昨日の朝食後に妻が先日広島県福山市のホロコースト博物館を訪ねたときのことを話していた。
ヨーロッパで特にドイツを中心として、ユダヤ人が強制収容所に送られて、そこで400万とか450万とかのユダヤ人が命を落としたと言われている。
その中で150万が子どもであったという。ホロコースト博物館ではその子どもの数にあたる、全体で150万個の扁平楕円形のビーズを入れた円筒形のケースが5つほどあったという。
一つのケースに30万個づつ扁平な楕円のビーズが入っているとしてもそれは多すぎるのではないかという感じをもったらしい。
それでだろうか、妻はあれは多分150万人にしては多すぎではないかと言っていた。
それで私が「ケースに入った扁平の楕円形ビーズの間にはすき間があるから、それはそのすき間の空間を考えないといけないよ」と言ったら、そうかもしれないと納得したらしかった。
そのすき間の空間があることを想定しない見積もりをしていたらしい。
しかし、その見積もりの間違いとかは別にして、そういう疑問をいつももつことは科学の始まりではないか。
ケースが大きすぎるとかいう疑問をもつほうが、権威にしたがってなんでも盲信するよりはいいと思う。
そういう態度から科学や数学になる芽が出てくるのだと思う。