物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Tikzではじめて図を描いた

2015-12-14 16:52:02 | 日記
先週の金曜日と土曜日にTikzをつかって初めて図を書いた。まずはじめになにもTikz関係の文を入力をしないでやってみたら、エラーがでた。あれ、またこれでも図が描けないのかと一瞬がっかりしたが、それはグラフィックス等をプリアンブルに書き込んでいないためだった。

それから、それらのグラフィックス等をプリアンブルに先に取り込んだ後でTikzを取り入れたら、エラーがでなくなった。ということで私としてははじめてのTikz使用例となった。これはある不等式をグラフで解くということにTikzを使ったのである。

もちろん先に自分で手書きの図を描いてあったのだが、それを入力してきちんとその通りに出て来た時には当然なのかもしれないが、ちょぴり感激した。

私のようなものにもTikzが使えそうだということで。いままでpicture環境を使って図を描いてきたが、なかなか手間がかかって仕方がなかった。特に曲線を描くことは面倒だった。円とか楕円を描けはするが、一般の曲線の場合に2次のベジエ曲線ですべての曲線を小分けにして描くとどんな曲線でも描くことはできないことはないけれども、とても骨の折れる仕事だった。それが簡単に描けることが期待される。

もし、Tikzの使い方に上達すれば、図を描くのが格段に楽になるのではあるまいか。まさに、Tikzさまさまである。

オイラー公式の導出法、その後

2015-12-14 16:31:39 | 日記
以前にオイラー公式のいろいろな導出法についてエッセイを書いたのだが、岩波新書の『数学入門』下巻を見ていたら、私が前のエッセイに採録しなかった導出法が載っていた。

もっともまだその詳細を理解したわけではない。複素数を使った導出法であり、これを理解することがいまの私の課題である。一部の注になっているところ不等式がどうして導かれたのかがわからなったが、なんとか理解できたのではないかと思っている。もっともそうすると他の疑問点が生じて来た。

だからもっと突き詰めて考えて見ないといけないのは確かだが、少なくとも私が採録しなかった方法があることがわかった。いままでに採録した導出法は最低でも7つある。

8つ目の導出法を私が理解できるかどうか。いまのところ完全にはわかっていない。

母と暮らせば

2015-12-14 12:11:46 | 日記
井上やすしの演劇と映画である『父と暮らせば』はどちらも見なかったが、井上やすしが生きていたら脚本を書くつもりだったという『母と暮らせば』が山田洋次監督の脚本で映画になった。

妻が土曜日に見に行こうかと言っていたのだが、土曜には見に行くことができず、日曜日の昨日、重信シネマサンシャインで見た。金曜日か土曜日が初日であったはずなので人がたくさん見に来ているかと思ったがさにあらず。

もう原爆とか敗戦とかは遠い昔のことだと思い知らされた。私の5,6歳のことであるから、もう70年ではあるのだが。

物語は結構明るいものであり、おもしろかったが、吉永小百合さん演ずる母親が生き残り、息子の方が原爆で即死したという設定であり、母親の方も原爆の後遺症のせいかなくなってしまう。

息子の恋人だった、若い女性の「まちこ」さんとお母さんの吉永さんと息子の二宮和也さんとのドラマである。息子は長崎医科大学の学生であったのだが、その前は山口高校の学生であったという設定になっており、山口高校の校歌を歌ったりする。

後で妻に山田洋次監督が山口高校の出身だから、校歌もよく知っているだろうねと話したら、このことを妻は知らなかった。もともと映画製作に協力してチケットを一枚買っていたことが今回の映画を見ることになった理由である。

もっともわからなかったのが、8月9日は夏休みであり、講義を聞いていた時に原爆が爆発して亡くなったというのは分からなかった、夏休み中に講義をしていたのかしら。すぐに突っ込みを入れたくなったが、そういうことを言うとドラマが成立しなくなるので野暮というものであろうか。

野坂昭如さん死去

2015-12-14 12:01:09 | 日記
野坂昭如さんが先日亡くなった。戦後焼け跡派と自称した人は小田実やこの野坂さんがいる。

加藤周一が数年前に亡くなり、頑健と思われていた小田実が亡くなり、井上やすしさんが亡くなり、今年は若い時にはやはり元気だったという鶴見俊輔さんが亡くなり、野坂さんが亡くなった。

九条をまもる会の発起人でまだ健在なのは大江健三郎氏である。

野坂さんに話題をもどせば小説の「火垂るの墓」は読んだことがないが、アニメでは見て感銘を受けた。ちょっと野坂さんは三島由紀夫に似ていて、小説を書くだけではなくテレビに出たりするというところがあったと思う。それがいけないとかいうことではなく、そういう作家もいるとことであろうか。

戦争や戦後の焼け跡を知っている人が亡くなるのはやはり寂しい。