【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

愛国院大居士に何か言うことはないか?平成29年、2017年大晦日、年末ではなく解散直後に野党解党の痛恨事

2017年12月31日 12時50分44秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]宮崎信行、2017年7月18日。

 このコラムでは、前原誠司さん、枝野幸男さん、近藤洋介さん、逢坂誠二さん、玉木雄一郎さんの5名を批判的に書いています。大晦日で、5名の先生方が反論できる時間が短いので、大晦日でも早めに投稿します。

 平成29年、2017年、大晦日です。

 今年は何があった年か、と言えば、羽田孜さんが亡くなった年。その一言につきます。国政選挙など2年に1回はやっています。

 「愛国院殿政道綏和孜誠大居士」。涙が出ましたよ。羽田さんの戒名です。羽田さんと私は同じ仏教の真言宗智山派が菩提寺ですので、輪廻転生の思想が強いようです。それが、「愛国院大居士」。まさにその人生の通りだし、翻って、愛国院大居士にふさわしい人は、政界に他に居ないように感じます。

 羽田内閣の最中に、前原誠司さんと枝野幸男さんが「民主の風」をつくり、政局が不安定化し、内閣不信任案提出の前に退陣、首班指名で村山内閣が出来てしまいました。ことし、前原誠司さんは、年末ではなく、解散直後という最悪のタイミングで最大野党を解党してしまいました。その後、最大野党党首となった枝野幸男さんは、政権交代よりも、リベラルの名のもとに、過半数に届かない、「1・5大政党(いっかにぶんのいち)」をめざすようです。一度裏切った者は二度裏切る。民主の風から23年、またしても、前原さん、枝野さんに二大政党を壊されてしまいました。なお、前原さんは、羽田さんの葬儀で、「1993年6月23日新生党結党」というべきところを「18日」と間違えていました。18日は宮澤解散当日です。

 私からも野党分裂をお詫びします。そして、新進党解党に比べれば、野党の惨状はまだマシかなと安どする年越しです。

 私は、総理大臣と話したこともあるし、最底辺の人とも生活してきました。よく「サラリーマン世帯出身だから貧しい人の気持ちが分かります」と言う人がいます。1990年代ならそういう言い方もあったでしょうが、下町の成功した商業者の家庭の方が、よっぽど底辺の人の出入りがあります。そして、仮に独立して成功しても、そのとたんに音信不通だった兄2人が舞い戻ってきて、たかられ、心労による癌で亡くなる。それが底辺の世界です。誰もが大学に行ける社会、対等な立場で議論する社会なんて、この日本に絶対にあり得ません。

 総理大臣から最底辺まで付き合った私に、一つ面白いことがありました。面白いということでもありませんが、岡田克也さんが最大野党党首だった1年半の間に、役員室長が2人居ました。一人は近藤洋介さんでこの方は落選しました。自民党の現職がかなり若い人ですので、小選挙区は厳しいかも。その近藤さんと政調会長代理を交代した、辻元清美さん。こちらは最大野党国会対策委員長という野党の扇の要で年越しです。もう大晦日で、年内に反論しづらいですから、なるべく控えますが、どうしても書かせてください。




 上は、2015年7月31日の、近藤洋介役員室長と、岡田克也ネクスト総理(最大野党代表)。筆者・宮崎信行撮影。今見ると、岡田さんは近藤さんをあまり信用していないように感じます。いつもそうですが、野田佳彦グループ花斉会の応援がないと、代表選に出られない岡田さんが、花斉会から派遣された近藤室長をあまり信用していないことが推測されます。




 そして、2015年12月17日、役員室長と政調会長代理を入れ替えることを発表する、今日現在の肩書でいえば、近藤前代議士と、辻元国会対策委員長。

 2016年、逢坂誠二さん、玉木雄一郎さんらが「代表選前倒し」という貧乏暇なしなプランを発信。そして、2016年7月、岡田代表が辞め、花斉会から蓮舫代表が就任しました。その、蓮舫前代表は、すでに離党し、他の党に行きました。

 ちなみに、きょうは2017年12月31日で、あすが、2018年1月1日です。

 仲間である、前原さん、枝野さん、近藤さん、逢坂さん、玉木さんに言葉が過ぎるようにも思います。ただ、総理大臣から最底辺まで付き合ってきた私は、自分で言うのもなんですが、見る目があると考えます。

 羽田孜さん、岡田克也さんを褒め過ぎると言われるでしょうが、総理大臣から最底辺まで付き合ってきた私は、彼らは信頼できる政治家だと考えます。正直、政策なんてどうだっていい、と私は考えます。ちょっと岡田さんも、日本政府の歳出削減、トランプ大統領完全批判、英国のEU離脱などグローバリゼーションの見直し全批判には相容れない面も感じています。

 突然話は変わりますが、

 
2012年撮影、宮崎信行(左)と、八角親方(現・日本相撲協会理事長)。

 日本相撲協会では八角理事長を応援します。

 話は戻ります。

 総理大臣から最底辺まで知る私としては、政治は人の好き嫌いでするものだと考えます。解散後、自民党は既に新幹線に乗り込んでいる時間帯に、大変なことになってしまいました。

 2012年の下野から5年。今までの考え方と違って、きょうからもう10年計画で政権交代をめざしていけないと思います。私は、衆院選前に、岡田さんが言っていた、定数の過半数の、そのまた半分の133議席以上を民進党単独でとれば、その次の衆院選で政権交代も可能だ、という論に全面的に賛同していました。これは、今の最大野党も、野党3党を足しても届かない数字です。私は民進党と共産党が候補者調整していたら、民進党単独で行った数字だと考えます。

 だから、民主の風のようなことをした人を「失敗から経験した人」ととらえてはだめです。人の性根は変わりません。人生は一度だけです。輪廻転生を信じる私としては、一度、失敗した人はだめだと思います。

 さて、私個人としては、ことしは、9年ぶりに飛行機にも乗ったし、公私とも充実した日々でした。申し訳ないほど充実していました。また、詳述は避けますが、私、家の持続可能性において、人生で最も重要な行動と任命を受けました。来年は、野党も当分、時間が必要です。私は、参院選前に一つの塊になることも、共産党よりも無所属の会が1議席多いことも、永田町の論理に過ぎず、有権者とは関係ないと考えます。私は今のまま、統一地方選と参院選に突入してもやむを得ないと考えます。私自身は、より、しっかりした持続可能な高度の経済的安定性と言論の自由度をつくっていこうと思っています。

 正月飾りの千両を、父の隣で、母が、やたらと足が高く花瓶にさしました。私も好きなスタイルです。

 本年も、お世話になりました。感謝します。

(C)2017年、宮崎信行。