(長篠の戦い設楽原丸山陣砦 愛知県新城市須長)
大宮前激戦地の北側には、織田軍佐久間信盛が陣を敷き、後に武田軍馬場信房(信春)が占領した小丘、丸山がある。

1984年から開始された県営圃場整備事業により、設楽原及び連吾川は著しく変貌した。上二枚の写真は、この地区に圃場整備が及ぶ前の1990年3月11日の光景。以下は、2007年の丸山から北側を望んでいる。茶臼山西側が、第二東名関連工事か、山肌が露出し始めている。
大宮前激戦地の北側には、織田軍佐久間信盛が陣を敷き、後に武田軍馬場信房(信春)が占領した小丘、丸山がある。


1984年から開始された県営圃場整備事業により、設楽原及び連吾川は著しく変貌した。上二枚の写真は、この地区に圃場整備が及ぶ前の1990年3月11日の光景。以下は、2007年の丸山から北側を望んでいる。茶臼山西側が、第二東名関連工事か、山肌が露出し始めている。

