自身が学生や目下の者たちに呼ばせないのが普通である。

この伝統がいつ起こったかについては諸説があるだろうが、朝永先生の高弟であった、木庭二郎さん以来の伝統というのが多分正しいのであろう。木庭さんは長らくコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所の教授だったが、ヨーロッパで出会った、自分よりも若い研究者にも先生とは呼ばせなかったという。

しかし、そういう風習は別に木庭さん一人がつくり出したものではなかろう。第二次世界大戦後の日本の素粒子論グループに普通に行われていたことである。現に私の先生の一人だった、Oさんも自分のことを先生とは呼ばせなかった。

京都大学で小林、益川のノーベル賞受賞記念の集会があったときに、京都大学基礎物理学研究所の九後さんが益川さんの紹介のときに益川先生と先生という言葉を使ったら、「コラッ」と益川さんが言って、「益川君と呼べ」と叫んでいた。まさか益川君とは言えないので、九後さんは益川さんと言い換えていたが、それがテレビに放映されていた。

益川さんの、この気魄と学問の上で上下なしという強い意識はまさに地で行く教育である。


ある体感

2008-12-10 12:35:21 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、恒例のテニスに行った。練習の後、ダブルスの試合を仲間内でいつもしている。はじめの一試合以外は全部負けだったが、終わった後の感じがとてもよかった。これはどうしてなのだろうか。ミスも多いし、うまく攻められて負けたということもあるのだが、それだけではなく一段上の心境に達する取っ掛かりができ始めたという体感がしているような気がする。

もちろん、これは下のレベルの人を相手にしての話であり、まだ中級クラスの上の人が相手ではない。でもなかなか相手もミスをしないプレヤーたちであるから、中級の下のクラスといっても勝つことは難しい。いまさら70歳を前にしてほんのわずかテニスが上達したといってもたいしたことではない。ただ、体感としてのプレー後感がよかった。気温が比較的暖かかったことも原因の一つであろう。

冬に寒くなると筋肉が固くなって、私は初心者でもしないような信じられないようなミスをする。しかし、最近正午からのラジオ体操をするようになって、少しづつ肩の筋肉が柔らかくなって来ているためだろうか。


小さなパーティ

2008-12-08 14:01:43 | 日記・エッセイ・コラム

小さなパーティを昨日仕事場でした。今年の6月に一回したが、今年は2回目である。もっとも来年以降は一年に一回位しかできないであろう。基本的にはその費用がつくれないからである。

9人という、少人数のパーティだが、それでも数万円は費用がかかる。今年はたまたまデーパートで使える商品券をもっていたので、それで買い物をしたので、あまり現金は使わないですんだ。それでも焼肉の肉の量が少なすぎて後から来た人にはあまり焼肉が出せなかった。これは反省点である。いつもは2~3kgくらいは買い込んでいたらしい。今年は1kgしか買わなかったので足りなかった。

もっともゲストは別に焼き肉を食べにきているわけでないので、別に不満ではなかったろう。ビールは12本でまだ数本残った。もっともワインは友人に貰っていたスペインのを含めて何本か空けた。

数学者のN先生が松山に住むようになったので、N先生を他の私の友人に紹介するということがこのパーティを開くようになった動機である。でもパーティを開くようになって、はじめの数回は当のN先生は都合で来ることができず今回がやっと2度目の出席となった。

こういう話をすると私はさぞつき合いがいいのだろうと思われるかもしれないが、普段はつき合いのあまりいい方ではない。


ゴルゴ十三

2008-12-06 11:41:56 | 本と雑誌

「ゴルゴ13」とは’さいとうたかお’のマンガであるが、なかなかよく調べて描いてある。私も在勤中は昼飯に行った食堂のマンガで愛読をしたが、いまごろはそういう食堂に行くことがないので読むことから遠ざかっている。

アマゾン・コムの書評を書いている人にペンネーム「ゴルゴ十三(じゅうぞう?)」さんがいる。彼は物理学を大学で勉強した人でどこかの企業の研究所に勤めておられるという。

数学や物理の本の書評が適切でほんとうに優れている。いつも彼の書評を読んでは世の中に優秀な人がいるものだと感心するが、その書評もかなりたくさんあって、彼のは一種のブログを読むようである。

