物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

無意識と意識の間で

2017-09-21 10:56:16 | 日記

何かをいつも考えているらしい。これは私の頭についての話である。だから、他の研究者の方もそのような頭の働きをさせているのだろうと推測する。

いまは、論文「他人から見た武谷三男3」の原稿をつくることで忙しいので、数学のことを意識してしないのだが、それでも勝手に頭が考えているらしい。もっとも私の考えるようなことはレベルの低いことである。それでも大学の初年級のくらいのレベルのことを考えているらしい。

なんだか、自然とある種の思いが固まってくるようだ。

私の考えていることは大抵は簡単なことで、数学教育の分野の話だが、なかなかそれのすき間は埋まらないという感じだ。


微分して、積分を求める2

2017-09-20 11:26:56 | 日記

数式処理のシステムにReduceというのがある。そのReduceがまだ十分に整備されていないとき、積分ができない時代があった。それでも微分ができるので、ある特殊な積分はできるとある先輩の研究者から聞いたことがあった。彼はだから、積分下であるパラメータでの微分をすることによって、積分できる場合があることを知っていたに違いがない。

そのうちに多分Reduceでも積分ができるようになったと記憶する。もちろんMacsymaでも同様である。Macsymaはその当時は高嶺の花という感じだったが、いまではフリーのソフトとして出回っているとか S さんから聞いたと思うが、使ったことがない。

一時、DECのコンピュータを E 大学でもっていて、Macsymaを使って計算をしたことを懐かしく思い出す。だが、それから遠ざかってもかなり久しい。


ガンマ関数

2017-09-20 11:19:05 | 日記

を少し学びたいと思っている。これは前にも書いたことがあるかもしれない。何度でも忘れたり思い出したりするのだ。1000円ちょっとでアマゾンコムでガンマ関数の本を買った。これは値段も安いがページ数も38頁しかない。

これはEmil Artinの講義録か何かをドイツ語から訳したものらしい。高木貞治の『解析概論』(岩波書店)のガンマ関数の記述は実はこのArtinの講義録からその主な記述をとっているとのことが脚注にでていた。

その辺はあまり知らずに購入したのだが、よく調べてみるとどうもそうらしい。ちょっと早まったかという気もするが、まあいいだろう。この本のアマゾンコムでの評判はいいものだったが、私にはそれでもなかなか難しそうである。

(2017.9.21付記) よく数学の本にはガンマ関数の図が出ている。それでどういう原理でこのガンマ関数の値を求めているのかに関心がある。もちろん、変数がちょうど整数のときにはこれは階乗の値をとるので問題がない。実際に知りたいのは変数が実数でそれが整数ではないときである。漸化式が成り立つので、その関係を使って関数値を評価しているらしい。森口さんの『数値計算工学』(岩波書店)を読んで見ようか。 


微分して積分を求める

2017-09-19 11:21:28 | 日記

というのは昔に私が書いた数学エッセイのタイトルである。少し微積分学に詳しい人なら、ああ、積分下でのパラメータでの微分によって定積分の値を求める例の方法だなと気がつくことであろう。

これについて私が特に意識をしたのはフアィンマンの『御冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)の「毛色の変わった道具」という章を読んでからである。

いま読んでいる、『ふたりの微積分』(岩波書店)の「ランチョンマットに書いた証明」の章とか「ランダム」の章でも触れられている。大体、、『ふたりの微積分』を購入する気になったのは実はこのことを書いてあるからというのが理由であった。それほど多くのページを使っているわけではないが、それでも私が取り上げたような積分もとりあげている。

でも違った例もとりあげているので、読んで解説をつけたエッセイを書けたらという気持ちである。


今日は敬老の日

2017-09-18 12:00:02 | 日記

である。それだのに休みではなく、仕事場にきた。昨日は台風で一日家にいた。それで『ふたりの微積分』(岩波書店)という本の一部を読んでいた。積分下でのパラメーターによる微分で積分を求めるところを読んでいたのだ。

これについては私自身も複数のエッセイを書いているのだが、それでも書かれたことがまだ了解できない。グルグル回るばかりである。ということで今日は出て来てすこし仕事をしようと思っている。一番はじめに書いたエッセイはいま見てみるとあまり論点が整理がされて書かれてはいないことがわかった。

