物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Sch"one Spr"uche

2021-09-07 11:17:09 | 本と雑誌
サッカーの選手の名言(昨夜のNHKのEテレ「旅するためのドイツ語」から)

  Nie vergessen: Fussball ist ein Spiel.
  Und zwar das sch"onste auf dieser Welt.
  (決して忘れてはいけない。サッカ-は一つのゲーム(遊び)である。
  すなわち、この世界で一番すばらしいゲーム(遊び)である)

 二ィー フェアゲッセン: フスバル イスト アイン シュピール
 ウント ツヴァル ダス シェンステ アウフ ディザー ヴェルト

カタカナの発音はドイツ語を知らない人のためだからドイツ語を知っている人はこんなかな書きの発音は無視してください。

外国語好きの辞書引き嫌い

2021-09-06 13:24:05 | 本と雑誌
私は横着者で外国語が好きな割に辞書を引くのが好きではない。これでは外国語好きだと言えるかどうかとても問題だった。

しかし、最近知らない言葉にドイツ語においてもあまりに頻繁に出会うので、少し辞書を引いた方がいいのではと思うようになった。ドイツ語を学び出して60年以上なのに、知らない言葉が多すぎることに少しだけ危機感を抱いたからである(注)。

それでも生来辞書を引くのが好きでないのはどうもなおらない 。知り合いの女性に英語の好きな方がいて、辞書引くのが面倒ではないですかと野暮な質問をしたことがあったが、辞書を引くのが面倒だとはおっしゃらなかったから、本当に英語が好きなら、辞書を引く手間などなんてこともないのかもしれない。

いや、困った困った。

(注)私はセミナーでドイツ語の本で読んだことがあるのは、『量子電気力学』
”Quantenelektrodynamik” (Springer-Verlag)と題する本でそれもドイツ人ではない、スウェーデン人の書いたドイツ語の本であった。

だからドイツ人やオーストリア人が書いたら、冠修飾句でいっぱいであるだろうところがそういうところのあまりない端正な(?)なドイツ語であったと思う。

ドイツ語の本は大学のドイツ語のテクスト以外ではこれきりしか読んだことがない。

On ne voit bien qu'avec le coeur.

2021-09-04 13:25:12 | 本と雑誌
On ne voit bien qu'avec le coeur.  L'essentiel est invisible pour les yeux.

心でしかよく見えない。大切なものは目に見えない。

(オン ヌ ヴォワ ビァン カベック ル クーゥル
 レッサンシェル エ アンヴィジブル プール レ ジュ―)

(いつものごとく、カタカナの発音はフランス語を知らない人への参考のためだから、フランス語を知っている人は無視してください)

これは有名なサン・テクジュペリの『星の王子さま』(Le Petit Prince)の一番よく知られた言葉である。

ne ・・・que 構文とかが入っているが、それほど難しくはなかろう。

(2024.4.11付記) このブログをアクセスされた方が最近あったので、いま見直したら、ミスプリントがあった。本のタイトルの直訳は「小さな王子」である。 

9月の子規の俳句

2021-09-04 13:16:15 | 本と雑誌
9月になったので、子規の俳句を挙げておこう。

 秋の空露をためたる青さかな (子規)

 autumn sky  
 blue as gatherd 
   dew drops       (shiki 1896)

E大学の校友会が送ってくれたカレンダーには西予市のわらマンモスの写真がついている。背景は青空である。その下にはJRの気動車が走っている。車体の下半分がライトブルーである。


武谷三男とマノン・レスコー

2021-09-03 11:24:26 | 本と雑誌
魔性の女とは男を破滅させずにはおかない女だという。

これは小説の上だけでの話なのかそれともそういう女性がほんとうにいるのかは知らない。

だが、文学上ではカルメンという女性がそういう女性として描かれているらしい。そして、このマノン・レスコーもそういう種類の女性だという。

若いときに武谷三男の愛読書の一つが、この『マノン・レスコー』だったと書いている。他に二つくらいの文学の愛読書があるのだが、これは覚えていない。

たぶん、岩波文庫か何かに訳されて彼の年代の若い人が読んだ小説だったのであろう。

武谷三男はなかなか捉えにくい人物であり、そういう側面まで知って彼の本質に迫るようにしないと彼の本質は理解できないのではないかと思い出した最近である。


昨夜の「旅するためのイタリア語」から

2021-09-02 11:51:47 | 本と雑誌
いつものごとく昨夜の「旅するためのイタリア語」から。

 fare una gita 遠足(小旅行)をする
 Vorrei andare a Sermoneta. セルモネータに行きたいのですが
 Vorrei due pomodori. トマトが二つほしいのですが
 Vorrei vedere. 見たいのですが
 Vorrei assagiare questo formaggio. このチーズを試食したいのですが
 
   Posso assagiare ?  食べてみていいですか
 と聞くよりは Vorrei assagiare ? と聞くほうが丁寧である。
 Vorrei andare in Italia. イタリアに行きたいのですが
 Vorrei andare in Scillia. シチリアに行きたいのですが
 Vorrei andare in vacanza. 休暇にいきたいのですが
 Vorrei prendere l’autobus. バスに乗りたいのですが

発音をカナで書くのは面倒なので省略したが、最後の文だけ書いておくと 
 ヴォレイ プレンデレ ロトブス
であろうか。




昨日の午後は

2021-09-01 11:18:26 | 数学
昨日の午後はlatexのエッセイ「加法定理の導出」に図を一つ描くのに費やした。

私の生活はそういう些細なことの連続である。今日も2つか3つの図を描くつもりである。とはいってもこれがtikzで描くのだから、プログラムするみたいである。

座標点を計算してその座標をプログラムみたいに書き込むのである。そして図を描く。

なにせ、ほぼ25年も前のエッセイである、「加法定理の導出」を改訂しているのである。仕事は遅々として進まない。

実はe-Learningの「三角関数」の章を書こうと思っているのだが、そのための準備としてエッセイ「加法定理の導出」を改訂している。