外国語にも関心が深くて努力家でもあるようだ。テレビの英語の放送をみているらしいし、ラジオのフランス語の放送も聞いているらしい。これは私も大体同様であるが、その徹底ぶりがすごい。テレビやラジオの放送で出演した講師の本まで読んで書評をしている。その読書量がすごいと思う。

また、私などはもう退職したせいもあるが、本を買う、お小遣いも制限されてなかなか月に数冊の本を買うにもいつも考えないといけないが、まだ彼は現役だからかそういった心配はないようである。まことにうらやましい限りだが、「ゴルゴ十三」さんの健闘を祈りたい。


S君のこと

2008-12-05 12:43:26 | 日記・エッセイ・コラム

中学、高校で同級だったS君はシナリオライターである。とはいってもどういう作品を書いているのかは知らない。H市の在住で、劇団を主宰しているらしい。いつだったか私の出身の I 市で彼の劇団が演劇を行ったことがある。

有名な外科医の息子であったが、父の跡は継がず、映画監督への道を目指したが、その後少し方針を転換して、出版社をやっていたが、それを誰かに譲ってシナリオライターになったと風の便りに聞いた。

同窓会等でもほとんど会ったことはないが、独特の趣をもった人であった。中学の頃よく誘われて休み中にも中学校へ行って、二人で相撲をとった。西鉄ライオンズの熱烈なファンでもあり、また当時まだ現役だった相撲取りの吉葉山のファンだった。彼の感化で私もそれらのファンになった。

映画が好きで、よく学校の午後の授業を早引けしては映画館に行っていたらしい。後日、何年もしてから、当時私の高校の先生をしていた義父からよく先生方が映画館に生徒の生活指導に行ったら、彼を見かけたという話を聞いた。

私の二男を育てる方針として好きなことや得意なことを伸ばすということに重点を置いていたのは彼の生き方を見ていたからであった。少しぐらい不得意なことはほっておいても得意なことを伸ばすというのが結局はいいという感じをもっていたからである。

しかし、いまではそうばかりは言って居れなくなったような気がしている。というのは派遣社員でいままで十二分な働きをしてきた人たちが簡単に首を切られるという時代になってきたからである。

自分にあったものの他に場合によっては不得手なことでも我慢して自分のものとして自分の違った面で生きていかなければならないこともままあるかもしれないからである。

派遣社員を簡単に雇用調整として解雇することに対しては資本主義社会のあくなく効率性とか利潤追求を見てとることができ、その非人間性に唖然とするが、いつか日を改めて書いてみたい。


生活のあか

2008-12-04 10:51:46 | 日記・エッセイ・コラム

「生活のあか」というと何か悪いことのように聞こえるが、ここでは必ずしもそういう意味では使っていない。日常の生活を送っていくときに何かしらするべきことといった程度の意味である。たとえば、朝起きたときに大抵の人は顔を洗うが、そのための時間が必ずとられる。そういったどうしても必要な時間を一応「生活のあか」ということにしよう。

私の場合にはこのブログを書くこともそれに入る。それ以外の「生活のあか」に入ることはとても多い。ラジオを一日数時間聴くこと、1週に一度か二度テニスを夜間に2時間すること、テレビを見ること等である。これらは別にしなくても生死には関わらないが、自分の人生の生きがいをもたらしていること“たち”である。ここで、日本語には複数がないので、“たち”は複数であることを示す。

そういう一日の自分で決めた決まりごとのためにかなり多くの時間を費やしている。インターネットサーフィンもその一つであろう。主に「日本の古本屋」というインターネットのサイトをほぼ毎日覘いて武谷三男、遠山 啓氏に関連した所有していない古書がないかをチェックしている。

もっともポケットマネーがこのごろはあまりないし、これらの関連書籍はほとんどもっているのでめったに食指が動くことはないが、それでも新しい発見がないかとチェックしている。


紅葉

2008-12-03 11:21:22 | 日記・エッセイ・コラム

松山は暖かいところである。だから紅葉もなかなか進まない。でも12月になってやっと並木のいちょうが見事な黄色になってきた。

勝山町と平和通の並木は通りの中央にあって分離帯をつくっているが、それらの葉が黄色になるのは毎年11月末から12月はじめである、今年もようやくその黄色が映えてきた。昨年も同じことを書いたと思うが、やはりそれでも毎年のことではあるが、書きとめておきたい。