このエッセイは、最近私の昔の本をある人に送ってあげたら、面白かったと言われたエッセイであったのだが。

昨日は久しぶりに『解析概論』(岩波書店)をとり出してきて、ガンマ関数のところを読もうとしたのだが、なかなか頭に入らない。もっともこの本の中にはガンマ関数のことはいくつかの箇所に分けて書かれている。索引を引いたら、3個所にあることがわかったが、いちばん最後の一番長い箇所を読んでいたら、索引に載っていない箇所にもガンマ関数のことが載っていることがわかったので、そのページを索引につけ加えておいた。

もっと広く読まないとガンマ関数のところも理解できないようである。どうしたことか、今日、ガンマ関数のある英語の本がアマゾンコムから推薦されてきた。


孫の読める数学書

2017-09-16 11:08:15 | 日記

を書きたいなどとたわけたことを考えている。孫はまだ1歳にも達していないので、なんと前途遼遠のことかとも思う。だが、人間なんらかの夢を持って生きないと生きられない。

E 大学の学生用につくったe-Learningのコンテンツがあるので、それを拡張したり、補足したりしていけば、1冊の中学高校用の数学書ができるのではないかと密かに思っている。実は中国の高校に通っていた、私の姪の子がそれがもう高校生だったので読めるかと思ってインターネットで送ってやったのだが、まだ学んでいないところがあるということで読んではもらえなかった。彼は結局文系を専攻したのであまり役には立たなかったらしい。

日本の高校の方が、分かっているかどうかはわからないが、数学の程度は高いらしい。それにしてもなかなか悠長なことでしょう。将来、年頃になった、孫の読める数学書を書いてみたいとは。


Jack Daniel

2017-09-16 10:48:51 | 日記

はウイスキーの銘柄?である。昔、ゼミ生だった某君が卒論発表が終わった後で卒業式前の3週間ほどの間にアメリカのフィラデルフィア等へ行き、そのときお土産に買ってきたウイスキーがJack Danielだった。

それでそういう銘柄があると知ったのだが、レミーマルタンだとかジョニーウォーカーだとかはそれ以前から知っていた。これは大学院の学生だった頃に友人のH君の家に行ったところ出してもらったウイスキーか何かがOld Parrであった。この H 君はビールは少し飲んだかもしれないが、あまりアルコールの行けない方の口であり、有難く飲ませてもらった。もっともOld Parrはウイスキーの銘柄ではなく、等級を指すとか聞いた覚えがあるが知識があやふやである。

私も若いときにはそういうモノを自分で買ってきたり、もらって飲んだりしたこともあるが、あまりアルコールに対する嗜好がなく、ひょっとするとレミーマルタンなどは私の家の棚にまだ眠っているかもしれない。

なぜこんなことを思い出したかというと、今朝仕事場に来る途中で車が混んでいたので不思議に思っていたら、あるところで路線をふさいでいるところにJack Danielと記したまっこい形の車を下ろそうとしているトラックがその路線を阻んでおり、そのせいで私たちの中央の路線が混んでいたのだった。

ということで図らずもJack Danielの名前を思い出したという次第であった。ところでレミーマルタンはコニャックであった。もっともコニャックもウィスキーもとんと区別のつかない私である。いまさっき調べたら、このレミーマルタンは戸棚にあり、瓶にはまだ8分くらい残っていた。


また週末がきた

2017-09-15 12:10:43 | 日記

今日は金曜日で週末が来た。日本ではそうではないかもしれないが、ドイツでは金曜日の午後はどうも昔の日本の土曜日の午後みたいな感じだった。とはいってもそれももう半世紀も昔のことである。大学に勤めている技術員の方々が、guten Feierabendと言って帰って行くのをしばしば見かけた。

ところが私としたら、現在日曜日は休むが、土曜日は原則として休まない。祝日も休まない。正月にはもちろん休むが、お盆でもウイークデーは原則として休まない。という貧乏性である。

それだからといって別にお金儲けができるわけではないが、少しでも自分のしたいことができればいいと思っている。もっとも最近はちょっとどこかで自分の小遣い稼ぎくらいはしないといけないかと考えている。もっともそういったからと言って、相場に手を出すわけでもないし、つまらない詐欺にひっかかるわけにもいかない。

第一、持っている預金があまりなくなっているのだから、それを誰かのために出そうとしても出せないという具合である。ようやく子どもたちに頼らずに生きていけたらよしとせざるをえない。

