(大洲市民会館 愛媛県大洲市)
大洲城の古建築の間に建つ、高度成長時代の構造物。
昭和43年(1968)大洲城二の丸跡地内に建てられた、RC造地上3階(一部4階)建築面積2500㎡の公共施設である。
この異彩な建物は、大洲の「大」の字をデザインした屋根が特徴であり、当時は成長する未来を表したようだが、大洲城の城郭整備を進める中で明らかに浮いた存在になってしまっている。
全国各地、城跡が公有地というところが多く、このような状態に陥り易いが、大洲市の場合、城郭の規模に対し、市民会館の規模、そして外観から、それが際立っている。他所に建造されていればこのような違和感は覚えないのだろうが、高度成長時期の簡素な構造、粗雑な材質、そしてその後のメンテナンスの有無によって老朽化は戦前の建造物よりも足早に進み、より違和感を増すかたちとなっている。
大洲城の古建築の間に建つ、高度成長時代の構造物。
昭和43年(1968)大洲城二の丸跡地内に建てられた、RC造地上3階(一部4階)建築面積2500㎡の公共施設である。
この異彩な建物は、大洲の「大」の字をデザインした屋根が特徴であり、当時は成長する未来を表したようだが、大洲城の城郭整備を進める中で明らかに浮いた存在になってしまっている。
全国各地、城跡が公有地というところが多く、このような状態に陥り易いが、大洲市の場合、城郭の規模に対し、市民会館の規模、そして外観から、それが際立っている。他所に建造されていればこのような違和感は覚えないのだろうが、高度成長時期の簡素な構造、粗雑な材質、そしてその後のメンテナンスの有無によって老朽化は戦前の建造物よりも足早に進み、より違和感を増すかたちとなっている。