毎日が恐怖と脂汗の連続だとコラムを担当した体験者は言う。新聞朝刊の第1面を飾るコラム欄は恐怖と脂汗の産物らしい。北海道新聞で朝刊コラム「卓上四季」を4年間担当した菅原淳氏からコラム記者の喜びと悲哀を聞いた。
6月17日(火)午後、かでる2・7において道民カレッジの6月「かでる講座」が開催された。今回のテーマは「卓上四季執筆~新聞コラム論」と題して、北海道新聞の現解説委員である菅原淳氏が担当した。
菅原氏は2006~2010年にかけて4年間、北海道新聞のコラム「卓上四季」を担当したという。今回の講座はその「卓上四季」を書き続けた体験を通してのコラム論であった。

菅原氏はコラム欄担当を辞めて2年後に次のような一文を新聞に寄稿している。(抜粋)
「いきなり変なことを書きますが、眠る前『このまま夜が明けなければいいな』とよく思いました。それでも朝は来ます。ちっとも爽やかではありません。今日は原稿が書けないんじゃないか。何をテーマにすればいいのか。他紙の方がずっと面白く書けているんじゃないか。そんな恐怖と戦いつつ、ともかくベッドを出ます。(後略)」
と、菅原氏はコラム欄を担当していた当時を回想している。この一文に文章を紡ぎだすことの難しさ・大変さが良く表されているように思う。
菅原氏は4年間のコラム担当時代に1,032本のコラムを書いたということだが、上記したような恐怖と脂汗の連続の末にものにした文章だということだ。
そうした思いをしながら産み出した文章だけに思い入れも人一倍のようだ。
講座の後半では自らが書いた何本ものコラムを提示して、その喜びと悲哀を語った、
まずは、コラムの中で必ずと言ってよいほど使われている▼マークである。卓上四季の場合、文章は6節から成っている。その文節の間に入れるのが▼マークである。(普通の文章の段落の区切りと考えても良いと思う)
その▼マークの位置を、菅原氏の場合は意識的にM字型やW字型に配置するように文章を創ったということだ。時には一直線型、またファイターズ関連の文のときにはV型に配置したこともあったという。その理由について菅原氏は多くを語らなかったが、どうやら菅原氏の遊び心のようである。そうすることで恐怖と脂汗の毎日の中でストレスを開放させていたのかもしれない。(現在の担当者はそうしたことを意識していないらしい)

菅原氏の文章の中で、「他紙との比較」について触れている。菅原氏は臆せずに自らの文章と他紙とを比較してみせた。
有名人が死去したときなど、期せずして各紙のコラム欄が同じテーマになることがあるという。例えば、コメディアンの植木等さんが亡くなったときは、道新の「卓上四季」、朝日の「天声人語」、毎日の「余禄」、読売の「編集手帳」の4紙が横並びするように植木等さんのことがテーマとして書かれたということで、その4紙のコラムを並べてみせた。優劣などつけることは、私などにはもちろんできないことだが、面白いと思ったのは植木さんに関わるエビソードまで同じことが取り上げられていたことだ。打ち合せも何もない中でも、コラム担当者の問題意識というか、感性には共通項があるという証しなのかもしれない。
いつも世の中の出来事を鋭く切り取って、鮮やかな文章を紡ぎあげていると思われた文章の達人たちも、内実はけっこう苦労されていることを窺い知れた。
毎日、駄文を書き連ねている自分だが、レベルは違えども文章を産み出すにはそれなりの大変さを感じているのだが、プロの方からそうした話を伺うことができ、凡人の自分が苦労するのは当たり前のことだと深く納得したのだった。
6月17日(火)午後、かでる2・7において道民カレッジの6月「かでる講座」が開催された。今回のテーマは「卓上四季執筆~新聞コラム論」と題して、北海道新聞の現解説委員である菅原淳氏が担当した。
菅原氏は2006~2010年にかけて4年間、北海道新聞のコラム「卓上四季」を担当したという。今回の講座はその「卓上四季」を書き続けた体験を通してのコラム論であった。

菅原氏はコラム欄担当を辞めて2年後に次のような一文を新聞に寄稿している。(抜粋)
「いきなり変なことを書きますが、眠る前『このまま夜が明けなければいいな』とよく思いました。それでも朝は来ます。ちっとも爽やかではありません。今日は原稿が書けないんじゃないか。何をテーマにすればいいのか。他紙の方がずっと面白く書けているんじゃないか。そんな恐怖と戦いつつ、ともかくベッドを出ます。(後略)」
と、菅原氏はコラム欄を担当していた当時を回想している。この一文に文章を紡ぎだすことの難しさ・大変さが良く表されているように思う。
菅原氏は4年間のコラム担当時代に1,032本のコラムを書いたということだが、上記したような恐怖と脂汗の連続の末にものにした文章だということだ。
そうした思いをしながら産み出した文章だけに思い入れも人一倍のようだ。
講座の後半では自らが書いた何本ものコラムを提示して、その喜びと悲哀を語った、
まずは、コラムの中で必ずと言ってよいほど使われている▼マークである。卓上四季の場合、文章は6節から成っている。その文節の間に入れるのが▼マークである。(普通の文章の段落の区切りと考えても良いと思う)
その▼マークの位置を、菅原氏の場合は意識的にM字型やW字型に配置するように文章を創ったということだ。時には一直線型、またファイターズ関連の文のときにはV型に配置したこともあったという。その理由について菅原氏は多くを語らなかったが、どうやら菅原氏の遊び心のようである。そうすることで恐怖と脂汗の毎日の中でストレスを開放させていたのかもしれない。(現在の担当者はそうしたことを意識していないらしい)

菅原氏の文章の中で、「他紙との比較」について触れている。菅原氏は臆せずに自らの文章と他紙とを比較してみせた。
有名人が死去したときなど、期せずして各紙のコラム欄が同じテーマになることがあるという。例えば、コメディアンの植木等さんが亡くなったときは、道新の「卓上四季」、朝日の「天声人語」、毎日の「余禄」、読売の「編集手帳」の4紙が横並びするように植木等さんのことがテーマとして書かれたということで、その4紙のコラムを並べてみせた。優劣などつけることは、私などにはもちろんできないことだが、面白いと思ったのは植木さんに関わるエビソードまで同じことが取り上げられていたことだ。打ち合せも何もない中でも、コラム担当者の問題意識というか、感性には共通項があるという証しなのかもしれない。
いつも世の中の出来事を鋭く切り取って、鮮やかな文章を紡ぎあげていると思われた文章の達人たちも、内実はけっこう苦労されていることを窺い知れた。
毎日、駄文を書き連ねている自分だが、レベルは違えども文章を産み出すにはそれなりの大変さを感じているのだが、プロの方からそうした話を伺うことができ、凡人の自分が苦労するのは当たり前のことだと深く納得したのだった。