現在の日本においてはエネルギー問題 = 原発問題である。今回のエネルギーシンポジウムももっぱら原発問題に終始した感があったが、今回のパネリスト、コーディネーターは原発推進派、あるいは原発推進容認派の方々の論だったように受け止めた。
10月23日(火)ホテル札幌ガーデンパレス(中央区北1西6)において「エネルギーシンポジウム2012」が開催され参加してきた。シンポのテーマは「エネルギー政策を考える ~エネルギー選択と社会・経済の行方~ 」というものだった。
シンポのパネリストは、21世紀政策研究所 研究主幹で最近マスコミでエネルギー関係の発言が目立つ澤昭裕氏、評論家でテレビでおなじみの小沢遼子氏、原子力研究者で北大大学院教授の奈良林直氏の3人だった。
シンポを掌るコーディネーターには、NHKのニュースキャスターとして活躍し、現在千葉商科大学の教授である宮崎緑氏が務めた。
登壇するメンバーを見て、奈良林氏がどのような主張をする人なのかはまったく未知だったが、全体として原発を容認するような論調になるのではないかとの思いを抱きながらシンポを見守った。
※ 北大大学院教授の奈良林直氏
ところが未知だった奈良林氏が最も鮮明に原発推進を唱えたのだ。
氏は原子力の研究者としての立場もあるのだろうが、再生可能エネルギーが代替エネルギーとはなり得ていない現実、産油国が原発増設を目ざしている現実、ドイツの再生エネルギーを産み出すことが従来の10倍のコストをかけながらも1/10の発電量しか生み出していない現実、等々から基幹電源としての原子力は絶対に必要だと主張した。
※ 21世紀政策研究所 研究主幹の澤昭裕氏
澤氏は民主党政権が2030年代に原発依存ゼロを目ざすという政策はエネルギー政策の全体像を描いていない中での決定であると批判した。そして原発問題を「命と経済」という対立する概念として捉えるかぎり解決しない問題であるとし、国がエネルギー問題について政策的に全体像を決定することが先決だと説いた。(ガバナンスの問題であるという言い方もした)
そして原発を火力に替えることによって2割のコストアップになる。世論は「原発もいや、料金値上げもいや」という虫の良いものである。はたして国民はコストをどれだけ負担できるのか、その覚悟を自らに問う必要がある。
※ 評論家の小沢遼子氏
小沢氏は過去の日本の原発推進の政策を批判しつつも、原発反対派の「原発を止めよ!」というばかりではなく、原発容認側も「安全な原発をよこせ!」というデモをすべきではないかと言う。と言いながら、「リスクを負うべき」とも言う。リスクを負うとは、原発の危険性を覚悟せよ、ということなのだろうか?
結局、私は小沢氏のスタンスが最後まで分からなかった。
※ 宮崎緑氏の写真だけは遠くて撮影不可能だったのでウェブ上からお借りした。
コーディネーターの宮崎氏は慎重にシンポジウムを進め、自らの意向は鮮明にしなかったが、言葉の端々に彼女の思いが滲み出ていたように思ったのだが、それは私の穿った見方か?
彼女は最後に「水を飲んだら、井戸を掘った人を忘れるな」という諺を披露してシンポを閉じたが、その意味するところは?
資源のない我が国においてエネルギー問題は国の根幹を揺さぶる問題であることは私が指摘するまでもないことである。
現状のままの日本を維持していくためには確かに膨大なエネルギーを必要としている。果たして私たちはこれまでの日本の姿をこれからも求めていくのか。
それとも相当の犠牲と覚悟をもって、これまでの日本とは違った姿になることを受容しようとしているのか。私たちは難しい選択を迫られているのではないか、と感じたシンポジウムだった。
10月23日(火)ホテル札幌ガーデンパレス(中央区北1西6)において「エネルギーシンポジウム2012」が開催され参加してきた。シンポのテーマは「エネルギー政策を考える ~エネルギー選択と社会・経済の行方~ 」というものだった。
シンポのパネリストは、21世紀政策研究所 研究主幹で最近マスコミでエネルギー関係の発言が目立つ澤昭裕氏、評論家でテレビでおなじみの小沢遼子氏、原子力研究者で北大大学院教授の奈良林直氏の3人だった。
シンポを掌るコーディネーターには、NHKのニュースキャスターとして活躍し、現在千葉商科大学の教授である宮崎緑氏が務めた。
登壇するメンバーを見て、奈良林氏がどのような主張をする人なのかはまったく未知だったが、全体として原発を容認するような論調になるのではないかとの思いを抱きながらシンポを見守った。
※ 北大大学院教授の奈良林直氏
ところが未知だった奈良林氏が最も鮮明に原発推進を唱えたのだ。
氏は原子力の研究者としての立場もあるのだろうが、再生可能エネルギーが代替エネルギーとはなり得ていない現実、産油国が原発増設を目ざしている現実、ドイツの再生エネルギーを産み出すことが従来の10倍のコストをかけながらも1/10の発電量しか生み出していない現実、等々から基幹電源としての原子力は絶対に必要だと主張した。
※ 21世紀政策研究所 研究主幹の澤昭裕氏
澤氏は民主党政権が2030年代に原発依存ゼロを目ざすという政策はエネルギー政策の全体像を描いていない中での決定であると批判した。そして原発問題を「命と経済」という対立する概念として捉えるかぎり解決しない問題であるとし、国がエネルギー問題について政策的に全体像を決定することが先決だと説いた。(ガバナンスの問題であるという言い方もした)
そして原発を火力に替えることによって2割のコストアップになる。世論は「原発もいや、料金値上げもいや」という虫の良いものである。はたして国民はコストをどれだけ負担できるのか、その覚悟を自らに問う必要がある。
※ 評論家の小沢遼子氏
小沢氏は過去の日本の原発推進の政策を批判しつつも、原発反対派の「原発を止めよ!」というばかりではなく、原発容認側も「安全な原発をよこせ!」というデモをすべきではないかと言う。と言いながら、「リスクを負うべき」とも言う。リスクを負うとは、原発の危険性を覚悟せよ、ということなのだろうか?
結局、私は小沢氏のスタンスが最後まで分からなかった。
※ 宮崎緑氏の写真だけは遠くて撮影不可能だったのでウェブ上からお借りした。
コーディネーターの宮崎氏は慎重にシンポジウムを進め、自らの意向は鮮明にしなかったが、言葉の端々に彼女の思いが滲み出ていたように思ったのだが、それは私の穿った見方か?
彼女は最後に「水を飲んだら、井戸を掘った人を忘れるな」という諺を披露してシンポを閉じたが、その意味するところは?
資源のない我が国においてエネルギー問題は国の根幹を揺さぶる問題であることは私が指摘するまでもないことである。
現状のままの日本を維持していくためには確かに膨大なエネルギーを必要としている。果たして私たちはこれまでの日本の姿をこれからも求めていくのか。
それとも相当の犠牲と覚悟をもって、これまでの日本とは違った姿になることを受容しようとしているのか。私たちは難しい選択を迫られているのではないか、と感じたシンポジウムだった。