物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

プロ棋士、コンピュータソフトに敗退

2014-04-15 11:35:53 | デジタル・インターネット

将棋のプロ棋士たちが対戦して、コンピュータの方が4勝1敗だったと今朝の新聞で読んだ。

コンピュータでは1秒に読める手が何十億か何百億手だというから、これはなかなか本物のプロ棋士でも大変である。

ここでは別に人間がつまらないとか言いたいわけではない。むしろ人工知能の研究がここまで進んできたかという感慨の方が大きい。

しかし、人工知能が進んで来てもちょっと違った側面を人間は持っているという感じがする。

それはいま私は四元数に関心をもっていろいろ調べているのだが、そのときに何か、すでに調べられてインターネットのサイトに出ている記事とか論文を読むことがある。

しかし、それを読んで疑問に思うこととか、納得できないとかいうような思考とか気持ちとか、はたまた、矛盾した疑問を解くというようなことはなかなかその人に固有なものであるから、人工知能で追いかけるというようなことができにくい。

もちろん、そういうことでも研究者がそのつもりになれば、研究はできるのかもしれないが、将棋を指すというのとは全く違い、広範な話ではないので、研究に値するテーマではなかろう。

だから、個人的なテーマはなかなか人工知能の範疇には入らないだろうと思う。

話は違うが、数学で関数の積分をするのは関数を微分をすると違って、難しかった。

ところが、大学の一年生で学ぶ微分積分学の積分の問題を90%以上をコンピュータの「数式処理システム」が解ける時代となった。

それで積分計算は人工知能の研究課題からはずれてしまった。

解くのが難しい、多元連立方程式でもグローブナー基底を使って解くことができるという時代である。

解がある、すべての連立方程式を解けるようになっているのかどうかは知らないが、人間はこれから何を学ぶべきなのだろうか。


フォレスト・ガンプ

2014-04-14 17:04:05 | 映画

昨夜はじめて、映画「フォレスト・ガンプ」を最初から最後まで見た。

今まで途中だけフォレストが懸命に走っているシーンは見たことがあったが、初めから終わりまで見たのは初めてであった。

自閉症か何かの子どもが大人になるという話だが、トム・ハンクスが演じるフォレストは運がよくて軍隊でも功績を上げるし、卓球でも優れたプレヤーとなり、またエビ漁の漁船でもはじめは上手くいかないが、大成功を収める。

そして軍隊での上官だったダン少尉の才覚で最後にはコンピュータ会社のアップルに投資して財産を得るという運のよさである。

愛はなかなか得られなかったが、ようやく幼馴染のジェニーと結ばれて、二人の間に一人の子どもが生まれる。

が、妻のジェニーは難病で死んでしまうという不幸である。だが、彼はフォレスト・ジュニア―を一人でこれから育てるという結末である。

自閉症とかの問題があるが、結構私たちの生きてきた時代の出来事がその中に挿入されており、ベトナム戦争もそんなに遠い話ではなかったし、アポロの月面着陸も同時代に生きた私には懐かしく感じられた。

(注) 飯尾先生から主演はトム・クルーズではなく、トム・ハンクスであるというさりげないコメントを頂いた。あわてて自分の書いたブログを見たら、トム・クルーズと書いてあり、私の記憶がいい加減であることを知った。

