「備える歴史学」で磯田道史さんの朝日新聞のコラムの紹介をした。
そのときに知りたかった説明が連載の3回目の2014.4.5の記事に載っていた。それは堤防と水門の設計のしかたのことである。
そのときに堤防と水門の高さが15.5mとあり、3年前の津波は20mを越えたとあったので、やはり人的被害は最小限に抑えたにしろ、家屋とかの物的被害は大きかったのではないかと推測を述べた。
その辺は第1回の記事では明らかではなかったが、堤防の内側に防潮林を設けてあったらしい。だから、15.5mの堤防や水門でもその高さを越える津波を暗に予想していたと思われるとのことである。
一番、感心したのは堤防と水門の設置場所である。少し内陸に入った箇所にこれらを設置して津波の勢いが少し減ったところにこれらを設置したという。
そして、人の住まない谷に津波を誘導するという方法がとられたという。これはその土地の地形をフルに考慮した堤防と水門の設計であり、その対策そのものをそのままどこか他の市町村に適用することはできない。
しかし、その根本のところからは学ぶべきところがあろう。
自然の脅威は私たちの想像をはるかに超えることがあるが、それでも人間の知恵でいくぶんかはやわらげることができるというとてもいい例であろう。