どなたかがあまりお金がないので、日本語で書かれた本は買わないで、英語の本をダウンロードして読んでいるというので、それを見ならいたいが、なかなかそうもいかない。

だが、それで工夫次第で自然と英語に親しむというのはなかなかやはり優れたアイディアである。


けっして一人で飲んではならない

2017-09-14 14:49:00 | 日記

En France, on dit qu'il ne faut jamais boire seul, mais uniquement quand on est accompagn'e. (アン フランス、オン ディ キル ニ フォ ジャメ ボーワル スル、メ ユニークマン カン トン ネ タ コンパニュ)『「フランスではけっして一人で飲んではならない、誰かが一緒のときでないと」と言われる』ということわざがあるらしい。不思議なことわざである。

別に一人で飲むと悪魔が来るとかまでは言っていないのだが、なかなか印象的なことわざである。要するにみんなで集まって陽気に飲めというのだろうか。これはワインの瓶を開けるとワインがすぐに変質していけないから、大勢ですぐに飲んでしまおうという趣旨らしい。

現代のようなの電気冷蔵庫などというモノがなかった時代にできたことわざなんだろうか。

 


今日は早く起きた

2017-09-14 10:47:31 | 日記

ので、朝食は8時過ぎに食べることができた。その後、トイレに入ってうんうん唸ったが、それでも10時過ぎには仕事場に来ることができた。いつもよりも30分は早く始動した。

それでも、なんとかかんとかしててようやく11時直前になってブログを書くところまできた。昨日は「数学・物理通信」の7巻6号と7号をもって共同編集者の N さんのところに行き、彼のパソコンにこの号をコピーした。ついでにというわけではないが、いままでの「数学・物理通信」のバックナンバーをコピーしてあげた。

いままではインターネットで送っていたのだが、それを彼が自分ではどこにおいたかわからなくなってしまっていたからである。もちろん私はUSBメモリとパソコンにバックナンバーを保存している。それと一部だけプリントしたものをファイル・キャビネットの中に持っている。

いつか、国会図書館に一部だけコピーして製本して納めたいと思っているが、まだそれをしていない。いま現在は名古屋大学の谷村省吾さんのサイトに載せてもらっている。

それをみて、最近私のところへメールをくれた人がいた。これは n 次元の球の体積の求め方を考えて私に意見を求めるというものであった。たまたま 7巻6号 にシリーズの「球の体積 4」が出ていたので、 それと似ているのではないかとメールでの返事に書いたら同意してくれた。もっともそれぞれの読者が少しでも自分で調べた後がわかるような場合にはその経験をまとめてもらってもいいと考えている。

そういうことを共同編集者の N さんの言ったら、同意見であった。別に相談しているわけではないが、こういうところが数年共同編集者としてやっていると、呼吸があってくる。もっとも人が違うと意見が違うのが普通であるから、異なった意見であってもかまわないのだが。


数学・物理通信7巻7号の発行

2017-09-13 13:10:41 | 日記

をした。これは昨日のことである。今号はちょっと投稿がすくなかったので、その補いということもあって、私のエッセイを載せた。もっともこれは8月中から以前に書いた古いエッセイを修正したり、付録をつけるのにかなり時間を費やしていた。

それを今回掲載したことはまあよかった。いつもながら常連の投稿者である、N 先生と S さんの投稿なしでは「数学・物理通信」の発行は風前の灯となる。それでいつも投稿してくださることに感謝をしている。

さすがに今月は3号目の7巻8号の発行にはとてもならなかった。これは私としても手に余るという感じである。もっとも原稿があれば、あまり手元に原稿をおいておくのはあまり投稿者に申し訳ないので、できるだけはやく掲載をしてしまいたいという気持ちである。

ただ、投稿されればそれを全部掲載しているかといえば、そういう訳にはいかない。曰く言い難いのだが、なにかこれは載せた方がいいだろうという気のする論文とかエッセイとどうもそうは思えないというものとがある。これは論文の完成度とかでもないような気がする。

これは虫がすかないとかいうのでもなさそうである。あまりそういう感情的なことは思わないのだが、やはりなにがしかの基準をもっているということである。それはどこかに言葉で言い表すことができればいいのだが、それはとても難しいと感じている。

 


発見法的な数学理解

2017-09-12 11:22:58 | 日記

については私が知ったのはもう半世紀以上も前の話であり、数学者G. Polyaの『いかにして問題をとくか』(丸善)からである。

ところがそういう理解について新しいという反応を最近もらった。なかなかすべての数学を発見法的に理解することなどできない相談ではあるが、すくなくとも理解できるところはそういうふうに理解したいと思ってきた。