私の意見ではトム・ハンクスよりもトム・クルーズの方がイケメンである。もっともこれは主観が入るから、意見のちがう人があるだろう。


四元数の極形式表示

2014-04-12 11:49:51 | 数学

近々発表しようとしている、「四元数と球面線形補間」の付録として書いた、「四元数の極形式表示」の項が気に入らないので、昨日書き直して草稿をつくった。

これは前に私が『数学・物理通信』に書いた「四元数の発見2」のEuler公式の四元数版をわかりやすく書き換えたものになった(つもりである)。

今日はそれをパソコンに入力をするという仕事をしなくてはならない。

前に書いた原稿で十分なのかもしれないが、どうも自分でもその明瞭さが十分でないと感じたのが書き換える気になった原因である。

もっともそのために説明がごちゃごちゃしてくるような気がしている。話の筋をはっきりさせながら、あまりごちゃごちゃはしない説明をしなくてはならない。

いつも相反する意図をもっているのかもしれないが、その相反する気持ちの間で揺れ動いている。

e^{\mathbf{n} \theta}=\cos \theta +\mathbf{n} \sin \theta

をきちんと導こうというのが目的である。この式はハミルトンがすでに導いた関係であるので、別に新しいものではない。

上式を証明をしてしばらくは疑義をもたないのだが、時間が経つと本当にこんな関係が成り立っていたのかなと思うような関係である。


ハイゼンベルク原子炉の謎

2014-04-11 11:00:41 | 物理学

「ハイゼンベルク原子炉の謎」というエッセイが物理学会誌の4月号に載っている。

第2次世界大戦中にドイツで試作されていた、ハイゼンベルクが指導した原子炉が臨界に達しなかったということで、ハイゼンベルクは二流の物理学者と揶揄されたりした(arme zweite Klasse Physiker : Otto Hahnによる評)(注1)。

ハイゼンベルクはフェルミのような実験核物理と理論核物理を個人的に体現する型の人ではないので、これは彼の不名誉ではないかもしれないが、不名誉と考える人もいる。

それとドイツのハイゼンベルクのごく親しい周辺の人を除いて、戦前に師とも目されたボーアでさえも、ハイゼンベルクがナチの意向を汲んで原爆をつくろうとすると考えたという。

その辺がユンクの『千の太陽よりも明るく』(文芸春秋)の記述と食い違っているのだが、その辺の謎があるから、一般の人にもわかるような史劇「コペンハーゲン」が上演されて議論を呼んだ。

というような経緯はこのブログでも述べたことがある。

表題のエッセイにはそういういきさつも載っており、物理学者ならずとも興味をそそられるであろう。

しかし、このエッセイの主眼はそこではなく、ハイゼンベルクが関係した重水を使った原子炉がなぜ臨界に達しなかったかの謎に迫ろうとする(注2)。

そして解析的には解けない、臨界条件を求めるハイゼンベルク・ビルツの式をモンテカルロ法で数値的に解き、結局重水の量が足らなかったためにハイゼンベルクの原子炉は臨界に達しなかったと結論している。

普通には臨界条件を求めるには中性子の拡散方程式を解くが、この拡散方程式と比べてハイゼンベルク・ビルツの式が不合理というわけでもなかったということらしい。

(注1)arme のところをpauvreとしていたが、pauvreはフランス語なので、armeと変えた。armeにも「貧しい」という意味の他に「哀れな」という意味がある。

正しくはarmer, zweiter Klasse Physikerかもしれない。もしder arme zweite Klasse Physikerとderという定冠詞がつくなら、正しいだろう。(2016.7.29付記)

これはもちろん原爆とか原子炉の研究に関してだけで、その他の点でハイゼンベルクが2級の物理学者だということではもちろんない。

(注2)臨界とは原子炉の中で中性子が増えていく有効増倍率k_{eff}=1となる条件である。原子炉が作動するためには最低条件としてこの臨界条件を満たす必要がある。

普通に原発等で原子炉の運転をするにはこの中性子の有効増倍率k_{eff}を1よりごくわずかに大きくしたり、小さくしたりするようにコンピュータ制御で制御棒の出し入れを細かくしている。炉内の中性子の数を計測カウントしてその有効増倍率を1の上下となるようにコンピュータ制御で制御棒の出し入れをして原子炉を運転をする。

もっとも見てきたように言っているが、原発等の原子炉の実物は見たことがない。いつか何十年か前に当時知人が勤めていた熊取の京大原子炉の見学をさせてもらった。このときは原子炉は運転休止中であり、原子炉の上を説明を受けながら歩いたのを覚えている。

もともと制御とか運転とかは、ある運転の道筋(範囲)を決めておき、そこからあまり外れないようにすることだと星野芳郎の『技術と人間』(中公新書)で読んだ覚えがある。

 


