これは最近妻が口癖のように呟いている言葉である。
彼女は手慰みに毛糸で帽子を編んであるお店に展示してもらっている。そうすると今月は6個売れたという。もっとも一個の帽子が売値で500円それも100円はお店の利益であり、もともと原料の毛糸が200円であるから別に暴利をむさぼっているわけではない。
これは本人の本来もっている創造力をみたしたいからしていることであり、お金儲けではない。それだからかどうかは知らないが妻はモノを売る人が偉いという感慨をもっている。少し芸術家気質の妻は何かをつくるのが好きであるが、それをどこか小さなお店に展示してもらい、それを購入してもらうことによって自分の生きがいを感じている。
夏は紙のひもで籠を編んで同じようなことをしていた。これもいくらかは売れたが、それだって大儲けするというようなことには程遠い。それでもいいのだ。本人が自分の創造性を発揮する場所があることがいい。これはひとえに自分の創造性を小さいながら、活かすことができているという。
それで彼女はお店でモノを売る人が偉いということを思うようになった。
急に自分のことにひきつけて申し訳ないが、私もここ数年にわたって『数学・物理通信』というサーキュラーを発行してきた。このときにこのサーキュラーに投稿して下さる方やそれをメールで送ってももう面倒だから、送って来るなという読者はおられないという幸せである。
一人だけ以前に送ると故障になるので送らないでほしいと言われたひとがあったが、その後その人もインターネットの障害がなくなったのかそういうメールは来なくなったので、読んで頂けているかどうかはともかくとして、拒否されたことはない。ということで一番の末端の読者というかメールの送り先の方の好意が一番有難いことである。
その上に名古屋大学の谷村さんのようにご自分のサイトにリンクして載せて下さる方まであり、そのためかどうか一般の読者で私の面識のない方から投稿までときどき頂くことである。これは編集者には名誉なことでもあり、また迷惑を感じたりもすることである。
いずれにしても一番末端と思われている、読者の方が一番エライということになろうか。
いつもご投稿を頂く、N 先生からはいつか丸善出版の編集部の方にもこのサーキュラーが読まれており、『数学・物理通信』も世間から認知されているようですねとメールを頂いたが、これはひとえに『数学・物理通信』は N 先生の物理学者としての名声によっていることが多いと考えている。
彼女は手慰みに毛糸で帽子を編んであるお店に展示してもらっている。そうすると今月は6個売れたという。もっとも一個の帽子が売値で500円それも100円はお店の利益であり、もともと原料の毛糸が200円であるから別に暴利をむさぼっているわけではない。
これは本人の本来もっている創造力をみたしたいからしていることであり、お金儲けではない。それだからかどうかは知らないが妻はモノを売る人が偉いという感慨をもっている。少し芸術家気質の妻は何かをつくるのが好きであるが、それをどこか小さなお店に展示してもらい、それを購入してもらうことによって自分の生きがいを感じている。
夏は紙のひもで籠を編んで同じようなことをしていた。これもいくらかは売れたが、それだって大儲けするというようなことには程遠い。それでもいいのだ。本人が自分の創造性を発揮する場所があることがいい。これはひとえに自分の創造性を小さいながら、活かすことができているという。
それで彼女はお店でモノを売る人が偉いということを思うようになった。
急に自分のことにひきつけて申し訳ないが、私もここ数年にわたって『数学・物理通信』というサーキュラーを発行してきた。このときにこのサーキュラーに投稿して下さる方やそれをメールで送ってももう面倒だから、送って来るなという読者はおられないという幸せである。
一人だけ以前に送ると故障になるので送らないでほしいと言われたひとがあったが、その後その人もインターネットの障害がなくなったのかそういうメールは来なくなったので、読んで頂けているかどうかはともかくとして、拒否されたことはない。ということで一番の末端の読者というかメールの送り先の方の好意が一番有難いことである。
その上に名古屋大学の谷村さんのようにご自分のサイトにリンクして載せて下さる方まであり、そのためかどうか一般の読者で私の面識のない方から投稿までときどき頂くことである。これは編集者には名誉なことでもあり、また迷惑を感じたりもすることである。
いずれにしても一番末端と思われている、読者の方が一番エライということになろうか。
いつもご投稿を頂く、N 先生からはいつか丸善出版の編集部の方にもこのサーキュラーが読まれており、『数学・物理通信』も世間から認知されているようですねとメールを頂いたが、これはひとえに『数学・物理通信』は N 先生の物理学者としての名声によっていることが多いと考えている。