13年前の1月16日午前5時30分、父は静かに息を引き取った。
年明け早々、知人らと旅行に行き、出先で腹を壊したといって帰ってきた。
その夜から、食べ物を受け付けなくなった。
その後、点滴などを受け、容態をみていたが、日に日に抵抗力が無くなり、死相が現れ始めていた。そして前日には呼吸がしにくくなり、意識が朦朧となって、あの世へ旅立った。
死因は、心筋梗塞ということであった。
その日から私は天涯孤独となった。
そして負債を背負い、返済に奔走した。
翌日、葬儀を行った。
その日は阪神淡路大震災の起った日であった。
参列者が私に、「お父さんは寂しくないよ、大勢の人と旅立ったよ」
そして私に「これからお父さんは一心同体だよ」といった。
父は生前、「死んでもお前を守ってやる」といっていた。
「たまには姿を現してやるからな」と冗談もいっていた。
その後私は、周囲の人から「顔つきが変わった」とよくいわれるようになった。
それは、私の肩に乗る重みと、今後の動向は私が如何にするかしかないことを感じたからだった。
今夜、父の好きだったコーヒーと、甘いお菓子を供えて、父のことを思いながら休もうと思う。
年明け早々、知人らと旅行に行き、出先で腹を壊したといって帰ってきた。
その夜から、食べ物を受け付けなくなった。
その後、点滴などを受け、容態をみていたが、日に日に抵抗力が無くなり、死相が現れ始めていた。そして前日には呼吸がしにくくなり、意識が朦朧となって、あの世へ旅立った。
死因は、心筋梗塞ということであった。
その日から私は天涯孤独となった。
そして負債を背負い、返済に奔走した。
翌日、葬儀を行った。
その日は阪神淡路大震災の起った日であった。
参列者が私に、「お父さんは寂しくないよ、大勢の人と旅立ったよ」
そして私に「これからお父さんは一心同体だよ」といった。
父は生前、「死んでもお前を守ってやる」といっていた。
「たまには姿を現してやるからな」と冗談もいっていた。
その後私は、周囲の人から「顔つきが変わった」とよくいわれるようになった。
それは、私の肩に乗る重みと、今後の動向は私が如何にするかしかないことを感じたからだった。
今夜、父の好きだったコーヒーと、甘いお菓子を供えて、父のことを思いながら休もうと思う。