日付

2014-04-10 10:18:47 | 日記・エッセイ・コラム

新聞の切り抜きをしたら、「その新聞名と日付をきちんと書いておくべきだ」と口を酸っぱくして言っていたのは私の次兄である。

彼は I 市の市役所に長年勤めた公務員であったが、部下の人たちによく言っていたらしい。

いくらいい記事でもその日付と新聞名がない切り抜き資料は無価値とは言わないとしても価値が半減する。彼はいつもそう言っていた。

だからという訳でもないだろうが、できるだけ私も新聞の切り抜きをしたら、そのようにしている。だが、昔の切り抜きはそのような原則に忠実ではなく、新聞名と日付がないものもある。

日付ということが私の意識に登って来たのは、もちろんSATP細胞の実験ノートに日付がなかったとかいうのを新聞で見たからである。

実際に私がその実験ノートをみたわけではないので、真偽のほどは保証しかねるが、多分そうなのであろう。

それくらいその日付は重要である。記録をした当時はなんてこともないのだが、時間が経てば重要な意味をもってくることがあるということだ。

エッセイを書いたときにできるだけ、日付を入れるようにしているのは自分に忠実にということもあるが、日記をつけない私の自分の過程を記録することになればよいという気持ちからである。

このブログは日付が残っているが、毎日アクセスされたものを見直して一部文章の手直しがすることがあるので、文字通りの記録ではない。

もっとも趣旨を書き換えることはないので、そういう意味では記録にはなっているだろうが。


四元数と球面線形補間

2014-04-09 10:59:07 | 数学

2月くらいから書いてきた、数学エッセイ「四元数と球面線形補間」の検討に入った。

これは3月発行の『数学・物理通信』4巻1号に投稿するつもりであったが、どうも間に合わなかった。

それで4巻1号には「ベクトル代数再考」という前に発表したエッセイの改訂版でお茶を濁した。

だが、本来「四元数と球面線形補間」を投稿して掲載するつもりであった。

共同編集者の数学者のNさんに電話して、こんな題の数学エッセイを書いていると言ったら、「難しそうですね」と言われたが、私がわかるくらいだから難しいテーマではない。

もっともいろいろな説明を読んで、首尾一貫させる話に再構成するには結構時間がかかった。しかし、なんでもわかって見れば、なあんだというような話である。

図を描くのが面倒だなと思っていたので、図を描く気になるまでにほぼ1か月かかった。

まだ、わからない未解決のことも残っているが、まあそれはそのことを書いた著者に後で尋ねることしたいと思っている。


本が片づかない

2014-04-08 14:19:40 | 本と雑誌

大体、読書家ではないが、それでも最近気にかかる書が数冊あり、コタツの台の上に積み重ねてある。

1冊をようやく読み終えて、感想文を書こうと努力をしているのだが、どうも私はあまり書評とか感想文を書くのが下手のようである。

それでまだ書き上がっていない。1か月かもっと前にも一つ書いたのだが、あまりぱっとしない。

それでそのまま放ってあるが、どうも健康上の問題が出てきそうなので、それらも心配である。

しかし、書評とか感想は完成させておかなくてはならない。それに2月から書いていた、「四元数と球面線形補間」のエッセイを一応書き上げたので、それの検討もしておかなくてはならない。

健康上の問題が出てくると、『数学・物理通信』の発行もできなくなるし、それ以上に『ドイツ語圏とその文化』の発行は難しくなる。

今まであまり健康の問題にわずらわされないでやって来れた方が幸運だったのかもしれない。


備える歴史学2

2014-04-07 10:46:29 | 学問

「備える歴史学」で磯田道史さんの朝日新聞のコラムの紹介をした。

そのときに知りたかった説明が連載の3回目の2014.4.5の記事に載っていた。それは堤防と水門の設計のしかたのことである。

そのときに堤防と水門の高さが15.5mとあり、3年前の津波は20mを越えたとあったので、やはり人的被害は最小限に抑えたにしろ、家屋とかの物的被害は大きかったのではないかと推測を述べた。

その辺は第1回の記事では明らかではなかったが、堤防の内側に防潮林を設けてあったらしい。だから、15.5mの堤防や水門でもその高さを越える津波を暗に予想していたと思われるとのことである。

