(愛媛県今治市別宮町)
四国八十八ヶ所巡礼第五十五番札所、真言宗別宮山金剛院南光坊は市街地にある。私の父の出生場所に程近いこの地は、第二次世界大戦による空襲で一面焼け野原となった。付近の戦前からある石塔等には、一部に焦げた跡が残っている。当然父の家もこの空襲で失った。
南光坊は元々、大三島大山祇(おおやまづみ)神社の神宮寺として創建されたものである。後に別宮(べっく)大山祇神社境内に移転された。そして明治維新に発布された神仏判然令によって、現在のかたちとなった。
境内にある文久年間(1861-64)建立の金毘羅堂と、大正5年(1916)建立の大師堂は、空襲の中で残った伽藍である。
(関連記事:へんろ道阿方(延命寺) へんろ道日高(泰山寺) へんろ橋(蒼社川))
四国八十八ヶ所巡礼第五十五番札所、真言宗別宮山金剛院南光坊は市街地にある。私の父の出生場所に程近いこの地は、第二次世界大戦による空襲で一面焼け野原となった。付近の戦前からある石塔等には、一部に焦げた跡が残っている。当然父の家もこの空襲で失った。
南光坊は元々、大三島大山祇(おおやまづみ)神社の神宮寺として創建されたものである。後に別宮(べっく)大山祇神社境内に移転された。そして明治維新に発布された神仏判然令によって、現在のかたちとなった。
境内にある文久年間(1861-64)建立の金毘羅堂と、大正5年(1916)建立の大師堂は、空襲の中で残った伽藍である。
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