朝日新聞でいま「数学にかける青春」というシリーズが4月23日から始まった。
これは『いま子どもたちは』というシリ-ズの一環として取り上げられたものである。
国際数学オリンピックの青春をかける1群の子どもたちを追いかけるシーリズになるのだと思う。内容はその記事を読んで頂くのがよい。
今日とりあげるのは国際数学オリンピックで出題されるような難問を解く大場亮俊君の問題への取り組み方の2つの考え方を紹介したいためである。
一つは、これまでに類似の問題を解いた知識が役立つケースで、受験勉強のように、勉強量に裏打ちされた方法である。
もう一つは「問題の本質は何か」を考えるやり方だという。
具体的には初等幾何学が好きな大場君は図形を見ると「奇妙な」部分が浮かんでくるという。それを突破口にして、本質を探っていくという。
数学的な感性を磨いたのは「知識を得るよりも先に、難問にぶつかっていった経験がおおきい」と話しているとか。
このことに別に異論はないのだが、私は数学者ソーヤーが書いていたことを思い出した。
いま『数学へのプレリュード』(みすず書房)で読んだのかなと思ってその本をちらっと見たのだが、該当箇所を見つけることができなかった。
記憶が間違っているかもしれないが、書いておく。
数学のよくできる子はクラスでとびぬけていたりして、そのために知識を得ることにあまり熱心ではなく、上級学校に進んで驚くことがあると書いていた。
ソーヤーはそういうすぐれた学生に特に複素解析(関数論と言われていた科目)について学ぶことを勧めていた。
(付記)ソーヤーの『数学のおもしろさ』(岩波書店)の第15章の末尾に上に書いたことが載っていた。引用しておく。
数学に趣味を有する者は、できるだけ若いうちに複素数理論の知識を少しでも得ておくように心掛けるべきである。複素変数の理論、関数論等の標題を有する書物はこの問題に関するものである。
学校に行っている子どもは、数学にはどのくらい勉強することがあるのか知らないでいる。才能のある子どもは、仲間よりも優れているので自分は数学を卒業したと考える。
その結果、初級学校での年月を無駄に過ごし、大学に入学したときに他の学校から来た優等生と一緒になって始めてひどいショックを経験するのである。(引用おわり)
ちょっと上に私の書いたところと違っていたかもしれないが、それほど間違っていたわけでもない。