(愛媛県松山市 県指定文化財)
朝を迎え、松山城のある勝山の麓に向かってみる。
右手に司馬遼太郎の作品を紹介する「坂の上の雲ミュージアム」があり、辺りは「番町遺跡」という弥生時代から松山藩城下町時代の遺構が検出されたところでもある。そこから坂を上がっていくと、江戸時代に家老屋敷が建っていた場所に洋館が建つ。大正11年(1922)藩主裔久松定謨(さだこと)の別邸として建てられたもので、RC造地下1階地上3階、延床面積888㎡のフランス様式建築である。 第二次世界大戦後は接収され米軍将校宿舎となり、昭和27年に家庭裁判所、昭和30年からは愛媛県立郷土芸術館となり、昭和54年に愛媛県立美術館分館郷土美術館となって現在に至っている。
訪れたこのときは、年明けから始まる修繕、耐震工事に向けての打ち合わせが行われているときであった。
この後は市電に乗り道後公園に向かった。
朝を迎え、松山城のある勝山の麓に向かってみる。
右手に司馬遼太郎の作品を紹介する「坂の上の雲ミュージアム」があり、辺りは「番町遺跡」という弥生時代から松山藩城下町時代の遺構が検出されたところでもある。そこから坂を上がっていくと、江戸時代に家老屋敷が建っていた場所に洋館が建つ。大正11年(1922)藩主裔久松定謨(さだこと)の別邸として建てられたもので、RC造地下1階地上3階、延床面積888㎡のフランス様式建築である。 第二次世界大戦後は接収され米軍将校宿舎となり、昭和27年に家庭裁判所、昭和30年からは愛媛県立郷土芸術館となり、昭和54年に愛媛県立美術館分館郷土美術館となって現在に至っている。
訪れたこのときは、年明けから始まる修繕、耐震工事に向けての打ち合わせが行われているときであった。
この後は市電に乗り道後公園に向かった。