(長野県松本市 県指定文化財)
開智学校の隣にあるこの建物は、元々松本城北東側武家屋敷跡(現カトリック松本教会)にあったものであり、平成2年(1990)街路拡幅工事の際、教会が市へ寄贈し、現在地へ移転補修したものである。
明治22年(1889)仏人神父によって建てられ、木造2階建て、延床面積203m²,外観はアーリーアメリカン(近代アメリカ)様式の宣教師館(住居)であり、以後移転まで教会施設として使用され続けた。 1階には玄関、事務室、応接室、食堂、台所、風呂があり、2階には4つの個室、双方にはベランダが設けられ、各部屋には暖炉も設けられている。

私は西洋建築が非常に落ち着くと感じる純日本人だが、次が控えているのでこの場所を離れることにした。続いて上田市に向かう。
開智学校の隣にあるこの建物は、元々松本城北東側武家屋敷跡(現カトリック松本教会)にあったものであり、平成2年(1990)街路拡幅工事の際、教会が市へ寄贈し、現在地へ移転補修したものである。
明治22年(1889)仏人神父によって建てられ、木造2階建て、延床面積203m²,外観はアーリーアメリカン(近代アメリカ)様式の宣教師館(住居)であり、以後移転まで教会施設として使用され続けた。 1階には玄関、事務室、応接室、食堂、台所、風呂があり、2階には4つの個室、双方にはベランダが設けられ、各部屋には暖炉も設けられている。







私は西洋建築が非常に落ち着くと感じる純日本人だが、次が控えているのでこの場所を離れることにした。続いて上田市に向かう。