発見法というのは英語ではheuristicという。あまり聞いたことがない英語でもあろうか。私の書く文章はできるだけheuristicに書きたいと思ってはいるが、それを貫徹することはとてもとても難しい。

(注)発見法的な数学理解についての参考文献だが、Polyaの本が数冊だけ過去に出ている。『帰納と類比』『発見的推論』(丸善)とか『数学的問題の発見的解き方』1,2(みすず書房)とかである。それに『いかにして問題をとくか』(丸善)をも加えるべきだろう。

他にも類似の書があるかと思うが、あまりよくは知らない。ラーソン(秋山仁・飯田博和 訳)『数学発想ゼミナール』1,2(シュプリンガー)というのもある。それから秋山仁さんの大学受験参考書に発見法的なタイトルのついたものが6冊か7冊ある。これは昔は駿台予備校の発行だったが、それはいまでは森北出版から復刻されて出版されている。


日曜はアクセスが減るのだが、

2017-09-11 11:54:26 | 日記

昨日の日曜はアクセスが130代に逆に増えていた。どうしてなのだろうか、金曜に出かけてヒロシマのプリンスホテルという海岸にあるホテルに泊まった。広島湾の景色がとてもよかった。これは金曜は晴れていたせいもある。

土曜日には午前中にチェックアウトして松山にフェリーで14時ごろついた。2時間40分の船旅であった。最近はどこにも出かけないのが普通であるので、ちょっと疲れた。

大学の出身研究室の同窓会で顕著だったことは年長の人の数人が耳がほんとど聞こえなくなっているということだった。これにはちょっと驚いた。私もいずれはそうなるのだろうと思うとちょっと悲しくなる。

もちろん自分の話は普通にできるのだが、他の人の話がぜんぜん耳に入らないのである。補聴器をつけるという話もあるが、それでもうまく意思疎通がつくとは考えられない。なかなか年を取るということは難しいことである。


技術の定義

2017-09-07 12:34:40 | 日記

哲学者の中村雄二郎に『術語集』という岩波新書がある。ひょっとしてこの書の中に技術の定義が書かれていないかと思って調べてみたが、残念ながら載っていなかった。

それでしかたなく、岩波『国語辞典』第3版を開いてみたら、「科学を実際に応用し、人間生活に役立てるわざ」とあった。

もう一つ『広辞苑』第5版を引いてみると、「科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に役立てるわざ」とある。

どちらも似たような語義である。なかなかわかったようなわからないような。だが、これがやはり技術の定義なのであろう。

武谷三男の『物理学入門』(季節社)に『自然科学辞典』(霞書房)所載の用語の説明のうちに、武谷が執筆したものが採録されていることを思い出した。それで調べてみると、技術という用語の定義は載っていないが、「技術論」は説明があった。

この冒頭には技術の用語の説明がある。「技術は人間の合目的的行動を可能にする原理的な要素であるが」、「社会と自然とにまたがる、人間の実践の基本的な概念である」との説明があった。

用語「技術論」の説明によると武谷氏は自分の技術論の定義ばかりではなく、「労働手段の体系説」についても紹介がされている。


非正規社員を減少させること

2017-09-07 11:57:55 | 日記

が、国の重要な政策に入っていない。これが国力を疲弊させることは多分確かだと思うのだが。いま日本人の1/4から1/3が年金生活者だということは高齢者にあまり消費に活性化をすることが期待できない。

そうすると若者の購買意欲が大きくなることが必要だが、どうも若者の大部分が非常勤社員であることによって、企業は自分たちの人件費を節約できたとともに社会の活性化に失敗しつつあるとも言える。

1億総活躍社会だと安倍首相はいうが、一億総活躍できる経済的な環境は整っていない。第一、私自身が年金生活者であるが、モノを買うだけの経済的な余裕がない。もちろん高齢者だから、購買意欲が若いときよりも減退していることもあるが、それだけではなく、何かを買うという財政的な裏づけがもうないので、何かを購入するということを控えてしまうことがある。

それでも何年かに1回はパソコンの更新が必要だが、それすらも難しきなっている。ましてや車を買うことなどできない。本を買うことだって、仕事に必要なものでもできるだけ図書館で借りられるものなら、図書館で借りようとしている。

それでも公共図書館や大学の図書館にもないことがあって、場合によっては遠隔借用を図書館で頼まなければならない。

これは私などとはスケールがまったく違うが、マルクスが大英博物館の図書館に通って、資本論を書いたとかいうことをどこかで読んだ気がする。