以前にも書いたと思うが、30数年昔にドイツに滞在していたころ、秋にモーゼル河畔の山にあるBurg Eltzを訪ねたことがあった。

日曜日だったのでその城には入ることができなかったのだが、駐車場で車を降りて深い森の中を城の方へ歩いていくと、木々の紅葉が本当に神々しいほどで神様を信じない私でも世の中に神様が存在して、このような神々しい世界をつくりだしているのではないかとまで思われた。

当時子どもはまだ小さくて4歳と6歳であったので、彼らがどう感じたかはわからないが、妻もこういうときには自分も神を信じてキリスト教徒になってもいいかなと思うと言っていた。

ドイツの森はドイツ人の国民性と切り離すことはできないらしいが、それほど印象的に思えるドイツの森の落葉樹の紅葉であった。

グリム童話に出てくるお話がやはりそういう森の持つイメージから派生してきたことがうなずけるような気がする。

日本で知られているグリム童話のあるものは実はもっと残酷なストーリであったりすると聞くが、ともかくもそういう残酷なところまでこれらの森はそのイメージとして含んでいるということであろう。


岩波「数学公式集」IIIの誤り

2008-12-02 11:32:18 | 数学

3冊の岩波「数学公式集」I, II, IIIは理工学系の人なら大抵はもっている公式集だと思う。

いま、このIIIがいつの発行か見てみたら、初版が1960年の発行だとわかった。昔からあると思っていたが、私ぐらいの年に者になるとそれほどこの公式集も古くはなかったのだなと思う。因みに私は1958年に大学に入学して、卒業は1963年である。

私が3冊のこれらの公式集を初めて買ったのは1965年くらいだと思う。いまもっているのはその後の出版で1975年の14刷である。

その後もう30年以上経っているので、すでに訂正がされているとは思うが、数日前に超幾何関数で三角関数のsin, cosとか双曲線関数sinh, coshを表すところを調べて見た。

これらを級数で表してみると係数がうまく出てこないことに気がついた。どうも間違っているらしい。

それで、念のために別の公式集を見てみたら、そこに出ている式と明らかに違っている。公式集は間違っていては困るが、やはり人間のやることだから間違いは避けられない。

それに普通の関数を超幾何関数で表したときに本当にそれがあっているかどうかまでは1960年に発行されてから、少なくとも1975年までの15年間には検算した人はいなかったということだろう。

以前にもこの数学公式集に小さな間違いを見つけて連絡をしたことがあったが、岩波書店の社員はみな忙しいのだろう。編集者からなんの連絡もなかった。

いや別にそれを恨みに思っているわけではない。常に小さな間違いでも増刷するときに訂正を繰り返しているだろうから、すでに出版社の方では訂正済だった可能性もある。

しかし、大きな公式集には間違いが絶えることはない。これはどうしても不可避のことであろう。人間のやることはやはり神のやることではないので、誤りは仕方がない。

あるロシアの科学者が編纂した分厚い公式集があり、E大学に勤務していたときに、それを校費で購入してもっていたが、それの公式に誤りがあったということを同僚の研究者から聞いたことがあった。研究上で使って見たら結果がおかしいので、よく調べて見たら、公式が間違っていたという。

その誤りを発見したグルジア出身だった大柄の美人の女性の大学院生がいた。その後、この方は指導教官の先生からの教官としての採用したいとの提案を振り切ってアメリカに永住移住したが、日本に居ても身分が安定しているわけではないとの判断だったのだろう。


flower arrangementと生け花

2008-12-01 12:37:49 | アート・文化

flower arrangementと生け花は同じものだと思っていたが、どうも考え方が違うらしい。生け花は例えば茶室の床の間に活けるというようなことで前からだけ見てきれいということに中心があるらしい。

それに比べてflower arrangementは食卓におかれたりすることが普通なので、どこからみても美しいということが要求されるという。花の鑑賞の考え方が違っているらしい。

妻によれば、生け花はflower arrangementの一部と考えるべきではないかということである。

生け花とflower arrangementとは同じものと単純に考えていたが、その細かなニューアンスに違いについてこの歳になって教えられた。誰からでも学ぶべきことはあるようである。