そこにはさまざまな事情があった…。そしてさまざまなケースがあった…。中国で、樺太で、敗戦により筆舌に尽くしがたい困難に遭遇しつつ生きてきた人たち…。無事帰還できたとしてもそこにはまたまた困難が待っていた。そして、まだ還れぬ人たちがいる…。
昨日レポートした舞台公演「吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~」に続いて、中国・樺太残留体験者と関係者によって「中国及び樺太からの帰国者の現在・過去・未来」と題するパネルディスカッションが行われた。
登壇者は、中国残留邦人のいわゆる残留1世の植松キクエさん、國井榮治さん、残留孤児3世の佐藤千恵子さん、樺太残留孤児2世の伊藤春美さん、そして残留邦人問題取り組むNPO法人日本サハリン同胞交流協会会長の小川岟一さんの5人が登壇し、残留邦人問題にも詳しいジャーナリストの大谷昭宏氏がコーディネーターとしてパネルを進行した。
帰国に有利と言われて国籍を次々と変えねばならなかった人。「小日本人」という蔑称で呼ばれながら耐えた人。幼児は捨てられる運命にあったとき祖母が懸命に護ってくれたことで今がある人。さまざまな事情、さまざまなケースで辛酸を舐めた人たち…。
国の帰国事業により残留生活を終え帰国できたとしても、そこにはまたさまざまな困難が待ち構えていたという。言葉や文化の違いに悩み、就労の困難さに直面しているという。
その象徴が國井さんだったように私には映った。國井さんは5歳のときに満州に渡り、昭和51年36歳のときに帰国したという。帰国してすでに35年も経っているというのに、國井さんの話す日本語はいまだたどたどしい感じだった。人生の成長期に日本で生活できなかったという後遺症なのだろうか。
※ コーディネーターを務めた大谷昭宏氏です。
登壇者たちは訴える。
政府の引揚者への支援サポート体制のさらなる充実を!
中国で生まれ、育った子どもたちが自立できるよう支援を!
入学問題、就職問題では困難が多い。支援体制の充実を!
最後の一人が訴えた。
違いのある人がいることを分かってほしい! 多様性を認めてほしい! と…。
こうした話を聞くと、戦後はまだまだ終わっていないという思いを深くした。
昨日レポートした舞台公演「吉林食堂~おはぎの美味しい中華料理店~」に続いて、中国・樺太残留体験者と関係者によって「中国及び樺太からの帰国者の現在・過去・未来」と題するパネルディスカッションが行われた。
登壇者は、中国残留邦人のいわゆる残留1世の植松キクエさん、國井榮治さん、残留孤児3世の佐藤千恵子さん、樺太残留孤児2世の伊藤春美さん、そして残留邦人問題取り組むNPO法人日本サハリン同胞交流協会会長の小川岟一さんの5人が登壇し、残留邦人問題にも詳しいジャーナリストの大谷昭宏氏がコーディネーターとしてパネルを進行した。
帰国に有利と言われて国籍を次々と変えねばならなかった人。「小日本人」という蔑称で呼ばれながら耐えた人。幼児は捨てられる運命にあったとき祖母が懸命に護ってくれたことで今がある人。さまざまな事情、さまざまなケースで辛酸を舐めた人たち…。
国の帰国事業により残留生活を終え帰国できたとしても、そこにはまたさまざまな困難が待ち構えていたという。言葉や文化の違いに悩み、就労の困難さに直面しているという。
その象徴が國井さんだったように私には映った。國井さんは5歳のときに満州に渡り、昭和51年36歳のときに帰国したという。帰国してすでに35年も経っているというのに、國井さんの話す日本語はいまだたどたどしい感じだった。人生の成長期に日本で生活できなかったという後遺症なのだろうか。
※ コーディネーターを務めた大谷昭宏氏です。
登壇者たちは訴える。
政府の引揚者への支援サポート体制のさらなる充実を!
中国で生まれ、育った子どもたちが自立できるよう支援を!
入学問題、就職問題では困難が多い。支援体制の充実を!
最後の一人が訴えた。
違いのある人がいることを分かってほしい! 多様性を認めてほしい! と…。
こうした話を聞くと、戦後はまだまだ終わっていないという思いを深くした。