「ハイゼンベルク原子炉の謎」というエッセイが物理学会誌の4月号に載っている。
第2次世界大戦中にドイツで試作されていた、ハイゼンベルクが指導した原子炉が臨界に達しなかったということで、ハイゼンベルクは二流の物理学者と揶揄されたりした(arme zweite Klasse Physiker : Otto Hahnによる評)(注1)。
ハイゼンベルクはフェルミのような実験核物理と理論核物理を個人的に体現する型の人ではないので、これは彼の不名誉ではないかもしれないが、不名誉と考える人もいる。
それとドイツのハイゼンベルクのごく親しい周辺の人を除いて、戦前に師とも目されたボーアでさえも、ハイゼンベルクがナチの意向を汲んで原爆をつくろうとすると考えたという。
その辺がユンクの『千の太陽よりも明るく』(文芸春秋)の記述と食い違っているのだが、その辺の謎があるから、一般の人にもわかるような史劇「コペンハーゲン」が上演されて議論を呼んだ。
というような経緯はこのブログでも述べたことがある。
表題のエッセイにはそういういきさつも載っており、物理学者ならずとも興味をそそられるであろう。
しかし、このエッセイの主眼はそこではなく、ハイゼンベルクが関係した重水を使った原子炉がなぜ臨界に達しなかったかの謎に迫ろうとする(注2)。
そして解析的には解けない、臨界条件を求めるハイゼンベルク・ビルツの式をモンテカルロ法で数値的に解き、結局重水の量が足らなかったためにハイゼンベルクの原子炉は臨界に達しなかったと結論している。
普通には臨界条件を求めるには中性子の拡散方程式を解くが、この拡散方程式と比べてハイゼンベルク・ビルツの式が不合理というわけでもなかったということらしい。
(注1)arme のところをpauvreとしていたが、pauvreはフランス語なので、armeと変えた。armeにも「貧しい」という意味の他に「哀れな」という意味がある。
正しくはarmer, zweiter Klasse Physikerかもしれない。もしder arme zweite Klasse Physikerとderという定冠詞がつくなら、正しいだろう。(2016.7.29付記)
これはもちろん原爆とか原子炉の研究に関してだけで、その他の点でハイゼンベルクが2級の物理学者だということではもちろんない。
(注2)臨界とは原子炉の中で中性子が増えていく有効増倍率k_{eff}=1となる条件である。原子炉が作動するためには最低条件としてこの臨界条件を満たす必要がある。
普通に原発等で原子炉の運転をするにはこの中性子の有効増倍率k_{eff}を1よりごくわずかに大きくしたり、小さくしたりするようにコンピュータ制御で制御棒の出し入れを細かくしている。炉内の中性子の数を計測カウントしてその有効増倍率を1の上下となるようにコンピュータ制御で制御棒の出し入れをして原子炉を運転をする。
もっとも見てきたように言っているが、原発等の原子炉の実物は見たことがない。いつか何十年か前に当時知人が勤めていた熊取の京大原子炉の見学をさせてもらった。このときは原子炉は運転休止中であり、原子炉の上を説明を受けながら歩いたのを覚えている。
もともと制御とか運転とかは、ある運転の道筋(範囲)を決めておき、そこからあまり外れないようにすることだと星野芳郎の『技術と人間』(中公新書)で読んだ覚えがある。