一番、感心したのは堤防と水門の設置場所である。少し内陸に入った箇所にこれらを設置して津波の勢いが少し減ったところにこれらを設置したという。

そして、人の住まない谷に津波を誘導するという方法がとられたという。これはその土地の地形をフルに考慮した堤防と水門の設計であり、その対策そのものをそのままどこか他の市町村に適用することはできない。

しかし、その根本のところからは学ぶべきところがあろう。

自然の脅威は私たちの想像をはるかに超えることがあるが、それでも人間の知恵でいくぶんかはやわらげることができるというとてもいい例であろう。


勝った者は・・・

2014-04-05 16:58:13 | 日記・エッセイ・コラム

先日のNHkのEテレの「100分で名著」で

「勝った者は歴史をつくり。敗けた者は文学をつくる」と言われていると歌人の佐々木幸綱さんが言われていた。

なるほどそういう言い方があるのかと眼から鱗であった。これは万葉集を4回にわたってとり上げる初回の放送の終りに言われたことであった。


平和、和解、協調性

2014-04-04 10:50:13 | 国際・政治

南アフリカ連邦の大統領であった、ネルソン・マンデラは平和(peace)、和解(reconcilation)、協調性(harmony)を大統領の就任時に重要なこととして国民に挙げたという。

先日のTEDではマンデラが牢獄から釈放された後で、サファリパークを経営していたVarthyさんのところに数か月だったか滞在していたときに、マンデラに食事を運んだ少年だった、Boydさんの話であった。

思いやりの心は人間だけではない。動物にもあるとか、足の不自由なある象のために集団がゆっくり歩くなど思いやりの心があるとか。

Boydさんがワニに足をかまれたときに、サファリパークの案内のパートナーの方がワ二がいるにもかかわらず自分の危険を顧みず助けてくれたこととかを話をされた。

強い国をつくりたいとか政治家が言うとき、その下心はなんのことはない、武器を製造している産業の利益のためであったりする。そのようなことはおくびに出さないが、それがお互いの国のバックの産業の振興だったりする。

外交には疎いが、もし慰安婦の問題が隣国との問題であるならば、なぜそれに直面をしようとしないのか。

確かに、それは以前に解決済みというのは建前の話であって、現在をどうするかという視点がなくてはなるまい。

もちろん、税金をそのためには使わなくてはならないが、それが過去の日本のしたことであれば、どこかでけじめをつけておかないといつまでも引き摺ってじまう。

その毅然とした態度がなければ、隣国とて疑心暗鬼になってしまう。

だが、それは隣国との関係の改善には役立つが、軍事産業の育成には役立たないと思っているのであろう。

平和、和解、協調性を心にもう一度刻みたい。

(2024.5.25付記)
平和、和解、協調性という表題のブログが数人の方に検索されていた。2014年のブログだが、現在の世界状況について述べているような感じが私自身もするから不思議である。ガザのイスラエルの侵攻はやはり人道的に見て許されることではない。

きっかけは確かにハマスのイスラエルへの奇襲にあることはまちがいがないけれども。そういう切羽詰まった感覚をハマスに与え続けている状況にあることの責任をイスラエル政府が感じることから平和は始まるのだと思う。それ抜きでは和平はあり得ないのではないか。

これは軍事的なイスラエルの勝利が得られたとしてもの話である。まったくの第三者として見ているからということである。

イスラエルはガザでこういう非人道的なことを平気でするようでは過去に自分たちユダヤ人に向かってされたジェノサイドを非難する論拠を失ってしまうのではないかとまで思ってしまう。

これはいわば極論でもちろん過去のナチスのしたユダヤ人虐殺は許されるものではないし、許すべきものでもないのだが。ただ、同じようなことをするに等しいイスラエルの行為を黙って見過ごすわけにはいかない。


STAP細胞の行方2

2014-04-03 13:05:15 | 科学・技術

今朝の朝日新聞で理研でSTAPの存在についての検証実験を行うという記事が出ていた。

これは指導的な立場にある人がその再現実験を1年ほどかけて行うという。

これは若い将来のある人にこの再現実験を委託することはできないだろう。というのは若い人にはもっと見込みのある仕事をさせなくてはならない。

若い人は自分の研究を比較的短時間に仕上げてどこかにポジションを見つけることをしなくてはならない。そういう方々にあまり積極的な成果が見込めないかもしれない、研究をさせることはできない。

もちろん、研究は成功するなど初めから決まっているわけではない。失敗する確率の方が多いのが、研究である。

だが、なんらかの積極的な成果が望まれれば、それにとりかかる勇気のある人は出てこようが、見込みがなければ無駄である確率が大きいことに若い人を巻き込むべきではない。

ということで世界的にもSATP細胞の再現実験に取りかかる人は少なくとも若い人には少ないだろう。だから、この実験は事の成否はともかくとしてある程度地位の確立した人がするしかない。


実験ノート

2014-04-03 12:46:53 | 科学・技術

世の中に実験することが食事をすることより好きなという人がおられる。

私の友人にもそういう人が数人いる。それらの人に実験ノートをつけているかどうかを聞いたことはなかった。

小保方さんの実験ノートが3年間で2冊しか存在していなかったということで、私の友人の一人で実験が飯よりも好きなという感じの方が信じられないという感想を漏らしておられた。

私は実験家ではないので、事の理非はわからない。指導して下さった先生方から研究ノートをつけるようにとの指導は私は受けなかった。

先生からは受けなかったが、数年上の先輩から研究ノートをつくって記録した方がいいとはアドバイスを受けた。

研究ノートとは言えないとは思うが、計算をした紙片はファイルしてもっていた。そしてその研究を終えるころにはたった1編の論文しか書けなくても、ひょっとしたら、1編の論文も書けなくてもそういうファイルは何冊もできているのが普通だった。

ナンバーをつけるとno.5だとかno. 8だとかにファイルがなるのは普通だった。

その中にそういうファイルが増えるということはなくなったのは、もちろん定年退職後である。

いまでは、プリントしそこなった紙の裏側に計算をすることが多いので、それを残すことはあまりない。

でも私は計算が下手なので、万一自分の計算を検討しなくてはならないことがあるかも知れないと思って残したりすることもあるが、かなり恣意的である。

実験ノートで有名なのは電磁誘導の法則を発見した、Faradayの実験ノートが書籍として出版されているそうだが、読んだことはないし、その書籍をもってもいない。


面積図の効用

2014-04-02 12:31:03 | 数学

面積図の効用ということでいうと、面積図を使って中学入試問題を解くということに特定したサイトもできていることを最近知った。

なかなかよくできたサイトであるが、ちょっと不満もないわけではない。これは数の計算のしかたであり、別に面積図の使い方ではなかったが。

私の知っている他の例では中学校の連立方程式の立式をこの面積図を用いてするという故矢野 寛(ゆたか)先生の実践報告もある。また類似の報告を雑誌『数学教室』(国土社)でもその後に見かけたことがある。

もっとも前述のサイトでは面積図は万能ではないとのリマークがついていた。何でも万能なものはないと思う。

要はどれくらい広く使えるかであろうか。図形の取り扱いが上手ではない子どもには面積図は難しいとのリマークであった。しかし、これもある程度取扱いに習熟すると問題がなくなるのかもしれない。


いつものことだが

2014-04-01 12:02:19 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、『数学・物理通信』4巻1号を発行した。

この送付があらかた終わった後で、やはり疲れてパソコン前の椅子にもたれて2時間ほど眠った。

いつものことだが、やはり結構の仕事量であり、それが終わるとやはりぐったりとなる。

それも自分が好きで、『数学・物理通信』を発行していることだから、誰かに嘆きたいとかいうことではないが、数日は放心状態となる。

今朝も8時半過ぎまでうつらうつらとしていたら、東京の友人から電話がかかって来て目が覚めた。

最近は結構早く目が覚めることが多かったのだが、これは昨日までの肉体的および成因的な疲れのせいであったろうか。

特に昨年の11月から、『ドイツ語圏とその文化』を発行し始めたので、ますます忙しくなってきた。

これも自分で勝手にしていることなので、誰かのせいでもない。ただ、それは自分の生きがいになっている。